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万魔殿《パンデモニウム》は眠らない  作者: 初美陽一
第一幕 そこに住まうは『人』か『魔』か

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1-04

 見知らぬ手に引かれて、どこまで逃げてきただろう。再三に渡って通路に入り、階段をいくつか上がって、大男の雄叫びが遠くなっていくたび、彩音は少しずつ安心感を覚えていた。


 迫ってきていた大男の声が聞こえなくなった時、ようやく二人の足が止まる。


「はぁっ、はぁっ……」


 膝に手をついて息を切らせていた彩音が、安堵に胸をそっと撫で下ろす。

 当面の危機は脱したようだ。しかし、彩音の手を引いていたのは誰だったのか。


 彩音が恐る恐る顔を上げると、そこにいたのは――


「……へへっ、おねえちゃん、危ないとこだったねぇ」


 ――朗らかに笑う、幼い少年だった。


 歳のほどは、恐らく十歳を少し超えた程度だろうか。痩せ気味ではあるが幼い顔立ちからは愛らしさが窺え、少年らしく好奇心旺盛そうな瞳をくりくりと輝かせている。

 少しばかりクセ毛気味の短めに揃えられた赤髪は、何となく彩音とは違う国の生まれのように見えた。


 服装は、何やら不自然に思えるほど真新しいが、彩音には見たことのない服である。その真新しさとは裏腹に、意匠は時代錯誤の古めかしい雰囲気だった。


 笑みを絶やさぬ少年は、明るい印象そのままの語調で彩音に話しかけてくる。


「おねえちゃん、どうかした? あっ、わかった。さっきのアイツに追いかけられてさ、怖かったんでしょ? もう大丈夫だよ。ここまで逃げれば追ってこないと思うから。アイツは一回でも見失ったら、結構すぐに諦めちゃうんだからね」


 この少年はお喋りがよほど好きなのか、何も言っていない彩音に対して、次々と言葉を投げかけてくる。その勢いに少しだけ戸惑いながら、彩音がおずおずと尋ねた。


「あの……さっきの大男って、何なの?」


「ああ、アイツは〝理性〟っていうヤツを失くしてるんだ。だからさ、()()へ来る人達とか住んでる人達を、とりあえず襲おうとするんだよ」


()()へ来る? 住んでる? 〝理性〟を失くしてる、って……ど、どういう意味? ねえ、ここって、一体なんだっていうの? どういう所なの? なんで、急に扉が出てきたり、襲われたり……あなただって、一体――」


「まあまあ、落ち着いてよ、おねえちゃん。僕が今から案内するからさ」


「……案内?」


「そっ、僕はここの〝案内人〟なんだ」


 質問攻めにする彩音に、少年は慣れた様子で対応する。年端もいかない少年にさとされているようで、彩音は少し気恥ずかしくなっていた。


「そ、それじゃ、あの……」


「うん、なに? おねえちゃん」


「……あ、案内、よろしくお願いします」


「うん! まっかせてよ!」


 快諾しながら歩き出した少年に、彩音が慌てて付いていく。と、歩き出した少年はすぐに振り返り、彩音に向けて笑いかけた。


「僕の名前は、ナナシ。よろしくね、おねえちゃん」


「あ、え、あっ……わ、私の名前は彩音、皆月彩音よ。よろしくね、えっと……」


 ナナシ――名無し? と変わった名前を訝しがりながら、彩音は続ける。


「よろしくね、ナナシ……くん」


「うん! それじゃまあ、とりあえず付いてきてよ」


 駆け足で終えた自己紹介の直後、少年はよほど気が早いのか、早足で歩き出した。


 この陰鬱とした場所には似合わない子だ、と何となく思いながら、彩音は少年の背中を追う。独りで佇んでいた先ほどまでに比べれば、心はずっと軽くなっているようだった。


「さあ、着いたよ」


 数分と歩かない内に、少年がそんなことを言いながら立ち止まった。突然だったもので、彩音も思わず戸惑ってしまう。


「……着いたって?」


()()の、ご主人様の部屋」


 少年の言う()()とは、城とも館ともつかぬ()()()()そのものを指しているのだろう。


 その部屋の扉は他と比較しても非常に大仰で、見ているだけでも重苦しさが伝わってくるようだった。そしてその部屋にいるのは、この不思議な場所の主なのだと少年は言う。


「じゃあ、適当に挨拶してきなよ、おねえちゃん」


「えっ? な、ナナシくんはついてきてくれないの?」


「うん、邪魔しちゃ悪いしさ。おねえちゃんが出てくるまで、この辺で待ってるから、安心してよ。案内も終わってないしね」


「……そ、そう……」


 若干の不安は拭えないまま、彩音は一つ深呼吸してから、重たそうな扉に手を触れた。

 ――ギィ、と重苦しそうな音を立てながらも、しかし扉は羽のように軽い。まるで、初めてここへ来るときに触れた、あの入り口の扉のようだった。


「…………」


 彩音は心細さから、ついナナシのほうを見た。するとナナシは軽く破顔して――


「いってらっしゃい! おねえちゃん!」


 何とも快く送り出してくれた。


「……い、いってきます」


 もうどうにでもなれ、と彩音は若干投げやりになりながら、室内へと足を踏み入れた。


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