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公爵令嬢は辺境伯に愛ではなく忠誠を誓う  作者: 枢氷みをか
序章・出会いと婚約

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小さな誤解・前編

『マレグレン公爵令嬢、絶世の美男子と逢引か!?』


 そんな刺激的な見出しが貴族新聞の一面を大きく飾ったのは、あの騒動の翌朝のことだった。


 本来であれば一面を飾って然るべき、アル・シャン通りを騒がせた強盗団壊滅の一件は、おかげで三面へと追いやられている。

 世間の関心をさらったのは、どうやら王都の治安回復よりも、公爵令嬢の秘められた恋路の方らしい。


 そしてその見出しは、よりにもよって────。


「…………何だ、これは」


 低く、押し殺したような声が零れ落ちた。

 ラファシアンは朝の柔らかな光が差し込む室内で、新聞を手にしたまま石像のように立ち尽くしている。


 視線は、ただ一点。


 そこに記された文字列を、まるで理解を拒むかのように、何度も、何度もなぞっている。


(……逢引……? 絶世の……美男子……?)


 ゆっくりと、言葉の意味が脳内で形を成していく。拒絶したはずの思考は、視界に飛び込む暴力的な活字によって、否応なく残酷な輪郭を与えられることになった。


 その瞬間────。


 胸の奥が、ぞくり、と凍える。

 まるで心臓の内側から氷を流し込まれたかのように、じわじわと確実に、体温が奪われていく。


(……そうか)


 妙に静かな納得が、心の奥底に沈んだ。


(やはり、そうだったか)


 思い返せば、兆しはいくらでもあった。


 あれほど美しく気高い彼女が、誰からも望まれないはずがない。自分のような醜い男がその隣に立てるはずもない事など、最初から判りきっていたではないか。


 それでも────。


(……それでも、私は)


 新聞を握る指に、無意識に力がこもる。


(────ほんのわずかに、期待してしまっていた)


 あの無垢な笑顔を向けられるたびに。

 あの凛とした声音で名を呼ばれるたびに。

 あの隣に立つことを許されるたびに。


 もしかしたら、と。


 だが、それも終わりだ。

 紙面に踊るその見出しは、あまりにも明確に、その幻想を打ち砕いている。


「……愚かだな」


 自嘲が、かすかに唇を歪める。


 自分の立場も、も、何もかも理解していたはずなのに。

 それでもなお、汚れた手を伸ばそうとしていた自分の浅ましさに、吐き気すら覚える。


(……彼女には、彼女に相応しい者がいる)


 それがどこの誰であろうと──少なくとも。


(決して、自分ではない)


 そう結論づけた瞬間、胸の奥に重く沈んでいた何かが、音もなく崩れ落ちた。




 ラファシアンの補佐官であるシエルは、貴族新聞の一面を飾った信じ難い見出しを前に、ただ茫然と立ち尽くしていた。


(な、な、な、何だこれは……っ!)


 心中で絶叫し、鷲掴んだ新聞を眼前にまで引き寄せる。


 公爵令嬢が己の主に対して嘘偽りのない好感を抱いてくれている──そう確信したのは、つい昨日のことではなかったか。

 だというのに、その翌朝には、まるで裏切りを告げるかのような見出しが、嘲笑うかのように新聞の一面を飾っている。


(……やはり公女殿下は、ラファシアン様では不服だということか……? いや、だが────)


 シエルの脳裏に、昨日の光景が蘇る。

 少なくともあの時の彼女は、ラファシアンに対して嫌悪の欠片さえ抱いているようには見えなかった。

 むしろ、誰もが傍に寄ることさえ忌避する主に、彼女は躊躇いもなく触れていたではないか。それも、心から嬉しそうに。


 あれが演技だというのなら、名だたる役者さえ霞むほどの才覚だろう。


 昨日実際に目にした温かな光景と、新聞の冷酷な見出し──その乖離があまりに激しく、どちらに信を置くべきかシエルは激しい混迷に陥った。思考が整わず、慰撫するように額に手を当てる。


(……いや、真偽を問うのは後だ。今はラファシアン様が────)


 案じたシエルの視界に、念頭に浮かんだ人物の姿が横切る。


「……! ラファシアン様!?」


 名を呼ばれて、ピタリと立ち止まる主の背は丸い。

 悄然と項垂れ、力なく丸められたその背からは、深い諦観と絶望に近い寂寥せきりょうが隠しようもなく滲み出ている。


 その反応が何に向けられたものかなど、察するまでもない。


 シエルは、どう声をかけたものかとわずかに口籠くちごもり、ふと彼の装いが、いつもの外出着であることに気づいた。


「え……と。……どちらへ行かれるのです?」


 ひどく躊躇いがちに問われたその質問に、ラファシアンは一拍置いた後、シエルを振り返ることなく答えた。


「………彼女のところへ」


 囁きにも近いその返答が、辛うじてシエルの耳に入る。

 シエルからの返答を待つことなく、ラファシアンは無機質に再び歩みを進めた。


 ────行かなければ。


 このまま曖昧にするべきではない。

 これは自分自身の手で、きちんと終わらせなければならない。


 自分のためではなく。

 すべては、彼女の未来のために。


**


 その頃、当の本人であるリュシエリアーナは、まったく別の意味で朝から落ち着きを失っていた。


「…………これで、ようやく手に入ったか」


 てのひらの上に乗せたそれを、まじまじと見つめる。


 繊細な彫金が施された、小ぶりのイヤーカフ。

 婚約発表の夜会で身に着ける、相手の色を冠した贈り物だ。


 昨日、あの騒動の最中に見失いかけた逸品を、こうして改めて手に入れることができた。これ以上に彼に相応しい品など、この王都をいくら探しても見つからぬだろう。


 胸の奥に、じわりと満足感が広がる。


(これを渡せば、きっと────)


 そこまで思考を巡らせたところで、ふと動きが止まった。


(……妙だな)


 これは、ただの贈り物だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 なのに、この小さな装飾品を手渡すというだけの行為に、妙な緊張が伴っている。


 理由は判らない。

 だが確かに、胸の奥がわずかにざわついていた。


 自分でも理解できないその違和感に眉を寄せた、その時だった。


「リュシー!!」


 勢いよく扉が開かれ、父の怒声が室内に響き渡る。


「……父上? いかがなされた」

「いかがなされたではない! これはどういうことだ!!」


 険しい表情で突き出されたのは、ありふれた貴族新聞。訝しげに目をやったリュシエリアーナの視界に、だが、その一面に大きく踊る見出しが飛び込んできた瞬間、リュシエリアーナはぱちりと瞬いた。


「これは……ちまたで聞くゴシップ記事とやらですか? ……ふむ、『公爵令嬢と手を取り逃げた、絶世の美男子の正体を考察』──なるほど。ある事ない事、面白おかしく書き立てるのも一種の才能ですね」


 紙面を流し読みしながら、どこか感心したように呟く。

 その泰然とした態度に、父は怒りと呆れの入り混じった視線を向けた。


「何を呑気なことを言っている!? 婚約発表を目前にして、このような醜聞が出るなど言語道断だぞ!!」 

「? 何も問題はないでしょう」

「問題がないわけなかろう!! 婚約者がありながら別の男と逢引など……!!」

「別の男? どこにそのような記述が?」

「何を言っている!? ここに大きく書かれているのが見えんのか!?」


 父が激昂と共に指差す先を、リュシエリアーナは目を凝らして何度も読み返す。


 ────『マレグレン公爵令嬢、絶世の美男子と逢引か!?』


 この文字列の中に、至って不可解な点はない。ここにはあくまで、事実のみが記されている。あえて指摘するならば、あれは逢引などではなくデートだということだけだろうか。────あれが果たして、デートと呼べる代物であったかはさておき。


 不審な点はそれだけだ。ましてや『別の男』との不貞など、紙面のどこをひっくり返しても微塵も記されてはいない。


 父の言い分を露ほども理解できず、リュシエリアーナは眉を寄せ、深々と首を傾げた。


「………………ですから、どこに?」

「お前の目は節穴か!? ここだ!! 『絶世の美男子』とあるだろう!!」

「? 婚約者と街を歩く事に何か問題が?」

「……………………は?」

「……………?」


 何やら双方の間で認識の相違があるようだ。何かが決定的に噛み合っていない。

 父娘そろって小首を傾げ、奇妙な沈黙が流れた、その時────。


「……父上。その記事にある『絶世の美男子』は、フォルスタート辺境伯のことですよ」


 呆れを多分に含んだ声が、横合いから差し込まれた。


「兄上!」


 振り返った先には、思った通りの光景に呆れ顔のフォルドエルの姿。


 軽い混乱の中で現れた助け舟に、リュシエリアーナはたまらず、ほっと息を吐く。

 そんな妹を一瞥し、フォルドエルは肩をすくめた。


「こんな事だろうと思いましたよ。リュシーは頭の回転こそ速いが、価値観がズレすぎていて父上と会話が成立しない事がありますからね」

「…………助太刀か、罵倒か。どちらだ、兄上」

「もちろん助けに決まっているだろう? だから新聞を見てすぐさま駆けつけてやったんだ。感謝しろ、リュシー」

「────いや、待て! 待て待て待て!」


 自分を置き去りにしたまま話を転がす実子たちに、父は慌てて割って入る。その顔には、フォルドエルがもたらした情報の整理が追いつかず、猛烈な混迷が滲んでいた。


「……『絶世の美男子』……? あの、フォルスタート辺境伯が……?」

「ですから、何度も申し上げたでしょう。ラファ様は『絶世の美男子』だと。……よもや、まだ信じておられなかったとは」


 ようやく父が何を誤解し、何を言いたかったのかを理解して、リュシエリアーナは呆れをふんだんに含んだ嘆息を漏らした。


 あれほど完璧な造形を持つラファシアンを、言葉を尽くして『美しい』と教えたにもかかわらず、それを信じようとしないこの世界の美意識の根深さには、いつもながら呆れるほかない。


 事実を突きつけられてなお混迷を深める父を尻目に、フォルドエルは妹を一瞥し、意地の悪い笑みを口元に浮かべた。


「それにしても考えたものだな、リュシー。まさかフォルスタート辺境伯の髪色を隠してしまうとは」

「そうだろう? ラファ様が醜いと誤解されているのは、あの髪色の所為だからな。それを隠せば、誰の目にも本来の美しさが認識できるはずだと思ったのだ」


 得意げに頷くリュシエリアーナを軽く笑って、兄はどこか面白がるように続けた。


「実際、神殿騎士たちも昨日は見惚れていたぞ。どこの貴公子だと詰め寄られたほどだ」

「! まさか兄上……! ラファ様だと教えたのではあるまいな……!?」

「いいや、黙っていたほうが面白そうだったからな。何も伝えてはいない」

「そうか……」


 安堵の息が、自然と零れ落ちたところで、ふと疑問に思う。


(……なぜ、私は安堵した?)


 ラファシアンの美しさが世に知れ渡れば、彼は二度と理不尽な蔑みを受けることはなくなる。それは彼にとって、間違いなく救いになるはずだ。


 理屈では、そう理解している。

 だが、心がそれをわずかばかり拒絶する。

 その理由が、どうしても掴めない。

 ただ、胸の奥に引っかかる小さな棘のような違和感だけが、かすかに残っていた。


(……この感覚は)


 ふと、昨日の光景が脳裏に蘇る。


 店員がラファシアンを見つめていた、あの瞬間。思わず、お品書きでその視線を遮った──あの時と、よく似ている。


 あの時もまた、理由など判らなかった。ただ、放置してはならないと、本能のように感じただけだ。


(……一体、これは何だ?)


 結論は出ない。


 だが少なくとも、この感情が自分の中に確かに存在している事だけは、否定しようがない事実だ。


 正体不明の感情が時折顔を出す現状に、リュシエリアーナは苦虫を噛み潰したように眉を寄せる。


 その時、控えめに扉が叩かれた。


「お嬢様。フォルスタート辺境伯がお越しです。応接室にお通ししておりますが、いかがいたしましょう?」

「! ラファ様が? ちょうど良い!」


 思わぬ報告に、リュシエリアーナは弾かれたように顔を上げる。


「すぐに行くと伝えてくれ!」


 ヴェルの報告に瞳を輝かせると、父と兄の存在など意識の外へ追いやったまま、リュシエリアーナは自室を飛び出していった。

 その背を見送りながら、フォルドエルは重く息を吐く。


「……あいつは、判っているのかね」


 ぽつりと、低く呟く。


「フォルスタート辺境伯が、何をしに来られたのか」

お待たせしました。

連載再開です。


あらすじと1話を大幅改稿していますので、ご興味のある方は是非一読ください。

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