2-02
入り組んだ通路を進み、再三に渡って横道に逸れても、大男は執拗に追ってくる。彩音の左手を引きながら逃げ続けていたナナシが、軽く頬を膨らませた。
「もぉ~、しつこいなぁ。いつもはこんなに追ってこないのに……おねえちゃん可愛いからさ、本当に気に入られちゃってるのかもよ?」
「え、縁起でもないことっ……はぁっ、い、言わないでっ……」
息を切らしながら反論する彩音には、限界が少しずつ近づいている。このまま逃げ続けていても、大男が諦めない限りは、いずれ捕まってしまうだろう。
そういう判断だったのだろうか――ナナシが、突拍子もないことを言い始めた。
「僕が囮になってアイツを引き付けるからさ、おねえちゃん、その間に逃げなよ」
「え? ……ええっ!? なに言ってるの! ダメよ、そんなことっ!」
「まあまあ、大丈夫大丈夫。えっとさ、この通路を先へ行ったところに、ぽつんって一個だけ部屋があるから、そこで落ち合おうよ」
「ちょ、ちょっと、ナナシくん……聞いてよ、危ないってば!」
「大丈夫だって。それじゃ、行ってくるから、また後でね~」
ちょっとそこまで、と言わんばかりの軽い足取りで、ナナシは大男の雄叫びがするほうへ走っていった。と、次の瞬間――
「ほーらっ! こっちだよーっ!」
「ウゴォ……ウボォォォエアァァァ!」
ナナシの声と、大男の一際大きな叫び声と共に、軽い足音と重い地響きが混ざり合いながら、少しずつ遠ざかっていく。
「ナナシくん……お願いだから、無茶しないでよっ……!」
ナナシの命知らずな行動に冷や汗をかきながら、彩音は彼の言った通り、通路の先へと進むことにした。
その刹那――蝋燭に照らされてもなお薄暗い通路の先に、彩音が人影を確認する。びくりと身体を大きく震わせて、彩音はそのまま立ち止まってしまった。
「なっ、あっ……だ、誰なの……?」
彩音の問いかけに答えるように、人影はおもむろに近づいてきた。その姿が蝋燭の明かりではっきり照らされるのと同時に、彩音は思わず息を呑む。
そこに現れたのは――この世の者とは思えないような、絶世の美女だった。
すらりと細い手足は作りの良い芸術品。覗く素肌は透き通るような白絹。神の気まぐれによって作られたのかとさえ思える美麗な顔立ちは、眉根一つも微動だにしていない。
腰にまで届きそうな銀色の髪は、この薄暗い場所にあって、蝋燭の光を反射して薄っすらと輝きを放っているようにさえ映る。
ただ、その碧い瞳からは一切の輝きも窺えない。全く生気を感じさせないその佇まいは、まるで良く出来た人形のようだった。
「……メイド、さん?」
彼女の衣服は、まるで使用人の着る〝それ〟だった。見た目にすら高貴な雰囲気を醸し出す彼女には不釣合いでありながら、それが逆に美しさを引き立てる要素とさえ思える。
異性同姓の別なく、彼女を見れば惚けて立ち尽くしてしまうだろう。それは彩音でさえも例外ではなかったのだが――
「ヴォオォォォ……」
思わず見惚れて立ち尽くしていた彩音の思考を、遠くに聞こえる大男の咆哮が現実へと引き戻す。ここで惚けているわけにはいかないと、彩音は改めて逃げ出そうとした。
「あの、えっと……あなたも、早く逃げたほうが良いですよ?」
彩音が遠慮がちに声を掛けるが、使用人姿の美女は一切の反応を示さない。
「あ、あの……早く逃げないと」
「……おはようございます、お嬢様」
不意に彼女から紡がれた言葉は、鈴の音のように透き通って響いたが、その内容はいまいち会話として成立していない。
「えっ? お、お嬢様? あ、じゃなくって、逃げないと……」
こうしている間にも、大男の声は彩音達のいる場所にまで響いてきている。ナナシが引き付けてくれているとはいえ、いつまたここへと迫ってくるかも分からない。
「……っ、と、とにかく、あなたも逃げるんですっ!」
彩音が左手で彼女の手を引くと、彼女は特に拒否の姿勢も見せず付いてきた。
「かしこまりました、お嬢様」
「えっ……あっ、きゃあっ!」
彩音が手を引いていたのも束の間のこと。美女はその細い腕からは考えられないような力で彩音を担ぎ上げ、同じく細い足からは想像もつかない速度で駆け出した。
「あっ、あの、ちょっと!」
「お嬢様、舌を噛みませんよう、ご注意くださいませ」
美女に注意を促され、お姫様だっこされるような形で担がれていた彩音が、思わず口元を両手で押さえる。
「……も、もうっ、今度は一体なんなのよっ!」
彩音が思わず発した言葉に、今度は何の返事もなかった。




