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第七十七話:変異体

 小刀も鞘から抜いて対峙した――不意に。


「あれは……」


 なんだあれは、と。己の視界に飛び込んできたものに、悠の目は細められる。目まぐるしい速さの中で確かに、それは他とは異なる輝きを宿していた。悠は沈思する。何故あの結晶体だけが虹色であるか。次の瞬間――あっ、と悠は声に発していた。


(もしかすると……あれが弱点なんじゃないか?)


 可能性はあった。あんなにも目立った輝きをしているのだから、単なる偶然なものと、どうしても悠は片付けられない。よって彼の意識は虹色水晶へと定められる。あれを本体から切り離してしまえば、ひょっとすると……。

 確証はない。しかし、膠着こうちゃく状態を脱するには行動を起こさぬことには不可能。そのためにも協力者が必要となる。ここで失敗すれば、きっとすべてが終わってしまう。悠は是が非でもそのような事態を避けたい。

 頼みの綱は彼女しかいない。悠は小烏丸の方を見やった。


「小烏丸ちょっと頼みがある」

「は、はいぃ! わわわ私でよければなんでもぉ……!」

「一瞬だけでもいい。楓の動きを止めてくれないか?」

「えぇぇぇっ!? そそそそんなの無理ですよぉ! 私の刃戯ちからじゃ今の楓さんを止めるのなんか絶対に無理ですってばぁ!」

「お前しかいないんだ小烏丸! 俺達のためにも、ここはひと踏ん張りしてくれ」

「…………」

「小烏丸……」

「……悠さんはぁ、私を心から信頼してくれますかぁ?」

「当たり前だろ」


 何を馬鹿なことを、と付け加えてやった悠は小烏丸の肩にそっと手を置いた。

 信頼に値しないような輩に預けられるほど、悠は愚かでもなければ、安い命でもない。小烏丸だからこその作戦だ。彼女の抜きでは成立しない。他にも方法がないこともないが、別手段を講じれば間違いなく楓も傷付けて、最悪の場合は――。


「小烏丸……いけるか?」

「……お任せくださいぃ! こうなったらこの小烏丸ぅ、見事悠さんのお役に立って見せましょうぅ!」

「よしっ! タイミングは任せた!」


 凄烈なる戦いの場へ、悠も身を投じた。

 三対一の構図に、卑怯などとそしる者は敵手を含めて誰もいない。送られるべきは称賛で、その資格は彼女にこそ相応しい。敵でありながら天晴れ、という言葉の使い時は正しくこの瞬間であるに違いない。


(楓……お前は本当に強い奴だよ)


「だがなぁ!!」


 白砂を巻き上げて、悠は攻撃へと移る。それに千年守鈴姫が地を蹴って続いた。

 仕手と愛刀――どちらも欠いては成り立たない彼らには、武器ちからが与えられた。二人が揃っていることを条件にした、なんとも稀有けう刃戯ちから。それ故の揺らがぬ自信――周りにも劣らず、あるいは勝るとさえも、悠も千年守鈴姫も信じて疑っていない。

 二人ならばどんな相手であろうと負けない、例えそれが天下五剣であろうとも。


 それこそが【双極神楽そうきょくかぐら】――四対の刃金はがねによって奏でられる剣舞曲の前にひれ伏さぬ者が現れなくなる日も、きっとそう遠くはない。いつか来るべき未来を糧にした悠と千年守鈴姫の剣が、楓を圧倒し始める。

 悠の剣が天へと昇る。けたたましい金切音と共に、楓の腕が大きく跳ね上げられた。


「小烏丸!!」

「――“悠さんのためにもぉ……楓さん止まってくださいぃ!!”」


 勝機を生み出さんとする小烏丸の叫びが、楓の動きを御した。


「でかした!!」


 鬼剣が勝機を掴まんと空を切り裂く。ここで嬉しい誤算があった。悠の要望であった一瞬という時間は、実際のところ三秒も時を楓から奪ったのである。

 軌跡に銀河を残した白星刃が虹色水晶を楓から切り離す。


「――――」


 刹那、楓が叫んだ。増々鬼のそれへと変貌していく彼女に悠は危機感を憶えるも、まずは目の前の異変について懐疑した。

 楓の様子がおかしい。攻めてくることもなければ、急に太刀を振り回している。それらが収まったかと思いきや、天を穿たんとばかりに吼えた。その様子が悠に胸騒ぎを生じさせる。俗にいう虫の知らせ、というやつで、悪い時に限って的中してしまうが故に、迫られる二つの選択肢に悠は右顧左眄うごさべんしていた。


(どうする、どうする、どうする――!?)

「……っ!!」


 突如として生じた攻撃の意志に、悠も思考を中断することを強いられる。攻撃に移っている愛刀に言い咎める彼の声質にも自然と焦燥感が宿る。


「な、なんのつもりだ鈴!!」

「主ごめん! でもここで斬らないともっと大変なことになる!」


 愛刀の言葉は、恐らく正しい。言咎いいとがめた悠自身でさえも、本能の警鐘に反しようとしていることは否めずにいた。楓の様子がおかしいのは明白で、とても元の姿に戻ってくれると到底思えぬ挙措から、いち早く判断し実行した千年守鈴姫が正しいことを成さんとしていることも悠は理解している。


(あぁ、俺は本当に馬鹿だ……)


 御剣姫守みつるぎのかみが斬るのは鬼であって、人でもなければましてや仲間でもない。確かに、男の奪い合いで斬った張ったするのは事実ではあるものの、命の奪い合いまでには至らない。

 だからこそ、斬るはこの結城悠こそが相応しい……いや、黒く汚れている自分でなければならないのだ。一度目は父を、二度目は最愛の妹を斬っている俺こそが、楓をどうにかする責務がある。


 寸のところで、悠は千年守鈴姫を羽交い絞めすることに成功した。驚き、顔を振り返らせる愛刀に、改めて優しい刀であることを意識する。

 ここで楓を斬らねば、更なる厄災が高天原へと降り掛かる――その考えが、もし間違っていたら。そこまで考えたからこそ、千年守鈴姫は動いたのだろう。間違いであった時、仕手あるじが自責の念が被らないことを計算の内に入れて……。


(本当にお前は優しい御剣姫守おんなのこだよ、鈴……)


 だからこそ、悠は千年守鈴姫の行動を許さない。


「あ、主!?」

「ありがとうな鈴。だけど、それは俺の役目だ。今、俺が――」


 楓を斬る。覚悟を決めて悠は楓を見据えた。

 次の瞬間――。


「なっ……!」


 楓が、楓でなくなっていく瞬間をありありと見せつけられた悠は思わず後退りした。

 人であった頃の下半身は、肉と骨の軋む音と共に壊され、作り直されていく。硬質化した巨大な八本足の新しい下半身が、悠に一つの単語を思い出させる。


 アラクネ――ギリシャ語で蜘蛛、蜘蛛の巣を意味する。機織りを営んでいた娘が女神アテナよりも勝ると驕ったことで、その神罰を受けて蜘蛛の怪物へと変えられた。

 西洋の魔物へと化した楓には誰しもが言葉を失う。ぎょろぎょろと“八つの眼”を動かした後、楓は壁へと飛びついた。ここで悲鳴の一つが上がらなかったのは、それだけに全員が驚愕の檻に閉じ込められていたからに他ない。呆然と立ち尽くす悠達を他所に、楓はそのまま地上へと出た。


「……って、しまった! このままだと耶真杜やまとが大変なことになるぞ!!」

「は、早くボク達もここから出ないと!」

「でも、どうやって出るつもりだ!?」

「えっとぉ、じゃあ私が最初に千年守さんの縄をもって地上に出ますぅ! そこからその縄を垂らしてぇ、後は手が届くところまで皆さんをお一人ずつ飛んで運ぶっていうのはどうでしょうかぁ? さすがに私も人を一番上まで運べるかどうか自信がないですのでぇ……」

「名案だ! ならば一番手は我からで頼む。あやつは……楓はもはや御剣姫守みつるぎのかみではなくなってしまった。この国や皆に害を成す存在となってしまった以上、引導を渡してやれるのは我しかおらん……!」

「安綱さん……」

「……わかりましたぁ。では急いで行ってきますねぇ!」


 双翼を羽ばたかせた小烏丸が地上へと昇っていく。

 その姿を見送ってた悠に、童子切安綱が声を掛ける。


「悠よ、貴様にはこれを預かってもらいたい」


 言って、蜘蛛切、吼丸、薄緑の太刀が渡される。


「これから先、激戦となるだろう。だからこそ貴様には彼女達を預かってもらいたい。万が一壊してしまっては、合わせる顔がないのでな」

「安綱さん……」

「お待たせしましたぁ! それじゃあ行きますよぉ!」

「あぁ! では、我は先に行く。貴様らは後から追いかけてこい。そして、他の皆を助けてやってくれ」

「一人で戦うつもりなんですか!?」

「……それが我にできる弔いとけじめだ」


 言い終えて、小烏丸の手を掴んで遠ざかっていく童子切安綱を、悠は黙って見送った。

 千年守鈴姫も昇り、いよいよ自分の番が回ってきて――不意に、悠は首だけを振り返らせる。白砂に半分埋もれる形で残された虹色水晶。ただ色違いなだけで、望んでいた結果にはならなかったそれにもう意味も用もない。にも関わらず、手に取った彼に小烏丸が不可思議そうに尋ねてくる。


「そのきれいな水晶を持っていくんですかぁ? 役に立たないって思いますけどぉ……」

「そうだろうな。でも……」

「でもぉ?」

「……いや、なんでもない。それよりも、俺で最後だ。持ち上げてくれ」

「はいぃ。では失礼しますねぇ!」


 身体がふわりと浮上する。ゆっくりと遠ざかっていく地底に別れを告げて、ふと悠はポケットに手を突っ込んだ。指先から伝わってくる冷たく硬質な触感が、彼の思考を疑問へと導いていく。

 何故、これを捨てずにいられなかったか。結局、悠は虹色水晶も連れていくことにした。これはやはり、ただの結晶体などではない。彼がそのように思い至る理由は、第三者に言わせれば、そんな馬鹿なことがあるわけなかろうに、と返されることを見越して、小烏丸にも真実を告げずにいる。


(こいつに触れた時、確かに声が聞こえた……連れていけって)

「――って小烏丸。ロープならもう手が届くからいいぞ」

「だだだ大丈夫ですぅ……ぜぇ……はぁ……こここのぐらいなんともないですからぁ」

「いやいやいや! 明らかに疲れているだろ! 途中で落とされるのはごめんだから早くロープを掴ませてくれ!」

「大丈夫ですってばぁ。ほらもう地上に着きま――あっ」

「え?」

「……ごめんなさいぃ。どうやら体力使い果たしちゃったみたいですぅ」

「……へ?」


 最後の最後までどこか気の抜けたような喋り方でさらりと恐ろしいことが告げられた悠は顔を青ざめさせる。程なくしてやってくる重力と、待ち受けている死の一文字に走馬燈を見て――地上すれすれで力切れを起こした小烏丸もろとも落下しそうになったところを、千年守鈴姫によって事なきを得た。

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