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万魔殿《パンデモニウム》は眠らない  作者: 初美陽一
第一幕 そこに住まうは『人』か『魔』か

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1-06

「ここは、一体どういう場所なんですか? 私、確かに外を歩いていたのに、いきなり目の前に扉が現れたりして……」


「ふむ、いきなり現れた得体の知れぬ扉を開くとは、何とも無用心な娘じゃの」


「……そ、それは、その」


「くくっ、冗談じゃ。さて……ああ、ここの話じゃったか。ここにはの、生きるために必要な〝何か〟を失った者が集まってくるのじゃ。生きるために必要な()()を失った者にしか、この万魔殿へと続く扉は見えぬし、開くことも出来ぬ」


「……生きるために必要な、何か?」


 曖昧な物言いに首を傾げている彩音に対し、少女が小さな人差し指を突きつけた。


「そうじゃ、汝の場合は――生きる〝希望〟を失ったようじゃのう」


 そう言われて、彩音に浮かぶ心当たりは、一つしかなかった。

 つきっ、と痛む右腕を、反対側の左手で握りしめながら、彩音は更に質問を続ける。


「あの……これから私は、どうなるんですか?」

「どうもない。好きにすれば良いじゃろう」

「えっ? す、好きにって」


 少女の言葉に、彩音は意外性を感じていた。そうでなくとも、ここへは勝手に侵入してしまった身だ。何らかの見返りを求められることも、覚悟していたというのに。


 明らかに戸惑う彩音を見て、少女はにやりと口元を歪める。


「ここが気に入らぬのなら、別に今すぐ帰ってもよい。住みたければ、勝手に住み着くがよい。部屋なら腐るほどあるのでの」


 あまりにも景気の良すぎる話に、彩音は思わず疑心暗鬼に駆られてしまう。そんな彩音を見て、少女はむしろ愉快そうに笑っていた。


「くっ、くくっ! やはり疑り深いのう。まあ、無理もない。ああ、それと、汝の自由にすればよいとは言うたが、二つだけルールはある。これだけは守ってもらう――というよりも、守らざるを得ぬじゃろうがな」


 そう言いながら、まず一つ、と少女が人差し指を立てる。


「ここにおる間は、余には決して逆らうでない。まあ別に、歯向かうのも自由じゃがの……ただし、余は加減が苦手じゃからな。存在全てを消し去ってしまうやもしれんし、余にとってもそれは、あまりにつまらぬ。よいな、無謀な考えだけは、決して起こすでないぞ」


「……はぁ」


 言われなくともそんなつもりは無かった彩音が、気の無い返事を漏らす。うむ、と一つ頷いた少女が、もう一つ、と人差し指に続けて中指を立てた。


「そして、そう、これがお主らにとっては最も重要じゃろう。ここへは、生きるために必要な〝何か〟を失った者が訪れるというのは、先ほど言うた通りじゃ。しかし――もしも汝が、そう、何かのきっかけで〝それ〟を取り戻した場合は――万魔殿には、留まれなくなる」


 そこで言葉を区切った少女が、小さな体躯で身を乗り出しながら声を潜める。


「もし、それでもここに留まろうとするなら、それはルール違反じゃ。その時は――」

「……そ、その時は?」


 ごくりと喉を鳴らした彩音に、少女は軽くもったいつけてから口を開いた。


「目が覚めたら、外の道端で寝転がっておることになろうぞ」

「…………」


 数秒の間を置いて、彩音がおずおずと尋ねた。


「……あ、あの、それだけ、ですか?」

「それだけじゃ。くくっ、なんじゃ? 魂でも持っていかれると思うたか?」


 少女は彩音がここへ来てから、一番愉快そうに笑った。


「くくっ! 全く、からかい甲斐のある娘じゃ。これほど反応の良い客は、久し振りじゃ」

「……むう」


 からかわれているとあけすけに述べられた彩音は、少し怒ったようにそっぽを向いた。


「くくっ、まあ、そう怒るでない。さて、他に何か聞きたいことはあるか? そろそろ余も話し疲れた。これで最後としようぞ」


 ふう、と一息ついた少女の提案によって、これが最後の質問となる。彩音には聞きたいことが山ほどあったが、彼女がそうと決めたのだから、従うしかないのだろう。


 彼女を見た時から、ずっと気になっていたこと。彩音は、それを尋ねようと決めた。


「あの、あなたは――」


 再び彼女のほうへ視線を戻した瞬間、彩音の身体がびくりと跳ねる。


 先ほどまで少女の姿だった彼女は――いつの間にか、彩音と同じ年頃と思しき女の子の姿へと変わっていた。顔や体型だけではない。服装も、彩音の着ている制服とほとんど同じものだし、見た目だけなら同級生のようにさえ見える。


 ごくりと生唾を飲み込み、彩音は改めてその質問を彼女へとぶつける。


「……あなたは一体、何なの……?」


「ふむ、何、とは、傷つくのう」


 その言葉とは裏腹に、彼女は愉快そうに笑い、手の甲で頬杖を突きながら答えた。



「余の名はアスモデウス。天界の者共にも地上の有象無象にも嫌われる、地の底を這いずりし大悪魔じゃ」



 ――大悪魔――

 それを疑うより、すんなりと飲み込めてしまうことのほうが、彩音には不思議だった。


 いや、違う――今さら彼女が『自分はただの人間だ』などといっても、信じられるはずが無い。それよりも、大悪魔、と思ったほうがよほどしっくりと来る。多分に失礼な話ではあるだろうが、しかし彼女は愉快そうに笑い飛ばすだけだろう。


 大悪魔と名乗った彼女は、頬杖をつきながら言葉を続けた。


「さて、それではこれで終わりとしよう。他に何か聞きたいことがあるのならば、ナナシからでも聞けばよい。あの者は人懐っこいからのう、喜んで話し相手になるじゃろう」


「あ、はい……」


 何となく呆けた心境のまま、彩音は真後ろにある扉へと手を掛ける。


「あの、そ、それじゃ、私はこれで……」


「うむ、まあ気が向いたら、ここへ顔を見せにきてもよいぞ。汝の自由じゃがな」


「は、はぁ……それじゃ、あの……し、失礼しますっ」


 最後に一度お辞儀してから、彩音はそそくさと退室する。相変わらず見た目には重厚そうな扉であったが、やはり重さなどほとんど感じなかった。

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