89 全く分からない
カッシアが落ち着いてから2人を着替えさせるために、シャホルさんと共に寝泊まりしている部屋に移動した。
ノックしてから入り、部屋を見渡すがシャホルさんの姿はどこにも見当たらない。
「シャホルさん、どこに行ったんだろう?」
「起きた時からいなかったよ。だから、お兄ちゃんを連れていっちゃったのかもって思ったの。シャホル様に謝らなくちゃ」
勘違いしてしまったという照れを混じらせながらも、申し訳なさそうに肩を落とすカッシアの頭を柔らかく撫でる。
それで、慌てて私の部屋に来たのね。
シャホルさん、どこに行ったんだろう?
帰って……は、ないだろうな。
「大丈夫よ。シャホルさんがアピオスを好きすぎるからだって付け加えれば分かってもらえるわ」
そもそも謝らなくてもいいと思うけどね。
でも、カッシア的には謝ってスッキリしたいんだろうから止めないよ。
シャホルさんはカッシアのことも好きだから怒らないだろうしね。
気にもしないんじゃないかな。
笑顔で頷いたカッシアは、パジャマを脱ぎはじめた。
着替え終わったアピオスが、自分とカッシアのパジャマを畳んでいる。
「アピオスとカッシア、元気になってよかったよ」
一緒に移動してきたポプルスが安堵したように呟いた言葉に、ゆるく頷いた。
「ノワールちゃん、アスワドちゃんの森の問題は解決しそう?」
「当たり前でしょ。私を誰だと思っているのよ」
「最高に可愛くてめちゃくちゃ天才で俺が愛してやまない女の子」
「よくスラスラ出てくるわね」
「本当のことだからね。それに、伝えられる時に伝えとかないと」
「聞き飽きそうだわ」
「夢に出ることが目標だよ」
呆れたように息を吐き出し「本当にバカね」と冷たく見たのに、ポプルスは嬉しそうに抱きついてきた。
アピオスとカッシアの着替えが終わり、ポプルスを片手で軽く引き剥がしてから食堂に向かって歩き出す。
シーニーたちに聞けばシャホルさんのことが分かるかもと思っていたが、尋ねなくてもシャホルさんは食堂ですでに朝食を食べていた。
シャホルさんの斜め前には、身を縮めているアスワドさんが座っている。
アスワドさんの首には、ゆらゆらと頭を揺らして踊っているように見えるパッチャが巻き付いている。
「ノワールしゃま! おはようごじゃましゅ!」
「パッチャ、起きられるようになったのね。よかったわ」
「はいでしゅ。ノワールしゃま、助けてくだしゃってありがとうごじゃましゅ」
「どういたしまして」
パッチャと会話をしながら席に着くと、シーニーが急ぎ足で私たちの分の朝食を用意してくれる。
「シーニー、ブラウたちは?」
シャホルさんの眷属のルーフスは、シャホルさんの足元で勢いよく食事をしている。
それなのに、ブラウたちはご飯を食べずにどこにいるのだろう?
「私が森を調べさせに行かせた」
シーニーではなくシャホルさんが答えた。
シーニーは開きかけた口を閉じ、しっかりと頷いている。
「シャホルさん、アスワドさん、おはようございます」
「やっとか」
「すみません」
「貴様の謝罪はいつも軽いな」
「まさか。誠心誠意謝っています」
いや、本当に誠心誠意謝っている時もあるから……たぶん……。
お願いだから睨まないで。
「まぁ、よい」
「ありがとうございます。それと、ブラウたちが調べに行っているとは、どういうことでしょうか?」
「貴様の森との違いが分かれば、アスワドの方針も決めやすいと思ってな」
私の森との違い?
何のことだろうなぁ。
森に方針がいるってことなのかな?
森は魔女と眷属に直結しているとしても……えー、うーん、いるの?
考えていたことがバレたのか、シャホルさんの蔑むような視線を感じて、誤魔化すように笑顔を返した。
短い息を吐き出されたが怒られないようだ。
「アスワド。貴様、こんなバカに負けて恥ずかしくないのか?」
ひどい……ノワールは天才だよ……
「わたしは……」
ってか、アスワドさんが1ミリも怒ってない。
朝から変だとは思ってたけど、シャホルさんってそんなに怖いってこと?
なんて、この時は「シャホルさんってどんだけよ」と呑気に思っていた。
後からシーニーが教えてくれた話だが、日の出くらいの時間に起きたアスワドさんは、2時間ほどシャホルさんの言葉の暴力に耐えていたそうだ。
「恐怖で息が止まるかと思いました」とシーニーは身震いしていた。
怯えているシーニーを見るのが初めてくらいに珍しく、私も自分自身で腕を摩って悪寒を追いやったのだった。
「まぁまぁ、今は美味しい朝ご飯の時間ですし、ひとまず色んなことは置いときましょう。アスワドさんも食べましょう」
ええ! 助け舟のつもりだったのに2人から睨まれた。
ぐすん。
「いいだろう。ノワール、雑談程度にどうするのか教えてくれ」
「どうするとは?」
「ネーロを泣かすんだろ?」
カッシアとアピオスを挟んでポプルスと座っているので、3つ隣のポプルスの様子は窺えない。
でも、シャホルさんの視線がわずかにポプルスを捉えていたので、きっとネーロさんの名前に動揺したのだろう。
「はい。旅行が終わり次第取り掛かります」
「何をするのよ?」
会話に加わってきたアスワドさんに、余裕がある笑みを向ける。
「薬を売ろうと思ってます」
「ネーロの分野に手を出すのか」
小気味良さそうに話すシャホルさんは、新しいお皿に手をつけている。
「はい。ただそれだけだと面白くないので、ネーロさんが大切にしているだろうものを奪います」
アスワドさんが瞳を真ん丸くさせる意味も、シャホルさんが高笑いする理由も分からないが、ネーロさんが何かを大切にしているということは理解できた。
「強欲の魔女らしくていいと思うぞ」
「ありがとうございます」
「ノワール」
緊張を含んだ声でアスワドさんに名前を呼ばれた。
視線を移すと、表情も強張っていて、見ているこっちの息が詰まりそうになる。
「何でしょう?」
「もし、もしでいいの。ネーロさんの大切なものがノワールに不要なら、わたしにくれない?」
「アスワド、貴様はダメだ」
「いらなかったばあ――
「アスワド!」
えー……ねぇ、どうしてまた修羅場っぽくなったの?
唇を噛んで俯くアスワドさんの頬に、心配気なパッチャが擦り寄っている。
「いいか? あれは元々ノワールのものだ。それに、あんなものに縋るな。成長しろ」
やだわー。全く分かんない。
ノワールのものなのに、ネーロさんが大切にしてるって何?
そんな記憶なんて無いんだけどなぁ。
しかも、シャホルさん曰く「あんなもの」なんでしょ。
私に必要なものじゃないと思うんだけどなぁ。
だから、「あげてもいいんじゃない」だけど、何か分かんないことにはなぁ。
欲しくなるかもしれないし、何かに使えるかもしれないし。
でもなぁ、この雰囲気に耐えられない。
「アスワドさん、いいですよ。私に必要なければお渡しします」
アスワドさんの「ええ、本当に要らなかったらでいいの」という蚊の鳴くような声は、シャホルさんの「どっちが年上か分からんな」という言葉にかき消されていた。
来週・再来週とアスワドの眷属が続々と出てくる予定です。
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