デート・一編
「それで、どちらに向かいますか?」
屋敷を出てほどなく歩いたところで、ラファシアンがそう問いかけてきた。
仰ぎ見た彼の容貌は、深く被ったフードの隙間からでもはっきりと分かるほど、鮮烈に整っている。陽の光を背に受けたその横顔は、まるで白銀の彫像のように端整で、思わず見惚れてしまうほどだった。
そんな自分の美貌に無自覚な彼は、小首を傾げてリュシエリアーナを見下ろしている。
(……まるで後光が差しているようだな)
背後から差し込む陽光をまとったその姿は、あまりにも尊い。思わず手を合わせ拝みそうになる衝動を理性でねじ伏せ、リュシエリアーナは思案するふりをして視線を外した。
「そうだな……アル・シャン通りに付き合ってもらえるか?」
「! ……アル・シャン通り。買い物、ですか?」
驚きに目を見開くラファシアンに、リュシエリアーナはにこやかに頷いた。
『アル・シャン通り』。
そこは、貴族御用達の高級店が軒を連ねる、王都でも随一の華やかさを誇る場所だ。
白亜の石畳は塵一つなく磨き上げられ、並び立つ建物には宝石を散りばめたかのような精緻な装飾が施されている。香水店から漂う甘く気品ある香りと、仕立て屋の店先に並ぶ上質な生地の匂いが空気に溶け合い、窓にはめ込まれた高価な魔法硝子は、夕暮れともなれば魔鉱石の灯りを受けて妖精の羽ばたきのようにきらめく。
宝飾、仕立て、調香、高級喫茶――神聖国の『贅』の粋を集めたその通りは、庶民の喧騒とは隔絶された、まさに高貴なる者たちのための箱庭だった。
そのアル・シャン通りのきらびやかな印象と、目の前の彼女が持つ飾り気のない高潔さが、ラファシアンの脳内で結びつかない。彼は不思議そうに瞬きを繰り返した。
「何か入り用ですか?」
「少し探し物があってな」
「……そう、ですか」
ぽつりと呟き、ラファシアンは改めて彼女を盗み見る。
今の彼女は、装飾品と呼べるものを何一つ身に着けていない。ラファシアンが華やかに着飾った彼女を見たのは、婚談の儀と誓約の初会の二度きりだ。
(………ああいった類のものを、好まないのだと思っていたが)
彼女もやはり女性なのだ。
装飾品や宝石に心惹かれることもあるのだろう──そんな年相応の女性らしい一面を想像し、ラファシアンの胸にわずかな温もりが宿った。
「ああ……! では、私がそれを貴女にお贈りしましょうか」
「!」
思わぬ申し出に、リュシエリアーナは目を丸くする。
「い、いや……! 申し出は本っっっ当に有り難いが、これは私に買わせてくれ!」
何せ、彼への贈り物を探しに来たのだ。それを本人に買わせるなど、本末転倒にもほどがある。
あまりの慌てように、つい拒絶の色が強く出てしまったのだろうか。ラファシアンはあからさまに肩を落とし、寂しげな陰りを瞳に宿した。
「そう……ですか……」
力なく呟く姿に、リュシエリアーナの胸が罪悪感でちくりと痛む。彼の頭の上に、しょんぼりと垂れ下がった犬の耳が見えるような気がするのは、果たして幻覚だろうか。
(………なぜだか妙に愛らしいな)
彼が大型犬に見えるような気がして、苦笑と共に胸中で思わずそう呟く。
仕切り直すように一度小さく咳払いしてから、リュシエリアーナは気まずさを誤魔化すように、さりげなく話題を変えた。
「あー……、ラファ様は、その……何か装飾品を身に着けたりはしないのか?」
先ほど失敗に終わった『敵情視察』の再敢行である。
本人に直接訊ねるなど、策としては下の下だ。勘付かれはしまいかと内心で冷や汗をかきながら、わずかに言葉をたどたどしくさせ、彼女はあらぬ方向へ視線を逸らして問いかけた。
「装飾品、ですか?」
返ってきたのは、拍子抜けするほど不思議そうなオウム返しだった。
「ラファ様が装飾品を付けているところを見たことがないからな。その……興味はないのかと」
過去二度の公式な場で、彼は立派な正装を纏っていたが、宝飾の類は一切身に着けていなかった。辺境の地を死守してきた功績を鑑みれば、胸元に勲章の一つや二つあってもおかしくはないはずだ。
だが、その誇り高き証すら彼の胸を飾ることはなかった。
こうなると、彼が意図的に装飾品を避けているのではないかとすら思えてくる。
そんな不安が的中したかのように、ラファシアンは自嘲気味に、困ったような笑みを浮かべた。
「……私のような者が装飾品など身に着けても、滑稽なだけですから」
予想通りの返答に、リュシエリアーナは途方に暮れたように苦笑を漏らす。
(……そういえば、婚談の儀でも似たようなことを言っていたな)
『醜い私ごときが、このような華美な装いに身を包むなど──』
彼の正装を褒めた際に零れ落ちた言葉が、鮮明に脳裏をよぎる。
彼の中に長年居座り続けた劣等感は、容易く拭えるものではないのだろう。この歪んだ美醜観が支配する世界では、当然と言えば当然だ。理不尽な拒絶を幾度となく繰り返されれば、人は嫌でも諦観を抱くようになる。
とはいえ────。
(このままでは、ラファ様に贈る物がなくなってしまう……)
女が男に贈れるものなど、装飾品くらいしか思い浮かばない。
ブローチしかり、兄が贈られたというカフリンクス一式しかり、だ。
(懐中時計という手もあるが、あれは基本、懐に忍ばせるものだからな)
それでは周囲に互いの色を示せない。
リュシエリアーナはわずかに思案した後、意を決してラファシアンを真っ直ぐに見据えた。
「では、質問を変えよう。ラファ様が身に着けるか否かはひとまず置くとして……装飾品そのものは嫌いではないか?」
「? え、ええ……。宝石などは、純粋に綺麗だとは思いますが」
彼女から放たれる妙な気圧おされるような圧に戸惑いつつも、ラファシアンは不思議そうに肯いた。その返答に小さく勝ち鬨でも上げるように拳を握る彼女を見て、ラファシアンはますます小首を傾げる。
その時ふと、今から自分たちが向かおうとしている道の先に視線が流れて、彼はぴたりと足を止めた。
「ラファ様?」
「あ……ええ、その……この道を進むのですか?」
「? ああ、この道がアル・シャン通りへの最短の路だろう?」
「そ、そうですね……」
気まずそうに視線を落とし、消え入るような声で呟く。
その様子を訝しげに見つめていたリュシエリアーナは、ふと前方の光景へ視線をやり────ようやく気付いた。
(……ああ、そうか。この道は、人通りが多いのか)
公爵邸にほど近い界隈であれば、まだいい。
あの辺りは貴族の屋敷が多い通りだ。庶民が歩く事はほぼないうえ、貴族は馬車で移動する事が常だから、人通り自体少ない。
だが、屋敷街から一筋外れたこの大通りは、王都の活気が入り混じる市街地だ。実際、数歩足を踏み入れただけで、先ほどまでの静寂が嘘のように人の気配が濃くなっている。
彼は、無遠慮に向けられる群衆の視線が怖いのだ。
(……普段は人目を避け、裏道を選んで歩いているのだろう。髪色を隠すような真似は本意ではなかろうが、かといって、わざわざ蔑みの視線に身を晒す道理もない)
立ち止まり逡巡する彼の内心を慮り、リュシエリアーナは小さく吐息をこぼした。
俯くラファシアンを真っ直ぐに瞳に映すと、彼女は淀みのない足取りで歩み寄り、躊躇う彼の手を迷わず取った。
「案ずるな、ラファ様。行こう!」
「!」
凛とした晴れやかな笑顔を向け、リュシエリアーナはラファシアンの手を引いて力強く歩き出す。
己を導く彼女の手は、想像以上に温かかった。
その熱が、不安に竦んでいた心を静かに、けれど確かに溶かしていく。
驚きで一瞬呆けたラファシアンは、だがその温もりに促されるように、唇の端に仄かな笑みを浮かべた。
「……はい」
人通りの多い道をこれほど気兼ねなく歩いたのは、生まれて初めてのことだった。
これまでは、人目を避けるように裏道を好んで歩いてきた。それでも不意に浴びせられる視線は、決まって冷ややかで鋭いものだ。今もやはり、周囲の視線はこちらに向けられている。
だが、なぜだろうか。いつも突き刺さるように感じていた痛みを、今はほとんど伴わない。
(……彼女が隣にいるというだけで、これほど世界は変わって見えるのか)
先ほど固く握り合った手は、今はもうそれぞれの位置に戻っている。それでも一度触れたあの温かさは、今も掌に鮮やかに残っていた。
胸に込み上げる感慨に静かに浸るラファシアンとは対照的に、リュシエリアーナは彼の周囲を取り巻く視線の正体に気づいていた。
(……やはりな。髪色を隠せば、ラファ様は誰もが認める絶世の美男子だ)
内心で独りごち、リュシエリアーナはさりげなく周囲を観察する。道行く人々の瞳は、吸い寄せられるようにラファシアンへと向けられていた。その誰もが、男女の別なく頬を朱に染めている。
彼に向けられる熱い眼差しは、純然たる好意と憧憬によるものだ。かつて向けられていた嫌悪混じりの視線とは、根本的に質が違う。だからこそ、彼の心を切り裂くような痛みにはならないのだろう。
もしもっと早い段階で彼が髪色を隠す決断を下していたならば、彼の中に根付いた劣等感も、ここまで深いものにはならなかったかもしれない。
(……まあ、言っても詮無い事だがな)
人知れず小さく嘆息を漏らした直後、前を歩く二人連れの若い女の鞄から、ふわりとハンカチーフが零れ落ちるのが見えた。
「あ……」と声を上げる間もなく、隣にいたラファシアンが動く。彼は何気ない、けれど無駄のない優雅な所作で、その布を鮮やかに拾い上げていた。
「落としましたよ」
そう声をかけた瞬間、ラファシアンはふと我に返った。
────醜悪な自分が触れた物など、彼女たちは快く受け取ってくれるだろうか。
リュシエリアーナと肩を並べて歩く高揚感に、見苦しいほど浮ついていた。だから、深く考えもせず咄嗟に手を伸ばしてしまったのだ。
(……きっと、嫌悪と痛罵を向けられるに違いない)
呼び止めてしまった手前、逃げる事も出来ずに、ただ沙汰を待つように固まるラファシアンを、二人連れの若い女たちは振り返る。
その瞬間。
「!」
視界に映った人物の、圧倒的な美────この世のものとは思えぬ美貌を湛えた紳士が、自分たちのために足を止め、あろうことか声までかけてくれた。それも、優しく甘い声で。
その衝撃に、彼女たちはもう言葉が見つからない。
真っ赤に上気した顔を伏せ、慌てて頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……!」
そのままラファシアンの手からハンカチーフを奪うように受け取ると、二人は小さく黄色い悲鳴を上げて走り去っていった。
「ねえ、見た……!? さっきの方……!」
「信じられない……! すごいよねー!」
立ち去り際にそんな言葉を交わす彼女たちの頬には、まだ赤い余韻が残っている。
その声音にも態度にも、もはや嫌悪の気配は微塵もない。
(……これは圧巻だな)
見事な掌返しに、リュシエリアーナは詠嘆に近い吐息を漏らす。
だが隣を見れば、当の本人は────。
「……………悲鳴を上げられた」
(……………やはりそう捉えるか)
苦笑さえ通り越した盛大な誤解に、リュシエリアーナは目を細めて嘆息した。
よもや、あれほど明白な『好意』を『拒絶』と受け取るとは。彼の中に根を張る劣等感という名の毒は、想像以上に深く回っているらしい。
(……できればラファ様には、これ以上傷ついてほしくはないが)
理不尽な悪意に晒されるのは、彼が醜いと誤解されているからだ。ならば周囲に、彼が本当は美しいのだと知らしめればいい。
だがそれ以上に、彼自身の心に巣食う先入観を払拭する必要がある。
おそらくそれが一番、骨が折れそうだ。
そう思案に暮れるリュシエリアーナの耳に、ラファシアンの小さな呟きが届く。
「それでも────」
見れば彼は、ぼそりと呟きながら自身の掌を愛おしげに眺めていた。
「……受け取ってもらえた」
たったそれだけのことが、彼にとっては至上の喜びなのだ。
そのあまりに無垢でお人好しな反応に、リュシエリアーナはたまらず頬を緩めた。
────だからこそ、彼の幸せを願わずにはいられないのだ。
リュシエリアーナは、励ますように彼の背を軽く叩く。
笑顔を返す彼女に促されるように、二人は再びアル・シャン通りへと歩を進めた。




