第88話 物語の始まり
当初はどうなることかと思っていた、華月会と風紀会のライバルサロン合同の文化芸術大会は、思いの外とんとん拍子に事が進んだ。
できるのかどうかと心配していた協力体制も、決を採って定めるべき事柄も、現時点では滞りなく進んでいる。
大会における催し物の内容は演劇。この内容と、各々の人員に課すべき役割は決まった。
演劇の内容は、脚本係となったベルト発案の、ロマンス劇だ。既存の有名なロマンス小説を参考に、新しい解釈と場面を加えたものになっている。
まだ細かな台詞などは決まっていないが、簡単にまとめられた劇のプロットは中々に面白く、読書や観劇が好きなエリーヌからしてみても、出来の良いものだと分かる仕上がりだ。これでただ見るだけであれば完璧だったのだが、演者となると如何ともしがたい。
演劇の内容は無事に決まり、役割の方もエリーヌ達代表者の采配により決定した。
脚本制作係はベルト。小道具や諸々当日に必要になる物品の準備は、中等部生を中心に、高等部の人員が指示を出す形で随時行うことになった。指示係以外の高等部生は、大半が演者として出演する。
実行委員の仕事がある風紀会の穴は、随時華月会の人員が埋める。そうした臨機応変な指示出しはアンナが受け持ってくれることになった。
そしてもう一つ。
舞台で必要になる衣装を、ソフィが一任されてくれた。
というのも、彼女からの申し出で、衣装一式を作らせてほしいとのことだった。
「お一人では時間がかかるでしょう? 小道具と同じく、中等部生に手伝ってもらった方が……」
「あ、はい! 細かな作業では手を借りようかなと思っているんですけど、デザインなどの主になる作業は、是非私にやらしてほしくて……!」
ソフィのその言葉は、任せてくれという責任感を負うものというよりは、自ら進んでやらせてほしい、そうさせてくれというような懇願に近かった。
「しかし、予算に限りがあるからな。あんまり良いものは作れないと思うぞ?」
クロエからもそんな真っ当な指摘が飛ぶが、ソフィは首を振る。
「もし予算オーバーしても、私のアトリエが自費で素材を準備するから大丈夫です」
「いやいや、良かねぇよ!」
「そうですわ。自腹を切るだなんてそんな……」
ソフィの言葉を、クロエとエリーヌは拒否するが、彼女の態度は頑なだった。
「ようやく、前にしていただいたことのお礼ができるんです。是が非でも、良いものを作らせてください!」
そう言って折れないソフィの願いに、クロエとエリーヌの方が折れ、衣装制作係はソフィに決定した。
細かな作業で人手の必要なものには手を借りつつ、おおよそ彼女に一任する形だ。
演劇の内容に合わせ、それに必要な物品をリストアップし、予算案を作ることもできた。
そういうわけで、文化芸術大会に向けて本格的な準備が始まった。
勿論主役は、クロエとエリーヌである。
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とある国の姫君は、王城という箱庭で、慎ましやかに暮らしていた。
決められた公務、決められた食事、決められた所作——姫君はそんな生活に、狭苦しさを感じていた。
そんなある日、姫君は庭園で、王城に侵入した物盗りの少年と出会う。
姫君の知らない世界からの尋ね人に、思わず彼女は心を躍らせた。
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「始めこの少年は泥棒然としていて、粗雑で荒々しいのだけれど、淑やかな姫君の清らかな心根に当てられて、次第に心を入れ替えるの」
脚本の元となった小説を開き、エリーヌはそう言った。
その対面で、つまらなそうに話を聞いているクロエに向かって。
「へぇ。で、あたしがその少年の役と」
「あら、狼さんにはピッタリね」
ニコニコと言ってのけるエリーヌに、クロエは溜息を吐く。
いよいよ文化芸術大会の準備が本格的に始まり、日々のサロン集会では、本番に向けての準備が始まった。
現状は必要な道具等の準備、その指示出しをエリーヌ達は行っているのだが、思いの外早く脚本が完成しそうだとベルトから報告を受けた。
エリーヌ達は主役。勿論演劇においてその練習をするわけだが、その前段階として、脚本に使われた小説の内容を確かめるため、エリーヌがクロエを部屋に呼んだのだ。
「このお転婆な姫君も、お前にそっくりだぜ」
「まあ、嬉しいわ、姫君にそっくりだなんて」
「都合のいい耳だな」
不満げなクロエに対し、エリーヌは楽し気だ。
自分が演技をするという気恥ずかしさは無きにしも非ずだが、経験のない新たな挑戦に大変面白さを感じている。
その挑戦を、クロエと共に、秘密を隠しながらするというのだから、楽しさもひとしおだ。
「ったく、調子に乗ってボロを出すなよ」
「心配性ね。もう慣れたものでしょう?」
「その慣れってのが一番恐ろしいんだぞ」
「それもそうね」
大会の為に華月会と風紀会が集まってからも、二人はこうして部屋に集まっているが、あまり学校での話はしていない。
というのも、この場で話をすることで、学校での話し合いに矛盾を生ませないためだ。
聞きたいこと、知りたいことは、学校で集まった時にすればいい。寧ろその方が自然。下手に知り過ぎて、辻褄の合わないことを言ってしまわないようにするべきだ。
「はぁ……劇なんて、性に合わないんだよな」
エリーヌから本を奪い取り、ぺらぺらとページを捲りながら、クロエは今日何度目か分からない溜息を吐いた。
「しかも、こんな御伽噺なんてなぁ……」
「せっかくベルトさんが作ってくれた物語よ」
「そりゃあ、まあ。そうだけど」
乗り気ではない彼女だが、後輩の作ってくれたものを無碍にはできないだろう。
「……」
だがクロエは、その本の内容をじっと見つめて、難しい顔をした。
何故そんな顔をするのかと口を開く前に、部屋の扉がノックされた。
「失礼します。お食事のご用意ができました」
そう言って入ってきたのはカミーユだ。
食事の乗ったカートを引きながら、部屋に入ってきた。
今日は、母がこの屋敷を留守にしている。
王都の方に用があり、暫くは別邸の方で過ごすとのことだった。
その為、いつものようにダイニングルームではなく、エリーヌ達の部屋で食事をすることになっているのだ。
机の上を片付け、配膳を待つ。
「そういえば、お二方にお知らせが」
食事の準備をしながら、カミーユが二人に向かって言う。
「なにかしら」
「別邸にいらっしゃる奥様からお手紙が届きまして。近々、旦那様がお帰りになられるそうです」
「えっ?」
カミーユの言葉に、驚きの声を上げたのはクロエだ。
それもそのはず。彼女がこの家に来てから、エリーヌの父であるセドリックとは顔を合わせていない。
漸く訪れた機会だ。
「ようやくお仕事にきりが付いたのね」
「恐らくは。数日はこちらで過ごされるとのことなので」
モニカの葬式にも顔を出さなかったのだ。
彼にとってはいつぶりかも分からない休みなのだろう。
とはいえ、数日という短い期間だが。
「ですので、そのつもりでご準備を」
彼女の言葉に、エリーヌは笑顔で応え、クロエは神妙な顔で頷いた。
のちに、波乱が待つとも知らずに。




