第4話 小さな反抗
翌朝、アリアは鏡の前で立ち尽くしていた。
銀色スーツの胸元――
その内側に、昨夜そっと縫い付けた赤い布が隠れている。
ほんの小さな布切れ。
指先ほどの大きさしかない。
けれど、それはアリアにとって、世界でいちばん鮮やかな色だった。
(誰にも見えない場所。でも……)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(私の中に、色がある)
その事実だけで、呼吸が少しだけ軽くなった。
アリアは深呼吸し、部屋を出た。
◆
居住区の通路は、いつも通り白と銀だけで満たされていた。
人々は同じスーツを着て、同じ速度で歩き、同じ無表情をしている。
だが、アリアには世界が少し違って見えた。
(昨日の色が、まだ目の奥に残ってる)
ピンク。
ブルー。
黄色。
ミントグリーン。
画面の中で踊っていた色彩が、まだ心の中で揺れている。
胸元の赤い布が、歩くたびに微かに揺れた。
誰にも見えないはずなのに、アリアは何度も胸元を押さえてしまう。
(見つかったら、どうなるんだろう)
怖い。
でも、それ以上に――
(隠しているのが、もったいない)
そんな気持ちが湧いてくる。
◆
資料室に入ると、ミラがすぐにアリアを見つけた。
「おはよう、アリア」
いつもより少しだけ柔らかい声。
アリアは胸が跳ねる。
(昨日、ミラは扉の前にいた)
ミラは何かを知っているのだろうか。
アリアは視線をそらし、端末に向かった。
しかし、ミラの視線が時折こちらに向けられているのを感じる。
まるで、アリアの変化を見抜こうとしているように。
(気づかれてる……?)
胸元の赤い布が、急に熱を帯びたように感じた。
◆
その日の午後、アリアのスーツに微細な不具合が見つかり、技術部門へ行くことになった。
技術部門は資料室とは違い、機械音が絶えず響く場所だ。
銀色のスーツが整然と並び、技術者たちが無表情で作業している。
「スーツの調整ですか?」
声をかけてきたのは、若い技術者だった。
黒髪を短く切り、鋭い目をした青年。
胸元の名札には――
レオン・ヴァルク
アリアは小さく頷いた。
「はい。温度調整が少し不安定で……」
「見せてください」
レオンは手際よくスーツの外装を確認し、内部センサーのデータを読み取る。
そのとき――
「……ん?」
レオンの指が、胸元の内側で止まった。
アリアの心臓が跳ねる。
(やばい……!)
レオンは眉をひそめ、スーツの内側に指を滑り込ませる。
「これは……布?」
アリアは反射的にスーツを押さえた。
「ち、違います! それは……その……」
言葉が出ない。
喉が乾き、声が震える。
レオンはアリアを見つめた。
その目は、責めるようでも、疑うようでもなかった。
ただ、興味深そうに光っていた。
「……色がついてる」
アリアは息を呑んだ。
レオンは布を引き出そうとはせず、ただじっと見つめている。
「こんな色、久しぶりに見た」
「え……?」
「昔の資料でしか見たことがない。赤って、こんなに鮮やかなんだな」
アリアは驚いた。
レオンの声には、ほんのわずかに感情があった。
「……怒らないんですか?」
レオンは肩をすくめた。
「規則違反だけど、興味のほうが勝ったかな。どうやって色をつけたんです?」
アリアは答えられなかった。
けれど、レオンの目は真剣だった。
「もし、他にも色をつけたいなら、理論上は可能ですよ」
アリアの心臓が大きく跳ねた。
「え……?」
レオンは微笑んだ。
それは、このステーションでは滅多に見られない、柔らかな笑みだった。
「興味があるなら、また来てください」
アリアは何も言えず、ただ頷いた。
胸元の赤い布が、今まででいちばん強く脈打っているように感じた。
◆
資料室に戻ると、ミラがアリアを見つめていた。
「ねえ、アリア。今日のあなた、なんだか違うね」
アリアは胸元を押さえた。
「……そう、かもしれない」
ミラは微笑んだ。
「うん。なんとなく、そう思った」
アリアは何も言えなかった。
けれど、ミラの言葉は不思議と怖くなかった。
(私、変わり始めてる)
胸の奥で、赤い布が静かに揺れた。
それは、誰にも見えない。
けれど確かに、アリアの世界に色が芽生え始めていた。
キャラクター紹介
レオン・ヴァルク(22)【技術者/スーツ改造のキーマン】
性別:男性
身長:178cm
職務:技術部門の若手エンジニア
家族:父はスーツ開発の主任研究者




