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彼の屋敷から出て、馬車置き場へと足早に向かう。
急いで、でも胸を張って。
自分の家の馬車に乗り込み扉が閉まって人目がなくなった途端、侍女のダリアに抱きついて胸に顔をうずめた。こらえていた涙が溢れ出る。
「ひどいわ、あんな…」
「お嬢様…」
言葉に詰まる私をダリアがそっと抱きしめ返してくれた。ゆっくりと髪を撫でられる感触と、動き出した馬車の緩やかな揺れに、少しだけ心が落ち着いてくる。喉のつかえが取れて、声が出せるようになった。
「あんな真面目そうな顔して、結婚前に愛人がいるなんてあんまりよ!」
あんな純情そうな顔で。本のお礼を言っただけで、真っ赤になってたくせに。全然女に慣れていなそうだったのに。まさかあんなに堂々と愛人を紹介してくるなんて…。
思い出したら悔しくて悲しくて、また涙が出てきた。
「ねえ、私そんなに魅力ない?」
彼にとって私は、どう思われようと構わない程度の女なのか。世間体のために一応結婚しておく、その程度の存在なのか。そう思うとつらくてたまらない。
「何をおっしゃっているんですか。お嬢様はとても魅力的ですよ」
揺らぎない口調で励ましてくれるダリア。
誤解されやすい性格なのは自覚している。でも家族や長年使えてくれている使用人達は、そんな私を『自分に素直』と肯定してくれる。私がこうして自分を好きでいられるのは、彼らのおかげだ。
「私、あなたが大事だわ」
思わずそう呟けば、
「ありがとうございます。私もお嬢様が大切ですよ」
と返してくれた。
しばらくして、ダリアが口を開いた。
「多分あの方は見た目通りの朴念仁だと思うんですよね」
「そうかしら?」
意外な意見に驚いて思わず体を離した。そうだったらいいとは思うけれど。
でも、はっきりとあの侍女を『大事な人』だと言ったのだ。婚約者の自分に対して。
思い出したら、また怒りが沸いてきた。
でもそれには構わずダリアは続ける。
「どう見ても女慣れしてるようには見えませんでした。何より女にだらしないような男を旦那様が練習とはいえ見合い相手に選ぶとは思えません。旦那様はお嬢様を可愛がっておいでですから」
確かに、お父様が私をよくない噂のある人と見合いさせるとは思えない。
お父様は私に甘い。今回の婚約だって、「あれは本命の見合い相手じゃない」と最初は渋い顔をしていたけれど最終的には許可してくれた。彼とのお見合いは練習だったと、その時聞かされて驚いたけれど。
「もしあれが演技だったらもう騙されても仕方ないんじゃないかと。きっと一生ちゃんと騙し続けてくれますよ」
「ちゃんと騙し続けるって何よ」
おかしな言い回しに口を尖らせながらも、その通りかもしれないと思う。
だって信じたことが、その人にとっての真実になるのだから。
もし彼が、私のことだけが好きだと信じさせてくれるのなら、たとえそれが嘘だったとしても私にとっては本当のことになるのだから
「幸せかもしれないわね」
声音から少しの諦めを感じとったのか、ダリアが腕まくりをした。
「万が一嘘だったなら、死にたくなるくらいにとっちめてやります」
あまりに真面目な顔で言うものだから、思わず笑ってしまった。
「お嬢様のこの笑顔を曇らせるなんて大罪ですから」
「ダリアったら」
真剣な顔をするダリアに、嬉しくなってもう一度抱きついた。
「ありがとう」




