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公爵令嬢は辺境伯に愛ではなく忠誠を誓う  作者: 枢氷みをか


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婚約破棄から始まる物語

 この世界の美的感覚は少し────いや、異様なほどかなり変わっている。


「……リュシエリアーナ=マレグレン公爵令嬢。この度、王太子アレクスフォード=ギルリアンとの婚約を破棄するものとする…!」

「はい…!謹んでお受けいたしますわ、陛下」


 苦渋に顔を歪めて絞り出すように告げる国王とは裏腹に、婚約破棄を言い渡された張本人であるリュシエリアーナは、満足そうな満面の笑みを浮かべながら抵抗する事もなく素直にそれを受け入れた。


 ─────よくある断罪イベントなどではない。

 確かに婚約者であった王太子アレクスフォードは、婚約者がいる身でありながら、あろうことか別の女性に(うつつ)を抜かした。それもリュシエリアーナよりも爵位の低い令嬢、そして『妖精王の愛し子』と言われる、ここフォルトゥナータ神聖国では聖なる存在であるシエナ=モルドレッド男爵令嬢に─────。


 普通ならば、それに怒りを覚えるはずだろう。婚約者がいながら別の女性に心奪われるなど言語道断である。泥棒猫の如く婚約者を奪ったシエナに対して怒りと嫉妬を覚え、苛めに苛め抜いて高笑いをしてもきっと咎められるようなことではないはずだ。


 だがそうしなかったのは、彼らの仲を取り持ったのが他ならぬリュシエリアーナ自身だからである。




 ─────フォルトゥナータ神聖国。


 ここは『神聖国』という名が示すように、最も権力を有している教会の絶対的支配者『神寵者(教皇)』から国を預かっている、という(てい)を整えた王族が統治している国である。


 『妖精王の愛し子』はそんなフォルトゥナータ神聖国に代々伝わる、いわゆる聖女に近しい存在だ。数百年に一度世界に降り立ち、聖なる力を持って魔物や瘴気から国を守る存在だと言われている。そんな『妖精王の愛し子』の椅子に座る事になったのは、爵位も低く正妻の子ではない、いわゆる庶子の生まれであるシエナ=モルドレッド男爵令嬢だった。


「……本当に何と詫びればいいか……。…確かに『妖精王の愛し子』は王家に嫁ぐのが習わしだが、私は当人たちの気持ちを優先させるつもりだったと言うのに……!」

「まあ、おじ様。お詫びなど必要ありませんのよ?わたくしは再従兄(はとこ)でもあるアレクス兄さまの幸せを願っておりますもの」


 リュシエリアーナの父は、現国王であるギリアム=ギルリアンの従弟(いとこ)に当たる。リュシエリアーナから見れば現国王は従兄伯父という身内でもあるので、内々で話す時などは気安く『おじ様』と呼ぶ関係だ。


 苦々しい表情を取る国王ギリアムとは違ってまるで意に介さないと言った風のリュシエリアーナに、だがそれでも憐れむような視線をギリアムは送った。


「お前は何て優しい子だ、リュシー…!!私はお前が実の娘になってくれる日をどれほど待ち焦がれたことか…!!お前ほどの絶世の美人を振るなど、アレクスの目はきっと腐りきっているのだ……!!!」

「………………父上、それは言い過ぎというものです」

(その通りだ、アレクス兄さま…!)


 バツが悪そうにしながらも小さく反論するアレクスフォードに便乗して、リュシエリアーナも内心で同意を示す。ちなみに同意を示したのは、アレクスフォードがおそらくその対象とした『アレクスの目は腐りきっている』という文言ではなく、『絶世の美人』という文言だ。


 ─────そう、この国で絶世の美女と名高いリュシエリアーナ=マレグレン公爵令嬢を知らない者はいない。皆、その姿を一目見ようと躍起になり、その姿を見た者は必ず恋に落ちると言われるほど美しい容姿をしている─────と、されている。


(噂に尾ひれは付き物だと言うが、尾ひれどころの話ではないな……)


 自嘲気味に独白を落としたこの言葉は、決して彼女の謙遜などではない。

 リュシエリアーナの容姿は例えるなら中の上といったところだろうか。品のある凛とした面差しの中に愛らしさが残る顔つきではあるが、決して美人と言われるような容姿ではない。


 そんな容姿でも『絶世の美人』と言われるのは、髪色がとても濃い色────漆黒だからである。この黒く艷やかな美しい髪こそ、リュシエリアーナを『絶世の美人』と言わしめる所以なのだ。


 そう、つまりこの世界での美的感覚は、『髪色の濃さ』で人の美醜が決定付けられるのだ。

 濃い髪色であればあるほど美人であり、逆に薄ければ薄いほど醜悪とされる。────ここはそんな(いびつ)な世界だった。


 そんな世界で生を受け、そんな世界で育ったにもかかわらず、この世界を『(いびつ)』だと感じるのは、他ならぬリュシエリアーナがこの世界の生まれではないからだ。


 ─────否。


 正確にはリュシエリアーナ自身はこの世界の生まれである。その体に宿る精神が、この世界の生まれではないのだ。────いわゆる『異世界転生』というものである。


 彼女がまだ二歳の時、大病を患って生死の境を彷徨った(のち)、目覚めたリュシエリアーナの記憶に自分ではない自分の記憶が流れ込んできた。


 彼が育ったのは『日ノ本(ひのもと)』と呼ばれる小さな島国の『駿河国(するがのくに)』。そこの弱小大名の息子に生まれた彼は、体が弱く体格も随分小さかった。武士の生まれでありながら病弱で小さな体を散々馬鹿にされ、親でさえ不甲斐ない息子だと侮蔑の目を向けてきたが、彼には唯一誇れるものがあった。


 それは『剣術の才能』。


 小さく弱い体からは想像できないほどの剣術の才能があった彼は、年を追うごとに頭角を現していった。いつしか駿河一の剣豪だと称賛の声が上がり始めた頃、病弱な体が災いして二十歳(はたち)を迎える前に帰らぬ人となったのだ。


 そうして次に目覚めた時、彼は見も知らない幼女の中にいた。

 その時の衝撃を、何と言い表そうか。


 見たこともない建物に、見たこともない調度品。そして周囲にいる人の容姿は明らかに日本人のそれとはかけ離れていた。瞳に映る何もかもが初めて目にする物ばかりで、そのどれもが筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい光景だった。唯一、鏡に映る己の姿に馴染みの強い黒髪があって、たったそれだけでひどく安堵したことを昨日のことのように覚えている。


 ─────ああ、きっと自分は死んで、異国の地の異人に輪廻転生を果たしたのだ。


 異国の地がどういうところで異人がどういう人種であるのかさえ、時折噂に聞く程度だった。そんな浅い知識しかなかった彼が、ここを異国の地だと勘違いするのも当然の成り行きだろうか。


 だが幾ばくもかからぬうちに、彼はここが異国の地などではなく、自分がいた世界ではない別の世界────いわゆる『異世界』だと気づくことになる。その大きなきっかけになったのが、この世界に当たり前のようにある『魔法』だった。何もないところから炎や氷を出し、風を使って空を飛ぶ事もできれば、瞬時に思い描いた場所へ移動できる魔法まである。その御伽噺よりもなお信じがたい光景を見て、彼────リュシエリアーナはついに考える事を放棄した。


 ─────とにかく、この世界にあるものをあるがまま受け入れよう。


 そう心に誓って安穏な七年間を過ごした(のち)、リュシエリアーナは人生で二度目の衝撃に襲われることになる。


「喜べ、リュシー!お前が王太子の婚約者に選ばれたぞ!」

「……………………こん…やくしゃ?」


 父であるマレグレン公爵が嬉々として報告したその内容を理解するのに、九歳のリュシエリアーナは困難を極めた。何せ戦国時代に『婚約者』という言葉は存在しない。それがどういう意味の言葉なのかが判らず、リュシエリアーナは眉根を寄せて小首を傾げた。


(……役者の一種だろうか?)


 言葉の音の印象で何とはなしにそう思ったリュシエリアーナに、父を続ける。


「これから本格的に王妃教育が始まる!心を引き締めて臨むのだぞ、リュシー!」

「…?……王妃教育?なにゆえ私が王妃教育を?」

「何を言っている?王太子の婚約者になるという事は、次期王妃になるという事だぞ?リュシー」

「…………次期……王妃………?」


 その言葉の意味を吟味するようにぽつりと呟いて、リュシエリアーナはようやく『婚約者』に代わる言葉を見つける。


「それは……っ!!!許嫁(いいなずけ)という事ではありませんか……っっっ!!!!!」

「そうとも言うな」


 どうだ、朗報だろう?と闊達に笑う父とは裏腹に、リュシエリアーナの顔は蒼白になった。

 青ざめた顔を俯かせ、なぜ気づかなかったのだろうかと自問自答する。


 ─────そう、賢明な読者諸君はここまで読んで、きっとすでにお気づきだろう。彼女は確かに『女』ではあるが、彼女の中にいる『彼』はまごう事なき『男』なのだ。『男』が『男』に嫁ぐなど、これほどおぞましい事はない。


「お、お待ちください父上殿!!!!!その婚姻!!!考え直してはいただけませんか!!!!?」

「……ん?なぜだ?次期王妃になれるのだぞ?これほどよい縁談など、どれほど探しても見当たらないだろう?」

「よい縁談などではございません!!!なぜ私が男に嫁がなければならぬのですか!!!?」

「……………リュシーが女の子だからではないのか?」

「……………!?」


 寝耳に水の父の返答に、リュシエリアーナは目を見開いたまま唖然とした。


(そ、そうか………!?失念していた……!!今の私は女子(おなご)だった……っっ!!)


 青天の霹靂とはまさにこのことだろうか。リュシエリアーナは九歳にしてようやく、自身の本来の性別を認識したのだ。

 そして同時に、己の運命を悟る。

 女が男に嫁ぐのはごく当たり前のこと。いくら中身が男と言えど、この体は性別でいえば女なのだ。どれほど抗っても、ゆくゆくは必ず男のもとに嫁ぐ運命なのである。


(そ、それだけは嫌だ……っっ!!!)


 本音を言えば、今世では剣術を極めたいのだ。

 前世では志半ばで生涯を終えてしまった。たとえこの体が女であろうとも、剣術を極める事は出来るはずだ。もとより前世でも体が小さく力が弱い中で、駿河一の剣豪という(ほまれ)(ほしいまま)にした。たかだか性別が女になったところで大した障害ではない。


 そう心に秘めていたからだろうか。リュシエリアーナは失念していた。

 自分が『女』である事と、その先にある『婚姻』という障害がある事に─────。


(嫁ぐという事は、男と肉体的な接触が必ずあるという事だ……!男である私の体に、男の手が触れるのだぞ……!!)


 正確には体は女なのだが、それでも心が男であるだけに、その時のことを考えると(おぞ)ましく身の毛がよだち、鳥肌が立って仕方がない。


 ぞわぞわと言いようのない不快な感触が背筋を這って、一度小さく身震いするリュシエリアーナに父は訝しげに顔をしかめた。


「どうした?リュシー。相手は王太子であらせられるアレクスフォード殿下だぞ?お前もアレクス兄さまと呼んで慕っているではないか?」


 もはや、そういう次元の話ではない。

 確かに、再従兄(はとこ)でもある二歳年上のアレクスフォードに対して、好感は抱いている。彼は穏やかで優しく誠実な人物だ。だからこそ安心して甘えていたし、四つ上の実兄と同様、兄のように慕ってもいた。肝心の容姿も、それほど悪いわけではない。いや、むしろ今の彼の顔立ちから推測するに大人になれば十中八九、精悍な顔つきになる事だろう。自分が本当に女であれば、きっとこの縁談は父が言うように幸せな婚姻になるはずだ。そう、本当に自分が正真正銘、女であれば─────。


「……一体何が不満だというのだ?」

(……………アレクス兄さまがよりにもよって『男』だからだ)


 ─────とはさすがに言えない。


(精悍な顔つきになるということは、それだけ男らしくなるという事だ……!男である私の伴侶に、男らしさは必要ない……っ!!)


 ─────とも言えない。


 何ひとつ言い返す事の出来ないリュシエリアーナを置き去りにして、父はため息一つ落として毅然と言い放った。


「……これは王命だ、リュシー。お前がどれほどこの婚姻を不服だと思ってはいても、決して覆す事はできん。諦めなさい、リュシエリアーナ」


 ─────あれから苦節九年。王太子との婚約破棄を目指し悪戦苦闘した結果、晴れてこの日を迎えたのである。


(神よ……!感謝いたします……!!)


 リュシエリアーナの背におずおずと声がかけられたのは、内心から溢れ出る喜びを隠しきれないのか、一人悦に入ったように満面の笑みを(たた)えて神に祈りを捧げた時だった。


「……あ、あの……!本当に申し訳ございません……!リュシエリアーナ様……!!」

「…!」


 意を決したように頭を下げたのは、婚約破棄に至った原因─────シエナ=モルドレッド男爵令嬢だった。


「け、決して殿下との婚約破棄を願ったわけではないのです…!!殿下への想いは胸に秘めたままでいようと……!!なのに……っ、どう詫びれば………!!」

「………シエナ…」


 蒼白な顔で肩を震わせるシエナと、そんなシエナに心配そうに寄り添うアレクスフォードの仲睦まじい姿が、振り返ったリュシエリアーナの視界に映る。


 素直にお似合いの二人だと、リュシエリアーナは思っていた。負け惜しみでも強がっているわけでもない。そもそもアレクスフォードに特別な感情を抱いていないので、嫉妬心に類する感情が湧いてくることは皆無だ。何より彼女の人柄が、リュシエリアーナは好ましかった。


 シエナ=モルドレッド男爵令嬢は、愛らしく控えめで物静かな令嬢だった。庶子であることを揶揄われる事もあったが、それに不貞腐(ふてくさ)れる事もなく健気に前を向き、困った人がいれば迷わず手を差し伸べる事の出来る優しい心根の持ち主だった。女である自分から見ても────いや、男の自分でさえ思わず惹かれてしまいそうになるほどだ。中身が男である自分が伴侶になるよりもずっと、アレクスフォードは幸せになる事だろう。


 互いに惹かれ合っている事が何とはなしに伝わってきた事も手伝って、だからこそ兄同様に慕うアレクスフォードの婚約者にと仲を取り持ったのだ。─────いや、もっと正確に言うならば、そんな二人の恋心を好機だと判断して、婚約破棄という自分の目的遂行のために利用した、というのが最も適した言葉だろうか。なのにあれほど申し訳なさそうに謝罪されては、痛まなくてもいい胸が罪悪感で疼いて仕方がない。


 リュシエリアーナはそんな罪悪感をひた隠すように聖母のような微笑みを浮かべて、抱く必要のない罪悪感に胸を痛めているシエナの手を優しく持った。


「謝罪など必要ありませんわ、シエナ様。私は今でも、シエナ様を友人だと思っておりますのよ?大好きな友人であるシエナ様と、兄のように慕っておりましたアレクス兄さまが人生の伴侶になってくださるのであれば、これほど喜ばしい事はありません。だからどうか、お二人を祝福させてくださいませ。そして心から、お二人の幸せを祈っております」

「リュシエリアーナ様……!」

「リュシー……!」


 自分の目的のために二人の恋心を利用したのだ。せめて幸せになってくれなければ、持て余した罪悪感で気が咎めて、せっかく訪れた晴れ晴れしいこの日が台無しである。


 微笑みの下に隠されたリュシエリアーナのそんな下心になど微塵も気づかず、ただ純粋に感極まって瞳を潤ませる二人にリュシエリアーナは勝利を確信する。


(これでようやく、自由を手に入れた……!)


 もう婚姻などする必要はない。神殿騎士となって思う存分剣術を極めるのだ。


 ────それが泡沫(うたかた)の夢などと露とも思っていないリュシエリアーナは、その短い春を短いと認識することなく謳歌するのだった。

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