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右腕が以前のようには使えなくなって――生きる〝希望〟を失ってから、こんな風に笑ったことなど、これが初めてだったのだ。
指先を口元に当てて何か考え込む彩音に、少年は明るく語りかける。
「やっぱりさ、女の子は笑ってる時の顔が、一番輝いてるよね」
「……え、ええっ? な、なに? 急にそんな、ませたこと言っちゃって……」
「って言ったら女の子は喜ぶって、ずっと前ここへ来た人からの受け売りなんだけどね」
「……あ、あらそう」
みっともなく慌てふためいた彩音が、取り繕うように姿勢を正し、こほん、と一つ咳払いをして息を整える。
「それで、あの、アスモデウスさんにはさっき、これから好きにすればいい、って言われたんだけど」
「うん、どうする?」
「……ど、どうするって言われても」
「帰ってもいいし、ここに住んでもいいんだよ。おねえちゃんの自由なんだから」
自由、と言われて、彩音は更に困ってしまう。今まで生きてきて、そんな選択を迫られたことなど、今までなかったのだ。
ピアノさえあれば、ピアノさえ弾いていれば、それで全てがうまくいった。他に何もする必要はなかったし、ピアノさえ弾けば誰かが手放しで褒めてくれる、称えてくれる――未来を疑うことなんて、一度だってなかった。
――なら、それを失った今は?
「……私は、ここに住みたい」
口にしながらも、心は空っぽになっていることに、彩音は気付いていた。ナナシは気付いているのかいないのか、微笑みを絶やさないまま頷く。
「うん、おねえちゃんがそうしたいなら、それでいいんだと思うよ。普通にお話できる人がいて、僕もちょっと嬉しいし」
「別に、ナナシくんを喜ばせたくて言ったんじゃ……ごめんなさい」
「謝ることなんてないよぅ。ここでは、自分の思うようにしていいんだから」
悪態をつくのも自由、と言うのだろうか。いや、ナナシが言ったのは、ここに住みたいと言った彩音の言葉に対してだろう。
何となく荒んでしまった自身を恥じた彩音が、気を取り直してナナシに語りかける。
「私はまず、どうしたらいい? 何か仕事とか……しないといけない?」
「んー? 別に、しなくてもいいよ? 何かしたい人はするし、何もしたくない人は何もしなくていいんだ。僕だって〝案内人〟を任されてはいるけど、案内したくない人が相手だったりしたら、別にしなくていいしね。これも自由なんだってさ」
そろそろ自由と適当の区別が曖昧になってきたのを感じていた彩音に、ナナシが話を続ける。
「とりあえず、まずはおねえちゃんの部屋を作ろう。万魔殿じゃ、もしかしたらそれが一番大事かもしれないしね」
「……私の部屋を、作る?」
「うん、その辺に関しては、まあ歩きながら説明するよ。ほら、一階の、おねえちゃんがアイツから逃げてた時の通路。部屋がたくさんあったでしょ?」
「あ、うん、そういえば……」
その時のことを思い出して身震いする彩音を差し置いて、ナナシは先に歩き出した。
「それじゃ、行こっ。付いてきてねっ」
「えっ、あ、う、うん……」
またあの大男に出会ったら、と危惧しながらも、彩音は素直にナナシの後を追った。




