第六十話:異なる魂
「それで、とりあえず連れて帰ってきたと?」
目の前、長机の中央を陣取って座している三日月宗近は、口調だけならば普通に確認しているだけのようで、されど実際のところは沸々と彼女の心中にて湧き上がる何かを堪えている様子で問いかけてくる。
場所は会議室。本部へと帰ってくるや否や尋ねられたから、悠と童子切り安綱はありのままに事情を説明したらその反応だった。もっと騒ぎ立てると予想していただけに、彼女のみならず意外と落ち着いているものだから珍しい。さすがは天下五剣、というべきやもしれぬ。いつもはこうでなくては国を任せられない。
「えぇ、まぁ、そういうことです……」
「我も驚いているが、いやはや子供の成長というのは親が思うよりも早いものだな!」
「そうですね、子供の成長は思う以上に早いって聞きますしね……って納得する訳がないでしょう!!」
三日月宗近ががぁっと吼えた。
「いや、そんなこと言われても……」
「あ、大丈夫です。悠さんはなにも悪くありませんから。悪いのはあくまで安綱さん達ですから」
「何故そうなる!?」
「達ってぇ……私も含まれちゃってますかぁ!?」
「横暴すぎる……!」
「――まぁ冗談ですけど。それよりも、本当にどうしてこんなことに……」
「俺だってわかりませんよ……」
彼が三日月宗近に説明した内容は、とても単純でこれ以上にないほどわかりやすいものだった。
遥希が急に成長した――ありのままを伝えるしかなく。それでもっと他にもあるだろうと求められても、悠自身が理解していないのだから、彼にはどうすることもできない。わからない……立て続けて投げられる質問には、こう返す他あるまい。
(本当に、どうなってるんだ……?)
どこ吹く風で茶菓子を貪っている当事者の暢気さを横目に、悠は沈思する。成長した、という説明は正しくはない。何故ならば彼女には遥希としてすごしていた記憶がきれいさっぱりに失われているのだから。
本人であったのなら、童子切り安綱が未だ意気消沈から立ち直れずにいることもなかった。親代わりを務めていた者として、誰だといわれたのは相当応えただろう。
人間が大人へと成長するのに過程があるように、御剣姫守も過程があるのか――否。この疑問については、小烏丸から答えを得ている。精神の成長には過程を必要とはするものの、肉体的な意味合いとしてはない。村正によって生み出されたその瞬間から、御剣姫守は大人として成熟している。
ならば二重人格ではないか。微かな希望を胸にして、悠は仮説を唱える。
解離性同一性障害――過度なストレスから精神を守ろうとすることによって起きる障害。一つの肉体にいくつもの別人格を宿し、基本的な症例としては一つの人格が表立って行動をしている時、その間の記憶を主人格は憶えていなかったり、稀なものとしては肉体そのものまで変質してしまうこともある、と。
医療に関しての知識は、かじった程度しか持ち合わせていない彼は、このように認識している。だが、あながち間違いではあるまい。
楓――本人がそのように名乗ったから、以降は彼女を楓と呼称する――は遥希としての記憶がない。そればかりが人格が存在していることすらも認識していない。
別人格と訓練次第によっては会話することができる、という話を聞いたことがあったが、こればかりは専門知識のない彼にはそれを確かめる術がない。
(遥希と楓……他にもまだ人格がいる可能性も十分にありえる話だな。しかし――)
楓と遥希は別人格にして、まったくの別人。先の一戦で目の当たりにした圧倒的戦闘能力と、無邪気さの中に潜ませる残忍性。遥希と違って扱いがまったく異なるから、三日月宗近達もどうすればよいのか考えあぐねていた。
追い出すべきなのか、保護するべきなのか。結論は、まだ出ていない。
「ねぇねぇ、そこのあなた」
「ん?」
思考の渦に飲まれていた悠の意識が、現実へと引っ張り戻される。
まだお茶菓子を食べている楓と目が合った。行儀が悪いうえに口元には食べカスまでつけている。見た目と頭がどうやら彼女は一致していない人格らしい。
悪く言えば、残念な大人。よく言えば子供っぽさがあってかわいい。一向に自分で取る気配が見られなかったので、我慢できなかった悠が代わって取ってやることにした。
「あ、もったいない」
「お、おい!」
指に真っ赤な舌が妖艶に這う。周囲が殺意を込めているのに対して、悠は一人顔を青ざめさせる。この女は嫌なことを思い出させてくれた。できることならば二度とされたくないし、まっとうになって出所してくれることを誰よりも切に願っている。そんな彼女は、未だ塀の中で何をしているのやら……。
(蛍丸さん……元気にしている、んだろうな)
元気でない姿を、想像することができない。
それはさておき。
「あんがと。ねぇ私様、あんまり昔のこととか憶えてないんだけどさ。まぁ忘れるぐらいだから、大したことじゃないってことだろうし、別に気にしてなんかいないんだけどね」
「大したことじゃない……」
「や、安綱さんそう落ち込まないで――今の口ぶりだと、記憶は別に取り戻したくはないって聞こえるが?」
「うん、思い出すんだったらいつか思い出すんだろうし。それに考えようによっちゃこれってすっごく幸運かもしれないでしょ?」
「幸運? 記憶を失っているのに?」
「だって新しいことをたくさん憶えられるんだよ? それってさ、すっごくワクワクすると思わない!」
「め、めっちゃ能天気だし……光世、この子の勢いについていけそうにないんですけど」
「とりあえず、どうする? 僕としては、とりあえず保護する方向で大丈夫って思う、かな」
「光世はんた~い。だって光世の悠に唾つけたし」
「右に同じく。保護しないことが彼女に与えられし相応しい運命かと……」
「……三日月はどう思う?」
「…………」
心境な面持ちのまま、三日月宗近は答えない。いや、安易に答えることができないのだ。
最終的な決定権はやはり、天下五剣においても最上級に位置する彼女の一存で決まる。そこには肉体言語という血みどろの決め方も時にはあるが……。
皆から信頼されているからこそ、言葉一つにかかる重みが誰よりもある。もし、自分が下した決定で仲間や民草に危険をもたらしてしまうようになれば――国を担う者として責務があるからこそ、三日月宗近の慎重だ。
「……保護することに異論はない」
不意に、賛成と声があがった。
どうやら、ようやく立ち直ることができたらしい。楓を見やる童子切り安綱の瞳にはもう、悲しみや落胆の感情はなく。回顧しているような挙措をする姿にまた、悠も一つだけ思い出した。それははじめて変貌した姿を目の当たりにした時。ぽつりと呟いたことを彼は聞き逃していなかった。
(蜘蛛切……)
蜘蛛切――マラリアを患った源頼光が、自らを襲おうとした怪僧……土蜘蛛を切り伏せた、源氏の至宝たる名刀。そんなにすごい御剣姫守であったならば、三日月宗近らが知らぬはずもなし。ましてや姉妹の保護にこんなに躊躇うこともなかろう。どうして童子切り安綱は彼女をその名で呼んだのか。これには、彼だけでない。あの場にいた小烏丸が疑問を彼女へと投げかける。
「どうしてぇ、あの時安綱さんはあの子を蜘蛛切って言ったんですかぁ? 正直に言って蜘蛛切さんと全然似てませんよぉ?」
「……確かに。我の知っている蜘蛛切はもっと品性があったし、こんなにも幼稚くさくなかった」
「ねぇちょっと私様悪口言われてる?」
「言われてるわね。光世も同感だけど」
「だが、何故だろうな……我にもよくわからん。わからんが、見ているとどうしてか奴が重なって見えてしまうのだ」
「……当面の間は保護観察つきとなりますが、彼女を桜華衆で保護することにしましょう」
タイミングを見計らったかのように結論が下された。
いくらなんでも、早計やしないか。彼女にそんな眼差しが向けられたとしても、まぁわからないでもない。だが迷いなき言葉と曇りなき眼をしている三日月宗近を見ていれば、やがて反論しようという気はなくなる。
一番上が下した結果なのだ、下につく者はただ信じていればよい。悠は静かに点頭した。
「げっ、ホンキで言ってんの三日月」
「鬼でもない以上、得体の知れないというだけで保護しないのは桜華衆以前に、御剣姫守として失格ではないでしょうか?」
「三日月……」
「そして……その保護観察役として、安綱さん。あなたにお任せしますがよろしいですね?」
「……あぁ、わかった。この童子切り安綱、その大役責任をもって果たすことを誓おう」
「え? 別にいらないんだけどなぁ……」
「駄目です」
「駄目に決まっているだろう」
当事者だけは、保護観察対象となることに不服を示している。その後で繰り広げられた彼女の抗議が、結果を覆すことはなかった。善戦すらすることなく、あっという間に言いくるめられた彼女の頭は、やはりどこか弱い。




