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「ここは、一体どういう場所なんですか? 私、確かに外を歩いていたのに、いきなり目の前に扉が現れたりして……」
「ふむ、いきなり現れた得体の知れぬ扉を開くとは、何とも無用心な娘じゃの」
「……そ、それは、その」
「くくっ、冗談じゃ。さて……ああ、ここの話じゃったか。ここにはの、生きるために必要な〝何か〟を失った者が集まってくるのじゃ。生きるために必要なそれを失った者にしか、この万魔殿へと続く扉は見えぬし、開くことも出来ぬ」
「……生きるために必要な、何か?」
曖昧な物言いに首を傾げている彩音に対し、少女が小さな人差し指を突きつけた。
「そうじゃ、汝の場合は――生きる〝希望〟を失ったようじゃのう」
そう言われて、彩音に浮かぶ心当たりは、一つしかなかった。
つきっ、と痛む右腕を、反対側の左手で握りしめながら、彩音は更に質問を続ける。
「あの……これから私は、どうなるんですか?」
「どうもない。好きにすれば良いじゃろう」
「えっ? す、好きにって」
少女の言葉に、彩音は意外性を感じていた。そうでなくとも、ここへは勝手に侵入してしまった身だ。何らかの見返りを求められることも、覚悟していたというのに。
明らかに戸惑う彩音を見て、少女はにやりと口元を歪める。
「ここが気に入らぬのなら、別に今すぐ帰ってもよい。住みたければ、勝手に住み着くがよい。部屋なら腐るほどあるのでの」
あまりにも景気の良すぎる話に、彩音は思わず疑心暗鬼に駆られてしまう。そんな彩音を見て、少女はむしろ愉快そうに笑っていた。
「くっ、くくっ! やはり疑り深いのう。まあ、無理もない。ああ、それと、汝の自由にすればよいとは言うたが、二つだけルールはある。これだけは守ってもらう――というよりも、守らざるを得ぬじゃろうがな」
そう言いながら、まず一つ、と少女が人差し指を立てる。
「ここにおる間は、余には決して逆らうでない。まあ別に、歯向かうのも自由じゃがの……ただし、余は加減が苦手じゃからな。存在全てを消し去ってしまうやもしれんし、余にとってもそれは、あまりにつまらぬ。よいな、無謀な考えだけは、決して起こすでないぞ」
「……はぁ」
言われなくともそんなつもりは無かった彩音が、気の無い返事を漏らす。うむ、と一つ頷いた少女が、もう一つ、と人差し指に続けて中指を立てた。
「そして、そう、これがお主らにとっては最も重要じゃろう。ここへは、生きるために必要な〝何か〟を失った者が訪れるというのは、先ほど言うた通りじゃ。しかし――もしも汝が、そう、何かのきっかけで〝それ〟を取り戻した場合は――万魔殿には、留まれなくなる」
そこで言葉を区切った少女が、小さな体躯で身を乗り出しながら声を潜める。
「もし、それでもここに留まろうとするなら、それはルール違反じゃ。その時は――」
「……そ、その時は?」
ごくりと喉を鳴らした彩音に、少女は軽くもったいつけてから口を開いた。
「目が覚めたら、外の道端で寝転がっておることになろうぞ」
「…………」
数秒の間を置いて、彩音がおずおずと尋ねた。
「……あ、あの、それだけ、ですか?」
「それだけじゃ。くくっ、なんじゃ? 魂でも持っていかれると思うたか?」
少女は彩音がここへ来てから、一番愉快そうに笑った。
「くくっ! 全く、からかい甲斐のある娘じゃ。これほど反応の良い客は、久し振りじゃ」
「……むう」
からかわれているとあけすけに述べられた彩音は、少し怒ったようにそっぽを向いた。
「くくっ、まあ、そう怒るでない。さて、他に何か聞きたいことはあるか? そろそろ余も話し疲れた。これで最後としようぞ」
ふう、と一息ついた少女の提案によって、これが最後の質問となる。彩音には聞きたいことが山ほどあったが、彼女がそうと決めたのだから、従うしかないのだろう。
彼女を見た時から、ずっと気になっていたこと。彩音は、それを尋ねようと決めた。
「あの、あなたは――」
再び彼女のほうへ視線を戻した瞬間、彩音の身体がびくりと跳ねる。
先ほどまで少女の姿だった彼女は――いつの間にか、彩音と同じ年頃と思しき女の子の姿へと変わっていた。顔や体型だけではない。服装も、彩音の着ている制服とほとんど同じものだし、見た目だけなら同級生のようにさえ見える。
ごくりと生唾を飲み込み、彩音は改めてその質問を彼女へとぶつける。
「……あなたは一体、何なの……?」
「ふむ、何、とは、傷つくのう」
その言葉とは裏腹に、彼女は愉快そうに笑い、手の甲で頬杖を突きながら答えた。
「余の名はアスモデウス。天界の者共にも地上の有象無象にも嫌われる、地の底を這いずりし大悪魔じゃ」
――大悪魔――
それを疑うより、すんなりと飲み込めてしまうことのほうが、彩音には不思議だった。
いや、違う――今さら彼女が『自分はただの人間だ』などといっても、信じられるはずが無い。それよりも、大悪魔、と思ったほうがよほどしっくりと来る。多分に失礼な話ではあるだろうが、しかし彼女は愉快そうに笑い飛ばすだけだろう。
大悪魔と名乗った彼女は、頬杖をつきながら言葉を続けた。
「さて、それではこれで終わりとしよう。他に何か聞きたいことがあるのならば、ナナシからでも聞けばよい。あの者は人懐っこいからのう、喜んで話し相手になるじゃろう」
「あ、はい……」
何となく呆けた心境のまま、彩音は真後ろにある扉へと手を掛ける。
「あの、そ、それじゃ、私はこれで……」
「うむ、まあ気が向いたら、ここへ顔を見せにきてもよいぞ。汝の自由じゃがな」
「は、はぁ……それじゃ、あの……し、失礼しますっ」
最後に一度お辞儀してから、彩音はそそくさと退室する。相変わらず見た目には重厚そうな扉であったが、やはり重さなどほとんど感じなかった。




