第七十五話:I can’t Fly
二度目となる葛氣山に、悠は険しい表情を浮かべていた。
はじめて訪れた時の高揚感はなくとも、禍々しいと認識すること自体がありえない。
とても禍々しい気が山を覆っている。生きし者の来訪を拒まんとするかのような雰囲気が足を踏み入れることへ躊躇させてくるが、悠の歩みを止めるにはまるで足らない。幾つもの死地を乗り越えてきた経験が、彼に耐性を付けさせていた。臆すことなく踏み出された足が、悠の顔に安心感をもたらす。
心なしか、身体が軽くなった気がした。
「邪気に対する抗体が身についたのか、それとも勇気を出して進むことが打ち勝てる条件だったのか……」
果たしてどちらが正しかったかなどいう問答について、悠は興味を持たない。彼の関心を集めているのは、あくまでこの事象を引き起こしている原因のみ。
ここには自分の想像を遥かに超えた何かがある。楓の身に起きた異変もきっと解決してくれる、と悠は己の確信を新たにした。
「主、大丈夫?」
「俺なら大丈夫だ鈴。このまま突き進むぞ」
「まずは頂を目指す。だが油断するな、道中で何が出てきたとしてもおかしくはない」
「これも悠さんの取材のためですからぁ。私も気合入れて頑張っちゃいますよぉ!」
「……行くぞ!」
童子切安綱の号令に、悠は首を縦に振った。
頂の伸びる一本道を突き進む。木々が生い茂るばかりの光景は、関心なき者ならば瞬く間に飽くだろうものの、今日に限ってはどうやらその心配はないらしい。駆け抜け様に悠はちらり、と横目をやった。木々の間には、先に感じた邪気がひしめいている。
ただでは通してくれないらしい。ならばするべきことは決まっていて、悠は誰よりもいち早く抜刀を済ませる。
鬼叫が山中に木霊した。
異形が群れを成して一気に雪崩れ込んでくる。ようやく他の面々が抜刀を終えた、と同時。一番槍を手にした悠は鬼の一体に斬り掛かる。青き炎がわぁっと昇った。
「なんだ、この鬼達は……!!」
「この鬼って……町で見た時と同じ鬼だよ!」
「新種ですぅ!!」
結晶体を生やしている鬼を前に驚愕する童子切安綱を置いて、悠と千年守鈴姫は対処に当たる。新種への調査は必要ではあるものの、そのためにはまず自分達がこの場から生き延びぬことには意味がない。全員が死してしまったら、誰がこのことを報告すればいい。
驚くのも、呆けるのも後回しにする。そんなことは後からでもたくさんできるし、きっとこれから先にも更なる驚愕が待ち受けている、そんな気がしてならなかった。
「は、初めて見る鬼だが実力は然程変わらぬぞ!」
童子切安綱の指摘には、悠も無言による肯定を示していた。結晶体が生えていることさえ除けば、後は普通の鬼となんら変わらない。何か未知なる能力を秘めているやも……、という彼の心配も杞憂に終わってしまったから、悠は怪訝な表情を貼りつかせたままで鬼を斬る。
一匹、二匹、三匹、四匹……、わらわらと現れる鬼を悠は斬り伏せていく。彼が通った後には死体で埋め尽くされて、その後を御剣姫守達が追うという形ができあがった。いつの間にこれほどの強さを手に入れられた、と童子切安綱が呟いたのを聞き逃さなかったから、これよりももっと強い相手と戦ってきている、とだけ悠は心中にて返す。
「――これで最後!!」
悠の唐竹斬りが鬼を真っ二つに断った。
どうっ、と崩れ落ちるのを見送って、ようやく。
「ようやく、終わったか……」
納刀すると共に、悠は疲労の吐息を一つこぼした。
一匹の実力が弱くとも、群れれば強大となる。それでも悠達がこうして生き永らえたのは、用意する兵隊が少なかったことが挙げられよう。一騎当千の兵が三人もいて、その六十分の一の戦力では最初から勝負にもならない。
己一人であったならば、まだ勝機も見いだせていように。もっとも、簡単にこの首をくれてやる訳にもいかないから、悠も己を強くすることへ余念がない。途中からどうであったか、記憶が定かではないものの七匹は仕留めたと思う。即ち残る四十三の鬼はすべて御剣姫守が対処した数であって、愛刀は十匹以上も仕留めていた。
この結果を目の当たりにすれば、自然と驕りや慢心も消えてくれる。目指すべき場所は、まだまだ到達できそうにない。
「大丈夫? 少し休もうか?」
「さすがにあれだけの量を相手にすれば悠さんでなくても疲れちゃいますよぉ」
「いや俺なら大丈夫だ、問題ない。それに……」
「うむ、見えてきたぞ」
山頂に着いて、あれはなんだ、と悠はすぐにその異変へと気付く。
地面にぼっかりと穴が開いていた。中を除けば差し込む陽光が地面を照らしている。高さ的には、人間が飛び降りればまず即死は免れまい。御剣姫守ならばいざしらず、人間である悠にこの穴へと降りる術はない。
となると降りるための準備が積用となるわけで、彼の意図を察した愛刀がすっと手を差し伸べた。なんだその手は。悠は小首をひねる。逆に小首をひねられて、悠の疑問は余計に深まっていく。
「鈴、どうして手を出しているんだ?」
悠はロープを所望していた。それを持っているのが千年守鈴姫であり、だが出された小さくきれいな手には何もないから、彼も尋ねざるを得ない。
「何って、飛び降りるからボクに捕まってってことだけど。ボクが持ってるロープだと長さが足りないし、それに途中で切れたりしても危ないからね」
「いや、まさかとは思うけど……抱える、なんて言わないよな?」
「それ以外に方法があるとでも思う?」
「……一度返って長めのロープを見つけてくる。それとも別の入り口があるかもしれないから俺はそれを探しに――」
「あ、あのぉ。じゃあ私が悠さんと一緒に降りますぅ。悠さんぐらいなら飛べると思いますのでぇ」
これ見よがしに黒き双翼をぱたぱたと小烏丸が動かしてみせた。
なるほど、それは妙案だ。悠は感心した。
少しでも羞恥心を味わうことがなければ、悠はどんな手段であろうとも講じる。小烏丸が持ってきた提案は、正しく彼の希望に沿っている。飛び降りるよりも安全面も考慮されているて、文句の付け所はない。
手を繋ぐ、ぐらいはせねばなるまいが。その程度ならば、もっと過激なスキンシップを受けた経験から、悠はなんの感慨もない。喜んで手を繋ごう。愛刀を差し置いて、提案者の手を掴もうと悠は右手を伸ばす。
がしり、と手首を掴まれた。瞬く間にみしり、と軋み上げるほどの圧力に締め付けられていく。
「す、鈴!」
「駄目だよ主。主はボクとここから一緒に飛び降りるんだから……」
「そ、その発言は誤解を生みかねないからやめろ!」
「そんなことはどうだっていい! ほら、早くボクといこうよ」
「お、おい待て! まだ心の準備が――」
足元がふわり、と浮いた。
「え……?」
思考が停止する。何をされたのかが、よくわからない。
悠が事を理解したのに要した時間は、およそ三秒。遠ざかっていく太陽と、広大な空間に己が浮遊していると客観的ながら理解して、ようやく。
「す、鈴ぅぅぅぅぅっ!!??」
「ふふふ、これで主はボクと一緒だね?」
愛刀が強硬手段に打ってきたのだと気付く。あれだけ嫌がっていたお姫様抱っこの体制で見やる悠の視界に次々と情報が送り込まれてきた。心なしか濁った瞳の千年守鈴姫と、大自然が生んだ天然物――に取られていた意識も、迫ってくる地面に総取された。
落下死――脳裏によぎった言葉に、悠は慌てふためきながら自らの愛刀に問い質す。調査もせずに死んでしまうなど、笑い話にもならない。
「お、お前死ぬつもりか!?」
「大丈夫だってば。ほら、もう着いたよ」
羽が舞い落ちるかのように、微かな音を立てたばかりで千年守鈴姫の足は地底へと着いた。やってくる衝撃もほとんどなく、しかしながら心臓には多大な悪影響を及ぼしたことに相違ない。忙しない胸の鼓動を落ち着かせる傍らで、さてこの愛刀をどうしてくれようか。悠は説教をする方法に思考を巡らせてる。
それはさておき。
「なんだ、ここは……」
視界の先にて待ち受けていた光景が、悠に驚愕をもたらす。
羅生門……かつて学校で習った言葉を、何故か思い出した。




