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万魔殿《パンデモニウム》は眠らない  作者: 初美陽一
第二幕 《万魔殿》は何もかもが〝不思議〟に満ちていて

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22/55

2-10

 部屋で独りになると、彩音の気分はどんよりと沈んでしまう。理由は言わずもがな、部屋の片隅にある、例のピアノだ。


「……はぁ」


 何度目だろうか、この部屋にいて彩音は、数え切れないほどの溜め息を吐き続けていた。溜め息を吐くたびに、気分はどんどん沈んでいくような気さえする。


 そういえば――と、彩音はカーテンのほうに視線をやった。


「外の景色……見えるのかしら」


 この万魔殿の外は、どうなっているのだろう。この不思議な場所では、外の景色も単純には見えないかもしれない。もしかしたら、彩音の元いた世界に繋がっている可能性もある。


 一切の光を遮断しようとするような、不自然なまでに厚手のカーテンを、彩音は自由に動く左手で掴んだ。見た目は布地のようでありながら、鉛のごとく重量感のあるカーテンを、渾身の力で引き開く。


「ん、もう、何よ、この重さ……えいっ。……えっ?」


 ――カーテンの向こう側には、この世の物とは思えない景色が広がっていた。


 まるでこの場所は、深い暗雲の中を飛んでいるようだ。時折、暗雲を引き裂く稲光が遠目に映る。連続して線を引く雷雨の激しさとは裏腹に、一切の音も届いてこない。


 ともすれば幻想的な光景にも思えるが――しかしその、この世ならざる美しさに、あらぬ来訪者が割り込んできた。


 背に翼の生えた人間――間違いでなければ、天使と呼ばれる存在だろう。規則的に群れをなして飛び交うその姿は、この景色をいまだ幻想的に彩っていた。そのどれもが長槍を雄々しく携え、純白の衣を身にまとい、天上の象徴とされるのも頷ける御姿である。


 そんな幻想が終焉を迎えたのは、彼らがこの万魔殿に近づいてきてからだった。


「……は、えっ?」


 彩音の瞳の中で、徐々に拡大していくその姿。純白の天使の顔には――目も鼻も、口も耳も、何も存在していない。薄っぺらな皮膚の仮面が張り付いているだけの、まるで()()()()()()のような顔だった。


 何度となく目を擦っても、幾度となく見直しても、その平坦な細面に目鼻や口が生えてくるはずもない。見間違いではないのだ。


 そして彩音の眼前にまで迫ってきた《顔のない天使》は、無造作に長槍を振りかぶった。


「あっ……は? あ、えっ?」


 何が起きているのか理解できていない彩音に向けて、ついに長槍が振り下ろされる。


「きゃっ……きゃあああっ!」


 悲鳴を上げてうずくまる彩音に、しかし槍の矛先は届かない。そこで改めて彩音は、内側と外側を分かつための窓の存在に気付いた。開く術のないはめ殺しの窓は、大して頑丈そうにも見えないのに、天使達の振るう長槍を全て弾き返している。


 そこでまた、彩音は新たな事実に気が付く。


万魔殿パンデモニウムが――攻撃を受けてるんだ」


 彩音の部屋だけが、攻撃されているわけではない。


 他の《顔のない天使》達の姿は時々しか見えないし、攻撃されている時の音が聞こえてくるというわけでもないが、彩音は直感的に理解した。


 だからといって、どうすれば良いのか判らない。そんな時、真っ先に思い浮かぶのは、


「――ナナシくん――ナナシくんっ! 大変なのっ!」


 万魔殿の〝案内人〟である、少年の名だった。

 彩音が呼んでから間もなく、待ってましたと言わんばかりに、部屋の扉が開け放たれる。


「はいはーいっ! おっ邪魔しまーっす! おねえちゃん、どうしたのっ?」


 張り込んでいたのかと思うほど、ほとんど間を置かずに現れたナナシだったが、今の彩音はそれどころでない。


「あっ、ナナシくん! 大変なの、外が……天使、みたいなのが……万魔殿をっ」

「まあまあ、落ち着いてってば。僕に任せてよっ」


 どん、と胸を叩いたナナシの姿に、彩音は頼もしさを覚えていた。大股でナナシが窓へと近づくと、いざ仕事の時間、と言わんばかりに袖を捲り上げ、そして――!

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