第50話 最悪の一手
クロエの心中を聞いてから、数日が経った。
第二回基幹科目総合テスト。この試験に向け、華月会は再び勉強会を開くことにした。
今回は教え合うことに加え、一日だけ限定で数学の教師が勉強を見てくれることになった。
教師は授業後、教員室で仕事があれば仕事をしているが、こうしてサロンの活動に参加してもらうことも可能なのだ。
とはいえ、そんな制度を利用するサロンは少ない。大人に聞かれて気分のいい話などしないからだ。
そんな廃れた制度を利用し、手の空いている教師に頼んだのだ。
来週の頭に頼んだので、今日は普通の勉強会だ。
「勉強会を始める前に、一つ皆さんにお話があります」
集会を取り仕切るベネディクトが、そう言って話を切り出した。
「先日、下級生への過度ないじめを行い、停学処分になった者がいます」
前に、クロエに聞いた話だ。
どうやら学校中で噂になっているらしい。
「処分を受けたのは貴族派閥に属した中級の貴族家令嬢です。度の過ぎた行為はこのような結果を招きますので、皆さんは決して行わないよう、気を付けてください」
ベネディクトの強い視線に、皆各々頷いた。
エリーヌが指示したことではないが、こうして前に立って注意喚起をしてくれるのはありがたい。
今は正攻法で勝つことを考え、勉強をするのだ。
そんな意思の元、今日の勉強会は恙なく進んだ。
***
次の日。
試験週間でも、授業の時間割自体は変わらない。
まだ競技大会の準備期間ではないが、もとより入っている教養科目の一コマで、乗馬の練習をすることになった。
教養科目の授業で、定期的に行われる。
勉強で煮詰まる中での、良いリフレッシュだ。
今日は競技大会で使用する用のコースを用意してくれるとのことで、一人一回馬に乗る機会ができた。
学校にいる馬で一番相性の良い馬を選び、それに乗る。
動物が好きなエリーヌにとっては、またとない機会だ。
「ヤアッ!」
「わあ、落ち着いて……」
「よいしょっ」
軽々と馬に乗ったりする者もいれば、恐る恐る触っている者もいる。
一日に何度も馬を走らせるわけにはいかないので、乗馬の機会は多いわけではない。
競技大会でも、サロンから代表者を選んで走らせることになっている。
サロンの代表で、派閥争いに直に関わっているエリーヌは確実に乗ることになるだろう。
家でも教養として馬の乗り方は教えてもらうが、これも機会が多いわけではない。
しっかり練習をしておこうと、馬に乗った。
「エイヤッ!」
今走らせている人たちの次にコースに入ろうと思ったところで、鋭い掛け声とともに、一匹の馬が颯爽と前を走り去った。
「はやーい!」
「見て。クロエちゃん、馬に跨いで乗ってるよ!」
エリーヌと同じく次にコースに入ろうとしていた生徒たちが、黒髪をたなびかせ素早く駆けていったクロエを見て、歓声を上げた。
今のフロスティアでは、女性は馬に横乗りするのが基本だ。
跨いで乗るのは、男性だけ。
そんな中で、クロエは馬に跨いで乗っている。
本来乗馬をするとき、女性はロングスカートにジャケットを着るが、学校の運動用制服は剣術の授業でも着るためパンツスタイルだ。
なのでクロエも、心置きなく男性スタイルで馬に乗れるわけだ。
「まあ、まるで男のようではしたない」
「でも、少しかっこいいのでは?」
「えぇー……」
憧れの声も上がるが、やはり異質だと思う者も多いようだ。
ちなみに、エリーヌとしては『羨ましい』だ。
あんな風に楽な姿勢で走り回ってみたいという気持ちはあるものの、立場上変な悪目立ちをするわけにはいかないので、とても真似はできない。
横乗りにも上品な姿勢があり、エリーヌはそれを叩きこまれている。
しかし、負けてはいられない。
エリーヌは馬を撫で、コースへと向かう。
「さあ、よろしくね。……ヤッ!」
クロエに負けず劣らずの速さで、エリーヌは周囲を抜かして馬を走らせた。
***
終業の鐘が鳴り、馬たちとはさようなら。
皆各々ロッカールームに向かって歩き出した。
「……やっぱりちょっと臭いますね。香水をつけないと」
「乗馬が終わった後のロッカールームは嫌ね。香水の匂いが混ざってすごい臭いがするもの」
毎度おなじみの事だ。ロッカールームは学年ごとに分かれていて、同じ授業を受けた者は大概同じロッカールームに入っていく。
貴族令嬢は厩舎の匂いを嫌って、着替えた後に香水を振りがちだが、それが混ざってカオスなことになるのだ。
もはや厩舎の臭いなどそこでは跡形もないだろう。
覚悟を決めてロッカールームに入ると、案の定不思議な香りが充満していた。
さっさと着替えてしまおうと、自分のロッカーの前に立ち、扉を開ける。
「ん……?」
扉を開くと、着替えの上に何やら手紙のようなものが乗っていた。
小さな手紙で、簡易的に封がされている。
(緊急連絡?)
ロッカーの中に手紙が入っているということは、そういうことだ。
例えば、生徒の家のことで急用ができたりした時などに、校舎の中にいる生徒にその用件を伝えるために行われる。
基本的に学校は、外部の人間は入ることはできない。しかし、生徒に用がある保護者などが時折いる。
そういう時は、学校の門で不審者が入らないよう監視をしている守衛に手紙か伝言を渡すと、彼らは守衛室の学校管理人に届けてくれる。学校管理人とは、生徒たちの出席等を管理する人たちの事だ。
学校管理人は、生徒が授業の始めと終わりに必ず開けるロッカーに、用件が書かれた手紙を入れておいてくれる。そうして、緊急の用件を伝える仕組みだ。
もし早退する場合、早退届は外部の人間では出せないので、生徒本人が管理人に本人証明の元、早退届を出さなければならない。
そんな緊急の連絡がエリーヌに届いたわけだ。手紙には家令の字で母のサインが書かれていた。
急ぎ手紙を開く。
「……ッ!」
手紙の内容を読み、思わず息を飲む。
『モニカ危篤により、早急に帰宅するように』
簡潔にそう書かれていた。
頭を殴られたかのような衝撃に、エリーヌの鼓動は急速に脈打つ。
「どうされましたか?」
横で着替えていたベネディクトが、開いたロッカーから顔を出して、こちらを窺って来た。
エリーヌは慌てて手紙を畳む。
「いえ、何でもないわ」
そう言って、ロッカーに入っている鞄の奥底に手紙を仕舞った。
どこか血の気の引いている頭に血を巡らすためか、心臓がどくどくと音を立てて動いている。
まずは着替えなくてはならない。冷静になるために、運動着を脱いで制服を取り出す。
(クロエ……!)
二人同時に家を出るとなると、何か怪しまれるかもしれない――などと考えている場合ではないが、彼女のことは窺う必要がある。
「ごめんなさい、ベネディクト。少し用ができてしまったから、食堂へ先に行っていてくれるかしら」
「さようですか。食事の準備をしておきましょうか?」
「いいえ、いつ行けるか目途が立っていないから、大丈夫よ。ありがとう」
「わかりました」
ベネディクトにそう断っておき、エリーヌはゆっくりと着替える。
そうして素早く着替えを済ませたベネディクトが去って行ったのち、隙を見てクロエの方を見た。
彼女は既に着替え終わって、横で着替えを畳んでいるアンナと談笑している。
(気づいていない……?)
クロエの事だ。急いで帰る準備を始めると思っていたが、そうではない。
よくできた演技――という線を、心臓の高鳴りが否定してくる。
「おーい、置いてくぞ」
「ちょっと待ってよー」
彼女は既にロッカールームから出ようとしている。
エリーヌの視線にも気が付いていない。
大丈夫だろうか、と心配した時だった。
「くくっ。ねぇ、見てあれ」
エリーヌの横の方で、ひそひそと笑いあう陰湿な声が聞こえた。
そんな声を聞き、エリーヌは横目で彼女たちを見る。
「滑稽だこと。全く気付いていないわよ」
「しょうがないでしょう。隠されたことにだって気づけないんだから」
彼女たちが何者であるか気付いたと同時に、すべてを悟った。
(やられた……ッ!)
最悪の一手が、最悪のタイミングで謀られたということに。




