第25話隆の訪中
1983年ころであったろうか。妻の重子の実家、弁当会社祝一が、表向きはザーサイなどの中国製食品の買い付けという名目で、松井財閥総帥の松井正人おじちゃん、名誉顧問の西園寺一晃さん、公認会計士の保志先生、顧問弁護士の根岸隆などの錚々たる顔ぶれでまだ改革開放路線が始まったばかりの鄧小平国家主席率いる中国を訪問しようという計画が浮上したのだ。
隆は大の中国贔屓である。たった250年の歴史で威張ってるアメリカ人に、4000年の歴史の中国文化圏の何が分かるのかと。
当時、長男の豪志は小学校2年生か3年生。その豪志に向かって隆は、こう言い放った。
「おい、豪志。中国の人たちに日本土産は何がいい?と聞いたら、ダントツで日本の教科書がほしいと言ってる。お前の教科書をくれ」。
豪志は、
「教科書は授業で使ってるから、書き込みだらけだよ。それでもいいの?」。
隆は、
「向こうは、『書き込みがあれば、なおありがたい』と言ってるらしい」と興奮気味に話していた。
1980年代の中国。まだ文化大革命の余韻が残る。改革開放路線に移る前であった。訪中後、最初の晩餐会で、挨拶の文章を考えることになった隆は、まず、先の大戦の謝罪を盛り込むべきだと主張した。公認会計士の保志先生も同意見だったが、西園寺一晃さんと松井財閥総帥の正人おじちゃんは、
「いいよ、根岸。誰もいまさらそんなこと気にしちゃいないよ。だいいち無粋だろう」と、否定的だった。しかし、隆と保志先生は、
「いや、やはり、謝罪文の準備だけはしていこう」。
歓迎晩餐会が始まると、案の定のっけから、中国要人たちは、
「われわれは、先の戦争の惨禍を忘れることはできない!」と語気を強めた。
隆と保志先生は、
「用意してきて、良かったな」と顔を見合わせ安堵のため息をついた。
中国側からは日本語話者の通訳が用意されていた。隆は、持ち前の、中国の歴史、文化、政治体制に関する知識と理解を、日本語でその通訳に昼夜を問わずこんこんと説法した。しまいには、
「あなたは、中国人より中国の本質を理解している日本人です!」と通訳が、涙ながらに感動していたという。




