第51話 手段
『リリウムほどの陰湿さはなかったけどね』
前に港町に遊びに行った際、兄のエミリアンが言っていた言葉だ。
全く彼の言う通り、女子学園には女性特有の陰湿さが漂っている。
学園に限らずとも、女性が構成する社会では、往々にしてあることだ。
エリーヌも、クロエも、そういった陰湿さは身をもって知っている。
あるいは派閥の敵にダメージを与えた報復として、取り巻きたちに攻撃されたりもするわけだが。
(こんな時に……!)
エリーヌは人知れず歯噛みする。
エリーヌの横で陰湿に笑いあう彼女達には、覚えがある。
件の過激ないじめで、停学処分に追い込まれた生徒の取り巻きだ。
彼女たちは厳重注意だけで、停学処分にはなっていない。
おそらく、仲間を追いやられたその報復として、クロエの手紙を握り潰したのだろう。
よくある陰湿さと言えど、倫理観を疑う行為だ。
こんなタイミングで、しかも大切な人の命がかかわっている状況で、最悪手を打たれた。
心臓の高鳴りが止む代わりに、頭の血が沸き上がるような錯覚がした。
「ふー……」
エリーヌは小さく、だが深く息を吐く。
まずは冷静にならなければならない。
恐らく彼女たちは、手紙の内容についてまでは知らないのだろう。
知っていたら、クロエ宛の手紙にシャントルイユの文字が書いてある時点で大騒ぎだ。
この際、手紙の抹消方法などどうでもいい。
まずはクロエだ。一刻も早く、この緊急の連絡について知らせなければならない。
そう思い、エリーヌは思考を巡らせる。
いや、考える必要などないのだ。
ただただ、クロエに伝えればいい。伝えなければいけない。
しかし、真正面からこのことを伝えればどうなるか。
彼女はきっと、友達と一緒に食事を取ろうとしているところだろう。
そんな中エリーヌが話しかけたらどうなるか。
この緊急の連絡について話したらどうなるか。
理性は今すぐ伝えろと言っている。しかし、真正面から語り合えば、今までの努力は無駄になる。
そして、その迷惑の大半はクロエが背負う。
「……」
着替え終わり、エリーヌはロッカーをパタンと閉める。
ロッカールームには、考え事をしながらゆっくりと着替えたエリーヌと、未だせせら笑って談笑している件の取り巻きたちしか残っていない。
「あら、エリーヌ様!」
話に夢中だった取り巻きたちが、エリーヌに気がつき近づいてきた。
「今日は、お一人なのですか?」
「まあ! ならば、よろしければ私共、ご一緒してもよろしいでしょうか? ちょうど、お頼みしたいことが……」
今日この時ほど、表情を繕ったことはない。
エリーヌは努めて、強く努めて、笑顔を作った。
「申し訳ありませんが、急ぎの用がありますので」
しかし、その冷たい感情を隠しきれなかったのか、取り巻きたちは表情を強張らせ、道を開けた。
もはや、そんなことはどうでも良い。
エリーヌは彼女たちを置き去りにして、すぐさまロッカールームから出て行った。
***
昼食の時間。皆食堂に向かって歩いている中に紛れ、エリーヌは1人早足で廊下を進む。
どこか他の生徒たちの蚊帳の外にいるような感覚も、今はどうでもいい。ただ一人の人物を見つけるために、廊下を駆けるのみ。
(どこに……どこにいるの?)
今は食堂が最も混み合う時間だ。
人を探すなら、人が集まる所へ。
しかし、そこからまた目的の人物を探すのにどれだけ時間がかかるのか。
それを計算すればするほど、焦りが顔をもたげてくる。
「ちょっと!」
人ごみを避け、周囲を見回しながら歩いていると、そう声を掛けられて腕を掴まれた。
「廊下は走らない! 食堂はちゃんと並んで……ん?」
どうやら、焦るあまり少々駆け足が過ぎたようだ。
規則に五月蠅い人に捕まってしまった。
素直に謝ってやり過ごそう、と振り返ると、止めた人物は見覚えのある人だった。
「へぇ。貴族のお嬢様なのに、マナーが悪いじゃない」
エリーヌの腕を掴んできたのは、風紀会のアンナだった。
ということは、だ。
「おい、アンナ。止めるためにお前が早足になってどうす……」
やはりだ。
アンナの後ろから、人込みを掻き分けてクロエが登場した。
「……なんだ、アンタか」
エリーヌを見たクロエは、いつものように睨むような視線になった。
「……」
エリーヌもまた、いつものように薄ら笑みを浮かべた。首筋に、一つ冷や汗を垂らしながら。
一体この状況をどうすべきか。
派閥のトップ同士が、ぶつかる機会が出来上がってしまった。
周囲の視線が、こちらに向けられているのが分かる。
絶好のチャンスで、絶体絶命だ。
(……どうすれば)
エリーヌは迷っている。
エリーヌが探していた人物は、クロエではない。
だが、今この状況で伝えることができれば、手間と時間が省ける。
しかし、彼女に直接伝えないために、ある人物を探しているのだ。
一体何を選び取るべきか。
「お行儀が悪いな魔女サマ。当たり前だが、規則違反だぞ」
クロエが強気な口調でそう言って来た。
今この場で出会った戸惑いをうまく隠して演技しているのだろう。
この様子では、やはり緊急の連絡は届いていないようだ。
「申し訳ありません。急を要することがあったので」
エリーヌはそう言って、困ったような笑みを浮かべる。
しかし、目配せをするように、目だけはじっとクロエを見つめる。
「用事があるからって、走っていい理由にはならないでしょ」
アンナがそう言って突っかかってくるが、今はそれどころではない。
何かを訴えるように、ただクロエを見つめるが、生憎表情までは変えられない。
周囲はこちらを見ている。
「人を探しているのです。カミーユ……星下寄宿で、聖女模範賞をとったかの生徒がどこにいるか、ご存じありませんか?」
エリーヌは、素直に探し人の名をだしてそう訴えた。
そう言うと、アンナとクロエは怪訝そうな顔を見合わせた。
「そういえば、食堂で見た様な気がするな。並ばずに、昇降口の方に向かってたぞ」
クロエがそう言った。
「さようですか……! ありがとうございます。このご恩は忘れませんわ」
「そんなことより、は・し・ら・な・い! 今は廊下に人も多いから!」
エリーヌの感謝をよそに、アンナは腰に手を当て人差し指を立てながらそう言った。
エリーヌはスカートをつまみ、小さくお辞儀をする。
「お騒がせいたしました。申し訳ありませんが、わたくしはこれで」
そう言って、すぐさま踵を返す。
ただし、目は最後までクロエに向けていた。
この熱い視線に、何か気付いてくれればと願いつつ、食堂へと向かった。
***
食堂の入り口では、配膳をしてもらうために多くの人が並んでいる。
そんな列とは全くの別方向に向かい、昇降口の方へと歩いて行く。
言われた通り、カミーユはそこにいた。
「カミーユ!」
そう声を掛けると、彼女は表情を変えずにこちらへ近づいて来た。
「お嬢様」
カミーユはここに訪れたのがエリーヌ一人であることの違和感に気づいたようだ。
辺りをきょろきょろと見まわした。
「馬車はすでに用意ができておりますが……」
「カミーユ」
エリーヌは、彼女の耳元に口を近づける。
『クロエの元に、手紙が届いていないの。どうにか伝えてくれるかしら』
端的にそう言うと、長年連れ添って来た従者はすべて理解してくれたようだ。
エリーヌが直接クロエと話せば、周囲の者は怪しいと思うだろう。
だが、カミーユならばまだ……とエリーヌは考えた。
カミーユをエリーヌの従者だと知る人はそう多くない上、星下寄宿で僅かだがクロエと接触はあった。
エリーヌは手段を選んだ。できうる限りの最善を尽くしたつもりだ。
「畏まりました。……お嬢様はどうなさいますか?」
今後の事は、彼女に任せておけば大丈夫だ。カミーユなら、上手く立ち回ってくれる。
だが、自分はどうすべきか。
「…………学校に、残るわ。お母様には咎められてしまうかもしれないけれど。授業が終わり次第、すぐに帰るつもりよ」
緊急連絡を伝えるほかに、もう一つ懸念があった。
それは、エリーヌとクロエが、両方同日に早退をしていいものか、という点だ。
派閥の代表それぞれが早退。何かある、と思う者もいるだろう。
本当は、エリーヌとしても今すぐに帰るべきだと分かっている。
だが、手段を選んだ以上は、それを突き通すべきだ。
「分かりました。そのような旨をメモにまとめて渡せば、彼女は理解してくださるでしょう」
「ええ。お願いできるかしら」
「承知いたしました」
カミーユはそれだけ言って、そそくさと去って行った。
「……ふぅ」
エリーヌは思わず壁にもたれて溜息を吐いた。
そして、胸元できゅっとこぶしを握る。
(お願い……)
どうかクロエが間に合うことを切に祈りながら、エリーヌは再び一人で歩きだした。




