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元戦国剣士の公爵令嬢は、愛ではなく忠誠で辺境伯を護る  作者: 枢氷みをか
序章・出会いと婚約

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2/15

神殿騎士の夢

「………私の女子(おなご)の変装はずいぶん板についてきたと思わないか? ヴェル」


 どこか疲れを含んだ溜息と共にそう呟いた主を、専属侍女であるヴェルは怪訝そうに振り返った。

 ソファに腰掛けたまま、リュシエリアーナは遠い目をして窓の外を眺めている。春の柔らかな光が差し込んでいるというのに、その横顔はどこか晴れない。


「……『おなごの変装』と言いますか、お嬢様は生まれながらの女性では?」


 至極もっともな返答を口にしつつ、ヴェルは内心で、また始まったか、と愚痴をこぼした。リュシエリアーナが時折、出所不明の言語を混ぜては奇妙な事を言い出すのは、ヴェルにとってもはや日常茶飯事だ。


「……これでもずいぶんと努力したのだ。女言葉など、まるで女方(おんながた)にでもなった気分で鳥肌が立ったが、それでも必死に耐え抜いたのは父上と母上が次期王妃たれと口を酸っぱくして命じられたからだ」

「………オンナガタ、というものが何かは存じ上げませんが、次期王妃でなくともお嬢様は公爵令嬢なのですから、淑女としての振る舞いは必要不可欠かと」

「だがその婚約もめでたく破談となった。もはや王妃という名の虚飾の座に座る必要はない。ならば今まで忍んできた分、少しは私の我儘を聞いても罰は当たらぬと思わないか? ヴェル」

「……………私の言葉など、最初からお聞きになる気はございませんね?」


 話が全くかみ合わない現状に、ヴェルは深く嘆息する。

 こういう時のリュシエリアーナは、同意が欲しいわけでも、助言を求めているわけでもない。ただ、胸の内に溜め込んだ思いを言葉にすることで自分を落ち着かせたいだけなのだと、長年仕えてきたヴェルは理解していた。


「……それで? また旦那様に神殿騎士になりたいと直談判なさったのですか?」

「だって不公平だろう……!!? 兄上は今や神殿騎士団の副団長……!! なのに私は次期王妃だからと門前払いだ……!!」


 感情が昂ったのか、リュシエリアーナは無意識にか拳を握る。


「だが今の私にはもうその足枷はなくなったはずだろう……!! 婚約が白紙になった今、何も障害はないはず……!! なのに父上は私に何とおっしゃったと思う!!?」




 ─────「ならんっっ!!! 公爵令嬢が騎士になるなど言語道断だ!!!!」


 父の大音声(だいおんじょう)が机を激しく打ち付ける音と共に、マレグレン公爵家の屋敷中に轟いたのは、王太子との婚約破棄が言い渡されてから三日後のことだった。


 それは少なからず気を緩めていた矢先の出来事。次の婚約を陛下と共に熟考中だと父に不意を突かれ、焦燥に駆られたリュシエリアーナが、今こそ好機とばかりに神殿騎士になると宣言した結果、こうして父の恫喝が振り注いだのだ。


「なにゆえですっ!!? 女性騎士などいくらでもいるではありませんかっ!!」

「お前は普通の令嬢ではない!! 王室に連なる公爵家の令嬢だぞ!! 王家の血筋を持つ令嬢が騎士になどなれるわけがなかろうが!!!」

「いいえっ!! 長い歴史を紐解けば、王家の中から神殿騎士を務めた女性騎士もおります!! 八十年前には当時の王女殿下が神殿騎士になられた記録もあるではありませんか!!! それなのに、たかが公爵令嬢である私は、なにゆえ認められないのですか!!?」

「うぐ……っ!!」


 あまりにも正論な娘の切り返しに、父はたまらず返答に窮して言葉を詰まらせた。何か反論を、と口を開きかけては閉じ、明らかに動揺している様子を見せている。


「だ…だがなっ─────」

「私は忘れてはおりませんよ、父上」

「……!」

「男に二言はない、と豪語した父上が、あっさりと約束を反故された事を─────」


 ぎろりと鋭く睨みつける娘の瞳に、父はびくりと肩を震わせてなおさら居心地が悪そうに視線を逸らす。その一言で否応なく、父の脳裏に当時の記憶が蘇った。


 それは、王太子アレクスフォード=ギルリアンとの婚約が決まってから半年後の事────。


 どうしても婚約を破談にしたかったリュシエリアーナは、神殿騎士になりたいのだと己の強い想いを切々と父に訴えた。あまりの必死さに根負けした父は、リュシエリアーナにこう提案したのだ。


「神殿騎士団の団長と立ち会い、一度でもその剣が団長の体に届けば、お前の願いを聞き入れてやろう」


 聞き入れる気がない事は明白である。

 当時リュシエリアーナは九歳。そんな年端もいかない少女が、歴戦の騎士団長に敵うはずがない。兄であるフォルドエルと共に剣術を学んでいると小耳に挟んだが、十中八九、兄に憧れて真似事をしている程度のものだと父は(あなど)っていた。


 それでも「神殿騎士になるには最低でもそれくらいの強さが必要なのだ」と、幼い娘を言葉巧みに丸め込み、それができなければこの先二度と神殿騎士になりたいなどと言ってはならない、と諦めの悪い娘に条件を呑ませた─────まではよかった。


 誤算があったとすれば、娘の強さを読み違えた事だろうか。


「父上!! 約束ですよっ!! 私は神殿騎士になりますっ!!」


 満面の笑みでリュシエリアーナがそう公言したのは、騎士団長と立ち会ってわずか一分後の事だった。


 相手が九歳の女児であるという事実が、騎士団長の判断を鈍らせたのだろう。

 公爵令嬢であるリュシエリアーナに、万が一にも傷を負わせるわけにはいかない。その意識が、目前の幼い少女の身の内に潜む、猛々しい剣豪の気配に気づくのを遅らせた。


 彼がその気配にようやく気付いたのは、立会いが始まった直後。公爵令嬢が(まと)う、幼い少女とは思えないほどの剣気が彼の背筋に冷たいものを這わせたと同時に、リュシエリアーナは油断という隙を見事に突いた。


 小柄な体からは想像もできない踏み込みの鋭さで一気に間合いを詰めると、すぐさま手に持っている剣を振りかぶる。


 狙う先は、騎士団長の足元。


 体躯が大きくなればなるほど、下段への攻撃は意識の外に置かれやすいものだ。


 対して小柄な体はどうしても力が弱くなるものの、反面動きが俊敏になる。俊敏な動きで相手を翻弄し、隙を作ってそこを突く─────それは、かつて小さく病弱な体で戦場を生き抜いてきた剣豪が、幾度となく繰り返してきた戦法だった。


 開始わずか一分で、この立会いはリュシエリアーナの勝利で幕を閉じた。


 その信じがたい光景に皆唖然として言葉を失い、ただ一人リュシエリアーナの異常なまでの強さを知っていた兄フォルドエルだけが、苦笑を漏らしていたという。


 ─────ちなみにこの立会いの後、油断していたとはいえ九歳の女児に負けた事で矜持を失い、職を辞すると言い出した騎士団長を、父と兄が必死に(なだ)めた事は、もはや余談である。


「……あの時、私は確かに父上が出された条件を満たしました…!! それを反故にされても、今の今まで耐えてきたのです!! あの時の不誠実な行いを挽回されるおつもりならば、この機に神殿騎士となる事をお許しになるべきなのではありませんか!?」

「うぐ……!!」


 またもや正論過ぎて、もはやぐうの音も出ない。父は返す言葉を完全に失い、たまらず口を(つぐ)んだ。


 己の愚かさに肩を小さくする父に、やんわりと助け船を出したのは、隣で静かに話を聞いていた母だった。


「……リュシエリアーナ、あまりお父さまを困らせるものではありませんよ」

「ですが……!!」

「お父さまは貴女が心配なのですよ。騎士になるという事は、常に危険と隣り合わせだという事……可愛い娘が怪我をするところは、私も見たくはないわ」

「それは…………」


 それを言われると弱い。

 もし心身共に男であれば、いらぬ心配だと一蹴していただろう。だが今は心はさておき、この体は(まご)う事なき『娘』なのだ。娘の体に傷がつく事を両親が(いと)う気持ちは痛いほどよく解る。

 何よりリュシエリアーナの両親は、前世での両親とは違って、幼い頃から慈しむように育ててくれた。その恩があるからこそ、不義理を働くことには、なおさら抵抗があった。


 だがそれでも─────。


「……それでも、八十年前の王女殿下が神殿騎士になる事を、当時の陛下はお許しになりました。私も、彼女と同じく騎士の高みを目指したいのです……!」


 真っ直ぐに向けられた強い眼差しに、母は思わず小さく目を見張った。

 一拍おいてから、長いため息を一つ落とす。


「………貴女は一度こうと決めたら、決して諦めない筋金入りの頑固者ですものねえ……一体誰に似たのかしら?」


 諦観(ていかん)の混じった母の言葉に、リュシエリアーナは期待を込めた爛爛(らんらん)たる瞳を向ける。


「……っ! では………!」

「そうねえ……新しい婚約者が許可をしてくださるならば、神殿騎士になってもいいわよ、リュシー?」

「え…………っ!?」


 思わぬ母の提案に、リュシエリアーナは驚天動地(きょうてんどうち)の勢いで目を見開いた。


 そもそも婚約を回避するために神殿騎士になる事を持ち出したのだ。いや、剣術を極めたいという前世からの悲願が先だったか。どちらかと言えば、双方を叶えるために無理やり紐づけたという方が適切かもしれない。なのに、その結び目をいとも容易く解かれては目算が大きく狂ってしまう。


 リュシエリアーナは慌てて思考を巡らせ取り繕う言い訳を懸命に探しながら、しどろもどろに口を開いた。


「ど、どうしてそこで婚約者の話が出てくるのです!?」

「あら? 今は次の婚約をどうするのかを話し合っていたのでしょう?」

「で、ですから……! 神殿騎士になるので婚約はしないと─────」

「婚約と神殿騎士になる事はまた別の話よ? リュシー」

「………っ!」

「八十年前の王女殿下も、神殿騎士を務められた後に隣国へ嫁がれたのよ? たとえ今、貴女が神殿騎士になったとしても、婚約は問題なく進められるわ、リュシー」


 やんわりと告げて微笑む母に、リュシエリアーナはもはや反論の(すべ)をすべて奪われ、唖然とする。


 母は普段こそ鷹揚(おうよう)だが、詰めが甘い父とは違ってとにかく一事が万事抜かりがない。ましてや娘の気性を熟知しているので、考えている事などすべてお見通しなのだろう。


 愛する妻のおかげで形勢が逆転したことを悟り、父は執務室の扉の前に控える執事へ小さく目配せした。執事が(こうべ)を垂れるのを確認してから、父は途方に暮れたように動かない愛娘を、どこか嬉しそうに視界へ収める。


「喜べ、リュシー! たとえお前が王太子殿下との婚約を破棄されようとも、誰も意に介してなどおらん!! むしろこの機を待っていたかのように、お前への求婚がこれほど届いているのだ!!」


 主の言葉を受けて執事が執務机の上に丁寧な所作で置いたのは、四十は下らない(ふみ)の束だった。父の言葉を鵜呑みにするならば、これらはすべて自分への求婚状なのだろう。想像を絶するその数に、リュシエリアーナの顔は蒼白となった。


「………こ、こんなに………?」

「当たり前だ! 何せリュシーは国一番の絶世の美女だからな。皆、王太子殿下の後釜を虎視眈々と狙っていたのだろう。安心しなさい、リュシー。私と陛下で、必ずや良縁を見繕ってやるからな」


 鼻高々と闊達な笑い声を上げる父の言葉は、もはやリュシエリアーナの耳には届いていない。そのまま放心状態で父の部屋を出て、重い足取りで自室に戻ったのだった。



「………つまり、奥様に見事に言い負かされたわけですね?」

「父上だけならばいけたのだ! 父上だけなら、あと一押しで了承を得られていたものを……! 母上が横槍を入れなければ……!!」

「奥様は一枚も二枚も上手(うわて)でございますからね……」


 同情混じりの苦笑を浮かべながら、ヴェルはソファの上で悔しさを滲ませる主の姿を、改めて視界に入れた。


 黒く艷やかな髪を持つ、己の主────国一番と謳われる美貌を持ち合わせた彼女が、なぜこれほどまで婚姻を回避したがるのか、ヴェルにはどうしても理解できなかった。


 漆黒の髪は、人智を超える美しさの象徴だ。


 これほどの美貌があれば、相手など選び放題だろう。財力ある者、誠実な者、あるいは彼女と同じく『美しい』と形容される者────どのような人物であっても、リュシエリアーナの美しさの前では皆、有無を言わさず(かしず)く。実際、王太子の婚約者であったにも関わらず、男性からの誘いは後を絶たなかった。


 にもかかわらず、当の本人は色恋沙汰には目もくれず、口を開けば「騎士になりたい」「剣術を極めたい」の一点張りだった。

 いや、色恋に興味がないと言うよりは、むしろ男そのものを忌避しているようにさえ、ヴェルの目には映っていた。


 とはいえ、王太子や国王、そして父や兄に対する態度を見る限り、男を毛嫌いしているという風でもない。それでなおさら、主の本心や望みがどこにあるのか判断に困るのだ。


「………実際にご結婚なされば、いつしかそれが幸せなのだとお気づきになることもあるでしょうに………」


 思わずぽつりと漏れたヴェルの独り言がリュシエリアーナの耳に届いた瞬間、彼女はすっと侍女を一瞥した。先ほどまでの悔しげな表情とは打って変わり、凛とした鋭さを宿す眼差しに、ヴェルは思わずたじろいだ。


「……なぜそれが私の幸せだと言い切れる? ヴェル」

「あ………それは……あくまで一般論を───」

「何が幸せで、何が幸せでないかは人によって違うものだ。違うか?」 

「それは……そうですが」

「履き違えるな、ヴェル。私の幸せは私が決める。それを誰かに委ねるつもりはない」


 揺るぎない意志を宿したその言葉に、ヴェルは小さく瞠目した。同時に、自身の失言と、かつて彼女に抱いた印象を改めて自覚することになる。


 初めて出会った彼女は、まだ幼女と呼ばれる年齢でありながら年不相応な気概と凛々しさを併せ持っていた。その姿に、思わず憧憬の念を抱いたのではなかっただろうか。


 懐かしい情景が脳裏によみがえり思わずくすりと笑みを零したヴェルに、リュシエリアーナは不満げに眉根を寄せた。


「…………なぜそこで笑う?」

「……いえ、相変わらずお嬢様は男性顔負けの男気溢れるお方だと再認識しただけでございます。きっとお嬢様に求婚なさっている殿方がお嬢様の男らしさをご覧になれば、男性としての矜持を保てず、尻尾を巻いてお逃げになることでしょうね」

「……! それだっ、ヴェル!!!」


 何気なく放たれた言葉から閃きを得たのか、リュシエリアーナは勢いよくソファから立ち上がった。高揚感を隠しきれない燦々とした瞳を、ヴェルへと向ける。


「淑女の演技などやめて、素の私を見せればいいのだ!! そうすればこんなお転婆娘など願い下げだと向こうから縁談を断ってくる!!」

「……!?」


 その令嬢らしからぬ突飛な妙案に、彼女の風変わりな性格をよく把握しているヴェルでさえ、思わず目を見開いた。やがて小さくため息を吐き、こめかみを押さえる。


「………それではお嬢様が社交界で笑い者になられますよ?」

「婚約を回避できるのならば甘んじて受けよう!!」

「……マレグレン公爵家の皆様もまた、笑い者となり得ましょう。それも甘んじてお受けになると?」

「…………………え?」


 思わぬ反撃に、リュシエリアーナの表情は強張った。時が止まったように唖然として見つめるその先には、申し訳なさそうに微笑む侍女ヴェルの姿があった。


「……お嬢様が笑われるという事は、マレグレン公爵家が笑われるという事です。旦那様や奥様、そして神殿騎士団の副団長としてご活躍なさっている小公爵様までもが嘲笑を受け、家名が地に落ちると言う事です。それらも全て、お嬢様は甘んじてお受けになりますか?」

「…………それは……」


 ─────できない。

 私事で家族に迷惑はかけられない。何より今世の家族は自分に対して、愛情を決して惜しまなかった。そんな家族だからこそ、自分もまた愛情を返したのだ。なのに婚約を回避したいという己の我儘で、愛する家族を傷つけることなどできない。


 返す言葉もなく項垂(うなだ)れるように肩を落とすリュシエリアーナに、ヴェルは穏やかに言葉を重ねる。


「お嬢様の両肩には『マレグレン公爵』という家名が乗っておられるのです。どうかご自身の行動が後々何を生み出す事になるのか、よくよくお考えになって行動なさいませ」

「………………すまない、肝に銘じる」


 叱られた子供のように気落ちして、先ほどの高揚感がすっかり失われたリュシエリアーナは力なくソファに再び腰を下ろす。


 時折見せる凛々しい顔とは反面、些細な事で一喜一憂し、表情が目まぐるしく動く彼女の愛嬌さを微笑ましく笑って、ヴェルはソファに腰を下ろす主に歩み寄った。


「……ですが、どうか誤解なさらないでくださいませ。この屋敷にお嬢様を笑う者はおりません。旦那様や奥様、そして小公爵様はもちろんの事、お嬢様の素のお姿を存じ上げている我々使用人も皆、お嬢様の事が大好きでございますよ」

「……!」


 言って、柔らかい笑みを向けてくれる七つ上の侍女を、リュシエリアーナは瞠目して視界に収めた。


 きっとこの世界の生まれではない前世の記憶を有したリュシエリアーナの言動は、周囲から見て奇行に映っていることだろう。それでもマレグレン公爵家の皆はありのままの自分を受け入れてくれた。それが有り難く、くすぐったいほど嬉しい。


「…………ありがとう、ヴェル」


 リュシエリアーナは軽く紅潮した頬に余韻を残しながら謝意を伝えると、ソファの背に身を預けて天を仰いだ。


「………とはいえ、婚約を回避する事は諦めたくはないな……」


 あの求婚状の量を考えると、現状の婚約者候補は四十名ほど。これほど多いと、王太子に使った手はもう使えない。たとえ一つ潰しても焼け石に水だ。すぐに次の婚約者が決まるだけだし、そもそもこの方法は時間がかかり過ぎる。決して現実的ではないだろう。


「何かいい方法はないものか………」


 あるいは無理矢理にでも神殿騎士になる事さえできれば、少なくとも婚姻まで時間が稼げるだろうか─────?


 思って、ふと脳裏に一人の人物の姿が浮かぶ。

 神殿騎士の任命権は、国王ではなく別の人物にあったのではなかっただろうか。


「…! そうか……っ! リオンおじ様に直接願い出ればいいのか……!」

「…!? お、待ちくださいお嬢様……っ!! リオンおじ様とはまさか………っ!!?」

「盲点だった! おじ様ならば願いを聞き入れてくださるかもしれない!! そうと決まれば善は急げだ!! 少し出てくる、ヴェル!」


 狼狽えるヴェルなど気にも留めず、リュシエリアーナは外套を掴み、颯爽と扉へ向かう。あまりに展開が急すぎて、対応しきれないヴェルの頭は軽く混乱を極め始めていた。


「え……!? ちょ……っ、お嬢様!!? 出てくるって、どちらへ……!!?」

「決まっているだろう、教会だ。────神殿騎士の任命権を持つのは、国王ではない。千年を生きる教皇、リオンフェルド猊下だ」


 その名を口にした瞬間、廊下の先で控えていた護衛騎士の背が、目に見えてびくりと強張った。


「お、お嬢様……! あのお方に直接、など……! それに先触れもなく訪問なさるなど、あまりに無作法では────」

「案ずるな、ヴェル。おじ様は私に限り、いつ何時訪ねても歓待すると言ってくださった」

「……!!!? お、お待ちください……!! せめて護衛騎士を……!!」


 必死に引き留めようとするヴェルの努力など、一瞬にして水泡に帰す満面の笑みを、リュシエリアーナはそうとは自覚しないままヴェルに送り返して、颯爽と扉をくぐる。


 慌てて後を追ったものの、つい今しがた主が出て行った扉のその先に、すでに主の姿はない。

 後に残されたヴェルは、蒼白な顔で立ち尽くしたまま、ただ一言だけ呟いた。


「────千年を生きる御方に、『おじ様』とは……」

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