第七十六話:対峙
剣鬼は打ち震えていた。地下空洞に加えて、巨大な宮殿がある……朽ち果て具合からもう何十年と経っていることを来訪者に語っていて、それがまたいい具合に男心をくすぐらせてくる。
ここには何かがある。そう確信しているというのに、悠は中へ入ることへ躊躇いを見せる。
怖いという感情は今更過ぎる。心配しているのは、あの朽ちた宮殿の耐久性だ。見るからにちょっとした衝撃で崩れてしまいそうな雰囲気を醸し出していて、もしも戦闘にて御剣姫守が本気を出せばそれこそ確実に、この歴史あろう宮殿は崩壊しよう。
悠はあくまで人間だ。鬼を相手にできても、降り注ぐ瓦礫や木材は相手どれない。圧死という終わり方だけは、したくないところだ。
しかしながら、それを理由にして逃げることも悠には許されない。いや、悠自身が絶対に許さなかった。心配するべきは宮殿の崩壊だけにあらず。鬼が息を潜めてこちらの出方を窺っているやもしれぬ、と己に言い聞かせる悠は、中に入って絶句する。
「うっ……」
「これは、ひどいね……」
「…………」
待ち受けていた光景が、悠と千年守鈴姫の顔に嫌悪感を抱かせる。数えるのも億劫となってしまう屍があちこちで山を成している。骨の損傷具合から、もうずっと前に犠牲となった者達で、やはりここには鬼が隠れ家としていたと知った悠は大刀を抜いた。
鬼の気配は、まだない。だがいつでてきても、もうおかしくない状況下に自分はいる。一寸の油断も許されなくなった緊張感に全員の表情に険しさが増した。
「わかっているとは思うが……各々油断だけは絶対にするなよ。鬼を見つければ即座に対処する、が深追いや単独行動は一切禁止だ」
童子切安綱の言葉に、誰もが無言の肯定で答えた。
歩を進めていく中で、童子切安綱があっと声を上げた。
何事か。悠が視線を向けた先では、童子切安綱が一か所に向かって駆け出している。警戒心を解くなと口にしていた張本人が真っ先に破っていて、だがそうせざるを得なくさせた理由に興味を抱いた悠は彼女の後を追う。
立ち止まる童子切安綱の視線は下方へ。釣られて視線を下げる。
「これは……?」
「太刀……だね」
三振りは中程からへし折られている。
かつては業物であっただろうが、こうまで損傷がひどければ修復は望めまい。同時に、一つの結論へと悠は至った。童子切安綱の過去と場所とを結びつければ、充分な説得力を生む。
(まさか……この太刀って!)
「や、安綱さ……っ!」
彼女の方を見やった悠が、ぎょっと目を丸くする。
武人気質で凛々しい姿ばかりしか記憶にない彼が今日、はじめて見た一面は意外の一言でしかない。
「…………」
童子切安綱は泣いていた。声に出すことも、感情を取り乱すこともなく閑かに涙する姿には千年守鈴姫だけでなく、小烏丸でさえも驚きを隠せていない。
「ど、どうしたんですか安綱さん!」
「……この太刀は、間違いない」
「……あぁ! どこかで見憶えがあるなぁって思ってたんですけどぉ。これってひょっとしてぇ……」
「あぁ……ここにある三本の太刀は蜘蛛切、吼丸、薄緑のものだ……」
「こ、これが……」
童子切安綱から涙した理由を語られて、悠は辺りで築かれた屍の山を見て察する。亡き三名の御剣姫守がどこかで眠っているのは確実で、しかしそこから骨を識別することは至難である。
その状況下で、本人とわかる遺留品だけでも見つけられたのは大きな成果だ。日の光に晒されることも、誰の目にも留まることなかった彼女達はようやく、待ち人との再会を果たした。
これで少しでも彼女達の無念が晴れることを切に祈って、悠はそっと太刀を布に包んだ。壊さぬように、力加減に細心の注意を払って、誰よりも強い絆で結ばれている童子切安綱へと託す。
「彼女達を地上まで連れていけるのは安綱さんしかいませんから」
「……あぁ、そうだな。我が責任をもって皆を外まで連れていこう」
「はい。お願いします」
長き時を経て、仲間達が今ようやく童子切安綱の元へと帰った。
大切に抱きしめて、懐へと大切に入れた童子切安綱の瞳に、もう涙は浮かんでいない。曇っていた表情も晴れて、今や烈火の如く強い意志を秘めた面持ちは、見る者に心強さを与えてくれる。
(やっぱり天下五剣の称号は伊達じゃないな。最強の鬼を斬ったという逸話を持つ名刀だけあって頼りになる……)
改めて頼もしき仲間の存在を意識もできたところで、悠は視線をある方向へと変えた。この宮殿へと足を踏み入れた瞬間から、ずっと彼の関心を惹いている存在があった。
飴細工のように捩じられた分厚い鋼鉄の扉。御剣姫守でさえも恐らく不可能な所業を、いともたやすくやってのけた輩がいる。その存在は、やはり気配は未だに感じず。けれども確かに実在していたわけだから、悠は警戒心を更に強めた。
(この扉の奥には何があるんだ……)
恐る恐る、扉の方へと向かって進んでいく。
察するに、ここには何かが封印されていたと悠は思った。その思慮に至った理由は、やはり扉にある。中へ侵入しようとしていたならば、どうして内側からこじ開けられる必要があろう。自力で封印を破り外に出たと考える方が説得力もある。
中へと入り、悠は辺りを見回した。
中も外と変わらず、無数の骨によって山が築かれている。蜘蛛の巣があちこちに張り巡らされていて、節足動物を毛嫌いする者ならば発狂しかねない空間には、さしもの悠も嫌悪感を憶えざるを得ない。
そして、奥……玉座がぽつんと取り残されていた。
「あれは……玉座か?」
「しかし、少しばかり暗いな――ふんっ!」
童子切安綱が太刀をびゅん、と薙ぎ払うと赤々と燃ゆる炎が生み出される。骨すらも残さぬ高火力が捉えたのは、四方に設けられた松明に。轟と音を立てて燃え上がる赤き灯りが室内を照らして、すぐ。小烏丸が叫んだ。
「ああああ、あれあれぇ!!」
「鬼か!?」
小烏丸が指差す先には、なんという巨体か。一匹の鬼がいた。
大きさだけでいえば、かつて相対した『血を啜りし獣』よりも小さい。小さいといっても、人間サイズと比べればはるかに大きい。見上げねばならぬほどの巨体は蜘蛛の形をしている。
(こいつが土蜘蛛って鬼か!?)
悠は大刀を構えた。だが、一向に襲ってくる様子がない。
よくよく見やれば、既に土蜘蛛は事切れていた。自分を捉えていると思い込んでいた八つの瞳からも生気は感じられない。それもそうだ。身体に巨大な穴を開けておいて平然とした顔で襲ってこられたならば、それこそ真の怪物だ。
死んでいるとわかったことで、他の面々……特に童子切安綱に関しては誰よりも安堵を示していた。
「けど、どうして死んでいるのかな……」
「それはぁ、身体に大きな穴が開いているからでしょうけどぉ」
「そんなのは言われなくてもわかってる」
「なんだ、この傷跡は……」
大きな違和感――土蜘蛛の死体には疑問点がある。まず死因は、その巨体に大きく空けられた穴であることは間違いなかった。これだけ大きければ、即死は免れまい。辛うじて生きていたとしても、失血死が待っている。どう足掻いたところで、この鬼に生きる道はなかった。
問題は――如何にして、この傷がつけられたのか。悠はここに注視した。刀では、まず再現することは不可能。
ならば刃戯はどうか。真打の御剣姫守なら可能なはず――なるほど、確かにその線も捨てられない。寧ろ有力な仮説すらある、が……悠はこの可能性を否定した。これは絶対に刃戯による業ではない、と。
確信は、あった。裏付ける証拠は、やはり土蜘蛛にある。かの鬼に残された傷跡は、明らかに内側から喰い破られてできたものだからだ。
「安綱さん、一応お尋ねしますが……蜘蛛切さん、吼丸さん、薄緑さん。彼女達の刃戯でこんな傷を負わせられそうなのは?」
「いや、それはありえない。吼丸は貴様も見ただろう。それに蜘蛛切も薄緑も違う。このように内部から破壊するなど……」
「なるほど……」
新しい鬼の仕業か、それとも新たな存在によるものか。いずれにせよ、これ以上調べたところで何も得られないと感じた悠は童子切安綱に視線を向けた。目が合う。無言の肯定が返ってきたところを見ると、彼女も同じ意見であったらしい。長居はもはや無用。
全員がこの場からの離脱へと移った。
(ところで……外に帰れる方法ってあるのか?)
些細なことがらも、だがとても重要な問題だ。御剣姫守がいるから案ずることはないだろうけども。一寸の心配を胸に出口へと歩く悠の前に、一つの影が立ちはだかった。
どうしてここに。悠は納めたばかりの大刀を抜きながら、対峙者に心中にて問う。本部で拘束されているはずの人物が現れたものだから、三人の御剣姫守も狼狽している。
「楓……」
これまでの行動パターンから分析すれば、やはり抜け出してきたのだろう。唯一の違いは、力ずくという荒々しいやり方を彼女が取っていること。ぎらぎらと赤い瞳は殺意と憎悪によって濁っている。
右手には太刀を、左手には変異した腕を。そして背中や肩には結晶体を生やしている。
「主! あの結晶体って……!!」
「あぁ、あの時見たものとまったく同じだ」
「じゃ、じゃあ楓さんは鬼だったってことですかぁ!?」
「今は考えている時間はない! 来るぞ!!」
楓が吼えて、小烏丸が吹き飛ぶ。左腕による刺突を受けきれなかった彼女はそのまま壁へと叩きつけられた。
「小烏丸!!」
「わ、私なら大丈夫ですぅ……! で、でも痛いですぅ……」
「主くるよ!!」
嵐のような剣を前に、悠は避けることに専念した。先の一撃から、受けることも太刀打つことも危険であると判断したが故の行動である。御剣姫守である千年守鈴姫ですらも、彼女と打ち合うことを極力避けているのだから、人間である悠であれば尚のこと。
受ければ死ぬ。打ち合っても死ぬ。どちらを取っても死へと直結してしまえる戦況は不利でしかなく、だが、それでも未だ楓から一太刀も浴びていないのは、やはり修業の成果があったからだろう。膨大すぎる殺意の塊を前にしても、悠の五感は本質を見抜く。
また理性が失われているのか、楓の剣は獣性を体現しているかのように荒々しい。
言い換えれば本能と力押しによる猛撃であったから、そこは技を修めている悠に軍配が上がった。
(荒々しくはあるけど、以前よりずっと見切りやすい!)
「くっ……楓よいい加減に目を覚まさぬか!!」
童子切安綱の太刀筋は、正しく剛剣に値する。それに楓も真っ向から打ち合っている。両者の実力は互角。勝敗を分ける要因は刃戯か、それとも運か――今この場においては、別の要素が濃厚になりつつある。それこそ、悠がこの宮殿に入る前から危惧していたことであって、彼女らが打ち合う度にみしみしと不安を煽る音が現実味を帯び始めている。
このまま戦い続ければ、まず誰かが倒れるよりも先に宮殿の方が崩壊してしまう。ともなれば、この事態をまずは避けねばならず。異変に気付いていた悠が率先して動いた。
こつん、という軽い音は命を賭した戦いにおいて不相応極まりない。楓の頭を捉えたのは、白い骨であった。悠がその辺に転がっていたのを拾って投げつけたのだ。こんなもので敵が倒せる――とは、ゲームの中の話。実際にこんなもので敵を打倒してしまえるなら、今頃は全人類が骨を手に争っていよう。
楓は未だ健在。剛速で直撃したならばまだしも、ゆっくりと弧を描くような力加減では、せいぜいが意識を変えさせる程度が関の山。それこそが、悠の狙いであった。
「こっちだ!」
悠は外へと向かって駆け出す。楓の瞳が己を映していることを察した彼の顔には不敵な笑みが小さく浮かべられる。追いかけてくる楓を尻目に、悠はとうとう宮殿から飛び出した。出てしまいさえすれば、崩落に巻き込まれる心配もない。
「仕切り直しだ」
広々とした空間ならば、互いに思う存分に戦える。




