一時退却
今回はちょっと短めです。探索の合間みたいな回。
お話的にはあんまり進んでないですがご容赦を!
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そして四時間と少しの時間が流れた。
「あー、遥。これはどう?」
『むむ……いえ、すいません見覚えありませんっ』
「そか……」
くあ、と思わずあくびをして目をこする。もうそろそろ東の方から太陽が昇ってくる頃合だ、さすがに眠い。廊下の窓から住宅街の方に目を向けるとポツポツと明かりがついている家も見受けられる。もうすぐアラーム設定をしている五時だ。ここらが切り上げ時だろう。
ちなみに今いるのは二年八組の教室である。
一学年十五クラスもあるこの高校をこんなに恨んだことは未だかつてない。旧校舎一階には三年生の教室全てと旧職員室があり、どこも必要なもの以外のお引越しを嫌っていたため探索にはかなり時間がかかった。まあ移動させる先は新校舎であってそこも後々探すんだから最終的な手間は変わらないはずなのだが、こういう怒りは理不尽なものなのですよはい。眠いし。
「旧校舎はあと半分くらいかあー、っと」
眠気を覚ますために右手で頬をつねる。このペースなら明日には終わるか。ただ旧校舎というだけあって今は使われていないから、当然現役棟の方はここの数倍じゃきかないくらい物が多い。
『はいっ。……あの悠さん、大丈夫です?』
「まあ、これでも夜更かしには慣れてるから」
『でもふらふらしてます!』
「そう? あれほんとだ……ダメだ眠い、何で……」
何でというか、夜更かしとは言ってもせいぜい三時くらいには寝ている俺にとってこんな時間は未知のゾーンである。まともに頭が動くはずもない。身体も同じく。
「やば……帰らないと、結城が」
けたたましく鳴り響くアラームと俺を呼ぶ遥の声、音量設定MAXのため文字通り耳を劈くようなそれらの間近で俺の意識はゆっくり闇の中に落ちていった。
ジリリリリリリリカチッ。
「はっ!?」
そして普通に目覚めた。ベッドの上で。……ベッドの上?
昨日のこと、というかついさっきのことを思い返してみるが、やはり家に帰った記憶はない。早朝五時で暗転し、現在――八時少し前、に至る。
毎朝の習慣で目覚ましは止めたけど、一体どうなってるんだ? 周りを見渡すまでもなく、ここが自宅であることは分かりきっている。あの目覚ましの触感質感は間違いなく俺のものだ。ただシーツや布団の感触がいつもと違うような気がする。
仕方なくまだ眠い頭に喝を入れ、両手を使って起き上がろうとし――、
「え?」
ベッドについたはずの右手が妙な感触に押し戻されていることに気がついた。
何か、妙な、やわらかいものに触れていることに。
「ん……」
微かに甘い吐息が至近距離から聞こえる。ものすごく嫌な予感に襲われながら手の先にある何かに目を向けた。
「あ……んっ」
俺に身を寄せるようにして静かに寝息を立て、顔をわずかに赤らめ時折ぴくんと身体を震わせているのは、俺の記憶が改竄されているのでなければ制服姿の結城夢乃その人に見える。
「え……なんで?」
「んぁ……ん?」
しかもなお悪いことに、何が悪いかといえばどうしようもなくタイミングが悪いことに、つい漏れてしまった今の声で彼女は目を覚ましてしまったらしい。咄嗟のことに硬直して動けない俺を寝ぼけ眼の結城が見つめる。寝起きだと俯いていないので逆に顔がはっきり見え、とろんとした表情がやけに色っぽく映った。その瞳が段々と覚醒していき、事態を把握し始める。
そして俺が呪縛から解放されるのと結城の目が俺の右手の所在地を特定したのはほとんど同時だった。
「あ、ちょっと待って結城これはその――」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
声にならない悲鳴と、パアンッという気持ちを代弁するかのような鋭く激しい平手打ち。それらを放つと結城は両手で自分の身体を抱きしめるようにして部屋から走り去ってしまった。
誤解を解かないと……でも自分でも分からないのにどうやって説明すればいいんだ?
頭を掻きながら何の気なしにポケットに突っ込んであったスマホを見ると〝憑希育成ゲーム〟が開いたままになっていて、画面では遥がやり遂げたように穏やかな顔で瞳を閉じ、眠っていた。
「……ああ」
何となく、分かったような気がする。
結城は部屋から数歩出たところでうずくまっていた。ちょうど寝ていたベッドから十メートル離れた位置。どうやらさっきの部屋は両親の寝室、つまり俺が昨日結城を寝かせた場所だったらしい。
出来るだけ体を小さくしている結城に少し近づき、背中に声をかける。
「あーその、ごめん。本当ごめん。でも何もしてないから。誤解だって」
うっかり触っちゃったのはカウントしてないけどそれ以外は完全無欠に無実である。何しろ起きたのがついさっきだ、あれくらいの時間なら高校生男子の理性でも耐え抜ける。耐え抜ける? うん……多分。
「ご、かい……?」
涙声じゃなかったのがせめてもの救いだが、その声は大分震えていて弱々しかった。上目遣いというか純粋に見上げてくる結城に力強く頷いてみせる。
「うん。なんで一緒に寝てたのかはちょっと説明できないけど、その結城が思ってるようなことはしてないから」
「――とか――も? ――もされてない?」
「お、おう。してないからそういう放送禁止コードに引っかかりそうな単語連発すんなよ? てかそんなこと俺がしてると思ったの?」
想像力のベクトルがおかしな方向に肥大化してる。
「そう……それなら良い。取り乱してごめんなさい。痛かった?」
でもその返答を聞いて落ち着いたようで、結城はやっといつものペースを取り戻し始めていた。立ち上がり、廊下の角に隠れる。いやそこは取り戻さなくて良いんだけど。
「いや大丈夫。そんなことよりもう結構時間ギリギリだよ、学校行く準備しないと」
「準備。……朝ご飯」
そんなの作ってる暇はない、ないが目の前でいつそんな技を習得したのか捨てられたチワワのような瞳で催促してくる結城に負い目があるのと、あと昨日の夜が早かったから俺自身お腹が空いているというのもあり、遅刻覚悟でなにか作ろうかとキッチンに入る。
と、
「あれ……?」
白米に味噌汁、焼き魚といった和食三点セットが二人分、ラップにくるまれて置いてあるのが目に入った。
一応後ろを振り向いてみるが、さっそくちょこんと席に着いている結城が料理をしたとはまず考えられない。親が深夜の間だけ帰ってきていた形跡もない。というかそんなことになっていたら当然寝室を覗き込むわけで、最終的に俺の人生が崩壊するだろう。
なら答えは一つだ。消去法というとても便利な方法がある。
「俺、か……やるじゃんか」
自画自賛、というわけではもちろんない。
俺が学校で倒れてから自転車で家まで戻り、結城と同じ寝床に入ってしまうという些細なミスはあったものの、朝食を用意した上でベッドに入った〝俺〟のことを大変評価する所存である、というだけのことだ。
もう一度画面を覗き込む。遥の寝顔はとても心地よさそうだった。
読んでくれてありがとうございます!次回は多分ちょっとは進展すると思いますー