デート・三編
リュシエリアーナがラファシアンの手を引き、堂々と喫茶店へ足を踏み入れると、店内には瞬く間にどよめきが広がった。
客たちの囁き声やラファシアンに向ける視線には、隠しようのない熱がこもっている。
だが、それを知らないラファシアンは、突き刺さる視線に肩を強張らせ、客たちがいつ逃げ出すかと内心冷や冷やしていた。
「あ、あの……! リュシエリアーナ嬢……! やはり私は────」
「案ずるな、堂々としていろ。ラファ様は何ひとつ後ろめたい事はしていない」
「!」
その瞬間、ラファシアンの脳裏に、以前彼女が口にした言葉が蘇る。
(もっと、堂々と振舞っていい。貴方は何ひとつ、後ろ暗い事などしていない)
────ずっと、自分は醜く汚らわしい存在なのだと思っていた。
自分自身ですら己を蔑む中で、リュシエリアーナだけは、初めて出会った時から迷いなく自分を肯定してくれた。嫌悪するどころか、あるがままの自分を真っ直ぐに見つめてくれた。
それがたまらなく誇らしく、そして胸の奥が痒くなるほどに面映ゆい。
ラファシアンは、己の手を引く彼女の後ろ姿を、こぼれそうな愛おしさを湛えながら眺めていた。
そうして促されるまま店の奥へと進み、空いている席に腰を下ろす。
居心地悪そうにそわそわとする彼とは対照的に、リュシエリアーナは低く構えるような鋭さで周囲を一瞥した。
(……それ見ろ。やはりラファ様は誰もが認めざるを得ない絶世の美男子ではないか)
頬を染め、見惚れるように熱を帯びた視線を送る客に、男女の別はない。彼の圧倒的な美は、すでに性別という垣根すら凌駕している。
さらに、その美貌に相応しい気品ある立ち居振る舞いが、彼の存在をいっそう尊いものへと押し上げていた。
(……よくもまあ、この美丈夫を、営業妨害などと抜かせたものだ)
呆れ混じりにそう心中で毒づいたリュシエリアーナの視界に、注文を取りに来た女性店員の姿が入る。
間近に迫るラファシアンの圧倒的な美貌に、声をかける事すら忘れて立ち尽くしているのだろう。
ただ茫然と、彼を熱い眼差しで見つめるその姿が、なぜかリュシエリアーナにはひどく不快に映った。
(……何だ、これは)
原因の判らぬ不快感は、ラファシアンに向けられるあらゆる視線からじわじわと這い上がってくる。リュシエリアーナは怪訝そうに眉間へ皺を寄せると、無意識のうちに、苛立ちをぶつけるように指先で一定の間隔を刻み、卓を軽く鳴らした。
彼らの視線がラファシアンに注がれていることが、どうにも気に食わない──それは自覚している。だが、なぜそう思うのかが判らなかった。
彼らの視線に悪意はない。むしろ純然たる好意だ。ラファシアンがこれまで受けてきた不当な扱いを思えば、喜ばしい変化のはず────なのに。
胸の奥をどろりと覆う、この霧の正体が掴めない。
判らないからこそ、なおさら焦燥が募る。
その最中、ラファシアンが戸惑いながらも、立ち尽くす女性店員へ視線を向けたのが目に入った。
「……あ、あの……?」
「っ! も、申し訳ございません……! その……! ご注文はお決まりで────……っ!」
頬を染めながら目一杯、淑やかに声をかける女性店員の言葉と視線を、リュシエリアーナは電光石火の早業で、お品書きを差し込んで遮断した。
自分と麗しい貴公子の間に唐突に割り込んできた厚紙に、店員はたまらず目を丸くする。
「な、なにを────」
「この店で一番人気の甘味を二つ頼む」
「!」
文句の一つも言いたげに眉根を寄せた店員だったが、お品書きを突きつけたままのリュシエリアーナが放つ、戦場さながらの威圧感に気圧され、あえなく口を噤んだ。
「う、承りました……!」
そう言い残し、逃げるように去っていく背を見送ってから、リュシエリアーナは腕を組み、不機嫌を隠そうともせずソファに深く身を沈める。
その、明らかに怒気を孕んだ彼女の様子に、ラファシアンは不安に突き動かされるように、口を開いた。
「あ、あの……リュシエリアーナ嬢? 何か、私の至らぬ点がありましたでしょうか……?」
「!」
不安げに揺れる彼の瞳を見て、リュシエリアーナはようやく我に返る。
「あ、いや……! 何でもない……! あ、ああ、そうだ! 先ほどの店に忘れ物をしたようだ……! 少し取りに戻るから、ラファ様はここで待っていてくれ!」
「え……!? リュシエリアーナ嬢!?」
ラファシアンの呼び止める声も耳に入らないかのように、リュシエリアーナは立ち上がり、まるで逃げるように店を出て行く。
残されたラファシアンは、その背中をただ呆然と見送るしかなかった。
**
(おかしい……)
頭を冷やすついでに外に出たリュシエリアーナは、胸の内に広がる『正体不明の感情』を持て余しながら、先ほどの店へと足を向けていた。
(……なぜ、あのように不快に思う必要がある?)
自問自答を繰り返し、己の中に芽生えた得体の知れない熱の正体を必死に探る。
あれは本来、憤るべきことではないはずだ。
むしろラファシアンにとっては、喜ばしい変化だろう。髪色という偏見を取り払えば、彼の浮世離れした美貌はこれほどまでに人を惹きつける。それを誇らしく思いこそすれ、不快に思う道理がない。
(……彼らの手のひら返しが癪に障った──か?)
それは──ある。
今まで散々、彼を蔑み、路傍の石のようにその存在を軽んじてきた者たちだ。
それが髪を隠した途端、頬を染めて情熱的な視線を向けてくる──その身勝手な振る舞いが、前世での両親を彷彿とさせた。
彼らもまた、幼少期の体の弱かった自分を『役立たず』と蔑んでいた。にも関わらず、剣の才覚を見せ、周囲の評価を得るようになると、今度は手のひらを返して媚を売り始めた。
その時の激しい嫌悪感が、今の不快感に混ざっていることは自覚している。
だが、胸の奥を焦がすようなこの感情の大部分は、また別の場所にある気がしてならなかった。
どれほど思案に耽っても答えには辿り着けぬまま、リュシエリアーナは目的の店に辿り着き、ぴたりと足を止めた。
そして、何の疑いもなく扉の取っ手に手をかけ────気づく。
「!?」
びくともしない、その扉。
(……………………しまった……! ここの扉は、私では開けられないのだった……!)
すっかり失念していた。
同じ失態をつい先ほど犯したばかりだというのに、『扉は開くもの』という先入観と、ラファシアンに悟られぬよう『一人で』買いに来るという気負いから、肝心な制約をすっかり忘れていた。
とはいえ、この扉を開けねば、目的の品は手に入らない。
リュシエリアーナは途方に暮れたように、磨り硝子の向こう側を透かし見た。だが、これでは店内の様子も判らず、店主に助けを求めることすら叶わない。
しばらく思案を巡らせた末、彼女はげんなりと肩を落とし、重い溜息をついた。
(…………致し方ない。誰か通りかかるまで、機を待つとしよう)
そう諦め、店先から数歩離れようとした──その時。
「!?」
背後で、店の扉が爆音を響かせて勢いよく開いた。
リュシエリアーナは反射的に身を翻し、扉を振り返る。視界に飛び込んできたのは、立ち上る白煙の中から、鼻先まで覆う金属製の仮面をつけた集団が怒涛の勢いで飛び出してくる、異様な光景だった。
走り去る彼らの脇には、それぞれが大事そうに白い袋を抱えている。リュシエリアーナは直感的に事態を悟り、煙の渦巻く店内へと迷わず駆け込んだ。
店内には白煙が充満し、視界が悪い。あちこちから咳き込む声が聞こえてくるところを見ると、おそらく数人の客が巻き込まれたのだろう。
リュシエリアーナは素早く辺りを見渡し、床に伏せっている店主らしき壮年の男へと駆け寄った。
「どうした、店主っ!? 何があった!?」
「……ご、強盗です……! 数人の男たちが突然なだれ込んできて……魔鍵がかかっているはずの扉を、無理やり……!」
魔鍵というのは、おそらくラファシアンが言っていた扉の仕掛けのことだろう。
リュシエリアーナは『強盗』という言葉に、双眸を鋭く細めた。
弾かれたように、あのイヤーカフが置かれていた棚を振り返る。
「……っ!」
もぬけの殻となった棚を見た瞬間、彼女の体は思考より先に動いていた。
「神殿騎士に通報しろ!! 不届き者は私が追う!!」
「!? 追うだなんて……いけません! お嬢様お一人では────」
店主の制止は彼女の翻した外套に虚しくかき消され、次の瞬間には、もう店内に彼女の姿はなかった。
**
(……やはり、私が彼女を怒らせてしまったのだろうか……)
一人喫茶店に残されたラファシアンは、席を立つ直前の彼女の険しい表情が頭から離れず、深い懊悩に沈んでいた。
思えば、彼女と出会ってからというもの、自分は情けない姿ばかりを晒している。この『デート』と称した同道にしてもそうだ。人通りの多い道に怯え、喫茶店に入ることさえ足が竦んだ。
女性をエスコートすべき男として、これほど不甲斐ない振る舞いがあるだろうか。
何よりリュシエリアーナは、凛として芯の強い女性だ。そんな彼女の目に、自分という男はどう映っているのか。情けないにも程があると、愛想を尽かされてしまったのではないか。
ラファシアンは自嘲気味に重い溜息を吐き、力なく頭を抱えた。
その時。
「あの……」
不意に、控えめな声がかけられた。
顔を上げると、そこには令嬢らしき女性が二人、こちらを興味深げに眺めている。
「お一人かしら?」
「先ほどから拝見しておりましたが……何かお悩みがあるようにお見受けして。もしよろしければ……」
その思わぬ声がけに、ラファシアンは目を瞬く。
彼女たちにとって、自分のような銀髪は蔑むべき醜い存在のはずだ。それなのに、こうして声をかけられるほど、自分は頼りなく、放っておけないほど惨めに見えているのだろうか──。
己の不甲斐なさが、いっそう身に染みる。
ラファシアンは鬱々とした感情を押し殺すように、もう一度小さく息を吐いてから、彼女たちを静かに見返した。
「いえ……連れは今、席を外しておりますので」
「まあ! ではお連れ様が戻るまで私たちとご一緒いたしませんこと?」
「私たちでよろしければ、ご相談に────」
「失礼」
ラファシアンは唐突に、彼女たちの続く言葉を片手で制した。その視線はすでに令嬢たちにはなく、窓の外の情景に釘付けになっている。
何かがあったのだろう。妙な喧騒と、肌を刺すような緊迫感が街に広がっている。
一抹の胸騒ぎが、彼の背筋を駆け抜けた。
ラファシアンは令嬢たちに短く一礼すると、弾かれたように店を飛び出した。
その瞬間、耳を疑う叫び声が、暴力的なまでに耳に飛び込んできた。
「おい! 強盗だ! また、やられたらしいぞ!」
「! またか! ここ最近、立て続けだな……。今回はどこの店だ?」
「二つ先の角を曲がったところにある、装飾品店だそうだ!」
「!」
ラファシアンの脳裏に、先ほど訪れたばかりのあの店の情景が鮮烈に蘇る。
よりにもよって、今リュシエリアーナはその店に、忘れ物を取りに戻ったのではなかっただろうか。
(まさか……!?)
思考よりも先に、足は駆け出す。
角を曲がると、開け放たれた店の扉から立ち上る白煙と、咳き込みながら這い出してくる店主の姿が目に飛び込んできた。
「店主! 大丈夫ですか!?」
「……っ! 貴方は、先ほどの……!」
店を訪れてからそれほど経っていないからだろうか。ラファシアンの顔を覚えていた店主は、救いを求めるように彼に縋りついた。
「大変です……! お連れ様のお嬢様が、お一人で強盗団の後を追われて……!」
「!」
最悪の予感が的中し、ラファシアンは驚愕に目を見開く。
即座に意識を研ぎ澄ませ、周囲の空間に潜む微細な魔力の揺らぎを探った。
「お嬢様はあちらの通りへ────」
「いえ、あちらにはもういない」
迷いなく断定する彼の視線は、店主が指し示した方向とは全く違う、明後日の方向へと向けられている。
店主が怪訝に思う暇もなく、彼は迷いのない足取りで路地裏の薄暗がりへと駆け出していた。




