第6章:記憶の境界線
夜、部屋の明かりを消して、ベッドに横になる。
天井を見つめながら、何度もあの写真を思い出していた。
田中さんの笑顔。隣にいる“俺”。
でも、どうしても思い出せない。
あの場にいたという実感が、俺の中には欠けていた。
目を閉じると、誰かが耳元でささやく。
「お前の頭がおかしいんじゃないか?」
最初に違和感を覚えたのは、田中さんのことだった。
でも、気づけば俺の記憶そのものが、どこか不安定になってきていた。
机の中にあるはずの書類が、記憶と違う場所に置かれている。
同僚の口癖が、微妙に違うように聞こえる。
社内のレイアウトが、少し前と変わっている気がする――そんな小さな違和感が積み重なる。
本当に俺は、正しいのか?
田中さんがいたと“思い込んでいる”だけなのか?
すべては、俺が勝手に作り上げた幻想なんじゃないのか?
否定したい気持ちと、肯定してしまいたい誘惑が交互に押し寄せる。
記憶は、誰にも証明できない。
俺にしか見えていないものを、どう信じればいい?
誰にも話せなかった。
笑われるだけじゃない。
「病院、行った方がいいよ」って言われる未来が見える。
自分自身が、自分自身を信用できなくなったとき――
人はどうやって生きていけばいいんだろう。
俺はその答えを知らなかった。