第14話医者と弁護士のバカバカ論争
根岸隆は、生涯の親友である田中亮と酒を酌み交わすたびに、決まって始まる議論があった。それは、医者と弁護士はどちらがより馬鹿か、という終わりのない論争だった。
「おまえら医者がやっていることはバカだ!」
隆がそう口火を切れば、田中も負けじと反論する。
「いや、おまえら弁護士こそ馬鹿だ!」
隆は、医者の不確かさを徹底的に指摘した。
「医者ほど当てにならない人種はいない。十年前と言っていることが全然違うんだから。そして、十年の後には、また全く違うことを言い始めるんだろう」
彼は、医学が日進月歩の学問であり、常に新しい知見が古い常識を覆していくことを皮肉っていた。しかし、隆の言葉の裏には、真実を追い求める者としての、科学の不確実性に対する複雑な思いが隠されていた。
しかし、そんな隆も、医者に対して一つだけ羨ましいと感じていることがあった。
「でもな、一つだけおまえら医者を羨ましいと思うのは、患者の嘘を見抜けるということだ」
隆は、グラスを傾けながら、その理由を語り始めた。
「医者は、患者がどんな嘘をついていようと、身体を調べれば全部わかるんだ。嘘をついて酒を飲んでいる患者が『禁酒してます』と言っても、肝臓を見れば一目瞭然だ。タバコを吸っていないと言っても、肺を見ればわかる。医者には、身体という絶対的な真実の証拠がある」
弁護士である隆は、この点で常に不利な立場に立たされていた。
「それに比べて、弁護士はクライアントに嘘をつかれたらおしまいなんだ。クライアントが真実を語っていると信じて裁判を進めていく。ところが、相手方からの反証が出てきて、初めて『アンタ、嘘ついてたね!』となる。それからではもう遅いんだ」
弁護士は、依頼人が語る言葉にしか頼ることができない。そして、その言葉が、嘘か真実かを見抜くのは至難の業だ。隆は、数々の依頼人との関わりの中で、このもどかしい現実に何度も直面してきた。依頼人の嘘によって、裁判が不利に進み、無駄な労力と時間を費やしてきた経験は、数えきれない。
この論争は、単なる友人間のおしゃべりではなかった。それは、真実の探求という、医者と弁護士に共通する使命における、アプローチの根本的な違いを浮き彫りにするものだった。
医者は、科学という客観的な事実に基づいて真実を追求する。一方、弁護士は、人間の主観的な言葉や記憶、そしてそこに潜む嘘と向き合いながら、真実の断片をかき集め、再構築しなければならない。隆は、この困難な作業に、一生涯を捧げてきた。
しかし、この論争の根本には、隆の人間に対する深い洞察と、哀しみが隠されていた。彼は、人間が嘘をつく生き物であることをよく知っていた。そして、その嘘が、時には自分自身を守るため、時には弱さから生まれるものであることも理解していた。だからこそ、彼は、依頼人の言葉を鵜呑みにせず、常にその背後にある真実を探し続けなければならなかった。
田中亮とのこの議論は、隆が自身の仕事の本質を再確認し、常に謙虚な姿勢で依頼人に向き合うための、大切な時間だった。医者と弁護士、異なる道を歩みながらも、彼らは互いの仕事に深い敬意を払い、それぞれの分野で真実を追求し続けた。この二人の友情は、彼らの人生を豊かにするだけでなく、それぞれの道を極めるための、重要な糧となっていったのである。




