閑話 おてんばアニエス
昼食を食べた後。エリーヌはクロエを連れて、屋敷を案内すると言った。
本当は港町に出たかったが、今は先ほどよりも賑わっているという。豊穣祭のメインイベントのカーニバルがあるとのことだ。
広場は人でごった返し、揉みくちゃにされるらしい。先ほどのように、自由に動き回ったりはできないだろう。
また、スリや拐しがあったりもするため、先程のお忍びスタイルでの散策はやめておいた方が良いとのことだ。
広場で行われるカーニバルは、屋敷の二階のバルコニーから眺められる。
母と義姉(エミリアンの奥方)は、双眼鏡を使ってその様子を見るようだ。
まだカーニバルが始まるまで時間がある。そういうわけで、エリーヌはクロエを連れて屋敷を歩き周ることにした。
「相変わらず、その格好なのね」
「だから、落ち着くんだよこの格好の方が」
エリーヌとしては、今日彼女の為に用意した服を着てほしかったが、彼女はこの格好が気に入ったらしい。
本邸でもこういう格好をさせてほしいと、母ジュリエンヌに頼んでいたほどだ。
ジュリエンヌは渋い顔をしていたが、思いの外似合っているのと、彼女の母の介護がしやすいという言葉で了承した。
エミリアンも満足げに頷いており、そのまま仕事の一つでも教えたらどうかと提案していたが、それは却下されていた。
「エリーヌ様、クロエ様」
雑談をしながら歩いていると、背後から使用人に声を掛けられた。
「どうしましたか」
「『お庭に来てほしい』と」
「どなかから、何用で?」
メイドから呼び出されるようなことがあっただろうか、と首を傾げつつ、エリーヌはそう聞いた。
「アニエス様がお会いしたいとのことです」
二人は顔を見合わせた。
***
アニエス・アイリス・シャントルイユ。
エミリアンの一番初めの子供で、エリーヌにとっては姪にあたる。
以前会った時には、まだ赤ん坊という出で立ちだったが、四歳になり父と母の面影の両方を持った女の子に成長していた。
ただ、人見知りをするらしく、今日初めて会った時も現在も、乳母の後ろに隠れてもじもじしている。
ちなみに余談だが、彼女はこれから姉になる。現在エミリアンの奥方は妊娠中であり、今年末かあるいは来年になる頃生まれる予定のようだ。
「ほら、お嬢様。エリーヌ様が来てくださいましたよ」
アニエスは乳母に背中を押され、恐る恐る彼女の傍らに来た。
といっても、まだ乳母のスカートを離さないままだが。
「こんにちは。久しぶりね、アニエス。お誕生日会の事は、もう覚えてないかしら?」
エリーヌはアニエスの身長に合わせ小さく腰を曲げ、そう言った。
彼女とは、三歳の誕生日に会った時以来だ。一年も前のことで、覚えていないかもしれない。
今日彼女の母とは面と向かって挨拶をしたが、彼女とはまだだった。
「……こんにちは」
小さな声でそう言って縮こまってしまった。
彼女の視線の先に居るのは、エリーヌではなくクロエ。
どうやら、初めて見る顔の上、背も高く威圧感があることから少々怖がっているようだ。
そんなアニエスの視線の意味に気が付いたのか、クロエも片膝をつき、彼女に目線をあわせた。
「初めまして。……ええと、私はクロエ、です」
将来の貴族令嬢に荒い言葉遣いをしては、側に居る乳母に睨まれてしまうと思ったのだろう。
クロエはいつもの口調を改めつつそう言った。
「……」
そんなクロエの友好的な態度が伝わったのか、アニエスは乳母にしがみついていた手を離した。
「ほら、お嬢様。挨拶の時は、どのように礼をするのでしたか?」
乳母にそう言われ、アニエスはその小さな手でスカートをつまんだ。
エリーヌやジュリエンヌ、その他淑女たちが行う所作と何ら変わらない。しかし、その体躯の小ささによって、とてもかわいらしく見えるのが不思議だ。
「いつもは手を焼く程に活発なのですが、今日は緊張しているみたいで」
「まあ、お転婆なのね。立派な淑女に見えるのに」
「あらまあ、淑女だなんて。ねぇ、お嬢様」
乳母の言葉にエリーヌとクロエが笑うと、アニエスは拗ねたように頬を膨らませた。
「お嬢様は皆様が来られる今日を、とても楽しみにしていらしたのです。良かったら、少しの間お庭で遊んでいただけませんでしょうか」
乳母の言葉に、暇を持て余したエリーヌ達は二つ返事で了承した。
***
アニエスとその乳母を連れて、二人は屋敷の庭を散策した。
伯父の屋敷の庭に似て、沿岸部ならではの植生が立ち並んでいた。かなり海に近いということもあり、ラムスで見られるような植物の方が少ないほどだ。
花々の他に、ベンチや噴水などの凝った建築物が魅力的だ。旧邸ということもあり、歴史を感じさせる飾りも多い。
そんな庭の様々なものを、アニエスと一緒に見て回った。
最初こそ緊張して口数が少なかったが、クロエが気を利かせて周囲の物について尋ねると、彼女は答えてくれた。
エリーヌもそれを真似ると、彼女は興味を持たれたことがうれしかったのか、よく話してくれるようになった。
「エリーヌさま、クロエー! 見て、見てー!」
心を開いた彼女は人が変わったようにはしゃぎ、今は嬉々として木登りの様子を見せてくれている。
子供の学習力というのは凄まじい。エリーヌがクロエの事をよく『クロエ』と呼ぶので、アニエスもまた『クロエ』呼びで定着してしまった。
エリーヌの事は、乳母が『エリーヌ様』と頻繁に声を掛けるので、『エリーヌさま』と呼ぶようになった。
なんだか格差のある対応だが、彼女に悪意は全くない。寧ろ、クロエの方によく懐いているようにも感じる。
「お嬢様、いけませんよ! 木登りは一段目の枝に触るだけと毎日言っているでしょう!」
「登れるもんー!」
「いけません! 落ちたら大変ですよ!」
どうやら二人に見られているからか、張り切って上の方に向かっている。
乳母の言う一段目の枝はエリーヌの肩くらいの高さだが、いま彼女が居るのはエリーヌより背が高いクロエの頭より高い枝だ。
言われていた通り、かなりのお転婆のようだ。
「お、おお……結構高いな」
「あらあら。アニエス、もう十分見たから、そろそろ降りてきて。あちらの花について、教えてくれる?」
「まだー!」
他の所に興味を持たせようとエリーヌが声を掛けるが、暖簾に腕押し。まだ登り足りないと言った様子だ。
「こら! いい加減になさい!」
乳母の強い一喝に、ビクリと肩を揺らしたその拍子。
アニエスは手を滑らせ、その流れで足も滑らせた。
「きゃっ……!」
「お嬢様!!」
その次に起こるであろうことに恐怖し、本能的に目を瞑り顔を背けた。
次の瞬間、ドサッという音がした。
「くっ……!」
そんな呻き声を聞いて恐る恐る目を開けると、アニエスを見事キャッチしたクロエが立っていた。
さながら王子のようにアニエスを横抱きにしている。
「だ、大丈夫か? 怪我は?」
状況が読めずきょとんとするアニエスに、心配そうに問うクロエ。
「お、お嬢様!」
「クロエ!」
エリーヌと乳母はすかさず駆け寄った。
「怪我は? 大丈夫?」
「ああ。アニエスが軽くて良かった」
心配そうに駆け寄るエリーヌに、クロエは苦笑しながらそう言った。
危険な高さであったが、アニエスも、それを受け止めたクロエにも怪我はないようだ。
「よかった……まだ心臓が跳ねているわ」
「おう……マジで焦った……」
二人はいらぬスリリングを味わい、冷や汗を流したという、午後の出来事だ。
その後、アニエスは乳母、母、父からこってりと叱られ、クロエは盛大に感謝された。
べそをかきながら謝るアニエスをクロエと共に宥めつつ、昔の己が全く同じようなことをして怒られたのを思い出し、こっそりと反省するエリーヌであった。




