第五十九話:豹変する魂
ようやくここでこの章は終わりです。
早朝の空模様は、昨日と比べると良好ではない。
鉛色の雲が空をすっかり覆ってしまっている。どんよりとした空気は少しばかり肌寒くて、同時に雨が降りそうな雰囲気を醸し出している。そんな空気に反映することなく、都会の町並みはいつもの活気を見せ始めようと準備に入っている。
今日の予定に変わりがないように、悠達の予定もまた、然り。外出はこのまま継続する。
「今日は曇ってしまっているが、それでも素晴らしい外出日和だな!」
「いや、外出するならやっぱり晴れている時のほうがいいですけどね……。日を改めるべきだったか……?」
「何をいう悠よ! 本部に残っていては我らの幸せな時間を邪魔せんとする輩で溢れ返っているではないか! あんな場所にいては駄目だ、娘のためにもならん」
よもや貴様、三日月宗近の肩を持つわけではあるまいな。そう言ってくるかのようなジト目が向けられる。どうしてそんな解釈になる、被害妄想にも程があろうに。そう思ってはいたが、無言の圧力が悠に有無を言わせないようにしている。
故に、ここは悠が一歩引いて大人になった。今日の童子切り安綱は昨日と比べて機嫌が悪い。その発端となったのは、今から数分前に遡る。
今日の外出は控えたほうがよいのでは。三日月宗近からの申し出を魂胆が見え透いていると豪語して蹴った仮妻の行動を、悠と千年守鈴姫は渋々と、遥希はとても喜んで受け入れた。
それだけならばよかったが、小烏丸が同行を申し出てきたことによって、新たにひと悶着が起きてしまった。小烏丸にしてみれば自費で悠の独占取材をしているのに、まったくそれができないとあったなら、彼女に限らずとも抗議に出たことであろう。その気持ちが、まぁ、わからないでもない。不本意な密着取材をされている側からとしても、である。
結果的に、千年守鈴姫と同じ距離でならば、という形でこのひと悶着は終わった。ただ、童子切り安綱の了承は彼女自身が快くしたものにあらず。渋々と、それも何度も舌打ちをして不満をこれでもかと露骨に出して……。
小烏丸はどこ吹く風で聞き流し、それが余計に彼女の怒りに煽っているのも、恐らくはわかってのことだろう。
ともあれ、童子切り安綱の沸点は今日は低めに設定されている。
それはさておき。
外出そのものに関しては、悠も前々より予定としていたから、変更することそのものに反対はしない。
右手を掴んでいる遥希に、悠は目線をやった。小さな顔が悠を見上げている。
今日はどこへ連れて行ってくれるの、と。無言で催促してくる小さくて円らな瞳はきらきらと輝いている。それを覗き込んでいる悠の笑みは、ぎこちない。朝からのどたばたによる疲労があることもそうなのだが、今日の外出は少女にとって楽しいものとは言い難いことを理解しているからだ。
「ところで悠よ、今日はどこへ行くつもりなのだ? まだ行き先を尋ねてはいなかったが……」
「今日の外出はもちろん、この子の親探しですよ。いつまでも俺達が親代わりをするってわけにはいかないでしょう?」
「それは、もちろんそうだが……だが、まだよいのではないか? 遥希だって、もっと――」
「安綱さん、目的を忘れるなんてらしくないですよ。俺達はどれだけいっても親代わりなんです。本当のこの子の親を見つける……今日はそのための情報収集として出掛けてるんです。とりあえず、あの場所に行ってみようと思います」
「あの場所ぉ、ですかぁ?」
「あぁ、あの場所だ。安綱さんも小烏丸も、絶対に知ってるあの場所だ」
だからそれはどこなのだ。そう言っているかのような視線に対して、悠は沈黙を選ぶ。もったいぶるつもりはないが、しばらく歩いていれば嫌でも思い出すだろうから。高天原に招かれてから一年にも満たない悠でさえ、とても印象に残っている。一部を除く皆にとって、“あの場所”は思い出がいろいろとつまっている。
どんどんと目的地に近付いていくと、あぁ、と二人の御剣姫守が言った。
「だから言ったでしょ? 絶対に知っている場所だって」
「……確かに、ここを忘れられるはずもないな」
「……そうですねぇ。でも、久しぶりに訪れましたよぉ」
各々が懐古の情に浸っている中、目的地についての情報が一つとして共有されていない千年守鈴姫は小首をひねっている。悠は簡単に説明してやった。
「ここが御剣姫守の生まれ故郷だ」
「ここが……」
千子村正と御剣姫守の故郷にて、剣鬼は復讐劇に幕を下ろした。失ったものはあまりにも大きくて、されど納得できる最後だったから足を運ぶこともしなかった。
花を手向けてやる相手は、ここにはもういない。亡き最悪の家族はあるべき場所へと還り、元凶にして被害者でもあった御剣姫守も腰の二刀として形を変えて現代を生きている。だから、この行動にはなんの意味もない。
ここに来るまでの道中で見つけた一凛の花を、悠はそっと岩に添えてやった。心なしか、腰の二刀からほんかに優しい温もりがした。
「その、どうだ遥希。何か思いだせそうか?」
「…………」
童子切り安綱の問いに、遥希からの返答はない。
(やっぱり……遥希は村正が生みの親じゃなかったのか)
誰も口にすることなく、されど心境は全員が一致している。どうやらここは彼女の記憶を呼び覚ますだけの起爆剤とはなりえない。そうとわかったなら、もはや長居は無用。次なる手掛かりを求めて、悠は次なる一手に施行を巡らせねばなるまい。遥希のためにも、親代わりを務めた彼に暇などは用意されていない。
「……一旦帰りましょうか。そろそろ雨も降ってきそうですし」
「……うむ、そうだな」
冷たい風に遥希の小さな身体も身震いしている。御剣姫守が風邪を引くとは聞いたことがない。こちらから聞かなかったこともそうだが、実際のところはどうなのだろう。
悠が考えてもわかるはずもなく、それはまた後日改めということで町に戻ることを最優先させる。体調を崩したりでもすれば、責任は親たる自分達にある。寒くないように自らの陣羽織を着せてやって、いよいよ雨がぽつり、ぽつりと降り出す。
「傘を予め持ってきておいてよかったな。さすがは我が夫だ。細かい気配りができる」
「どうも。それよりも早く帰りましょう」
「……ちょっと寒い」
「町に戻ったらあったかいものでも食べよう」
「……うどんがいい」
「うどんか。それじゃあ、昼はそれで決まりってことで」
悠が町の方へと足を向ける。前方から誰かがやってきた。
これは珍しい。悠がそう思ったのは、来訪者が御剣姫守でなかったからだ。
編み笠をしっかりと被っている彼らは、人でもなければ御剣姫守でもない。だからこその疑問が彼の心中にて渦巻いていた。
ここにいるのは悠を含めて、たったの五人しかいない。内一人に限っては天下五剣に数えられる超人だ。人類を襲うことしか能がない彼らに自殺願望などという心情があるかどうかは、わからぬ。ただ、人を襲いたいのならば町に出向けばいいのに、どうして数が少ない方を選ぶのかが、悠は理解できなかった。
どちらにせよ、やるべきことは変わらない。こうしてお互いに殺し合う者同士がかち合ったのだから、これから始まるのは純粋な殺し合い。
どちらかが死んで、生きるのみ。そのために悠達には遥希を守るという勝利条件が追加されて、難易度がいつもより大きく跳ね上がったことを悠は舌打ちをせずにはいられない。
また厄介な相手がやってきてくれたものだ。
「……確か、はじめて出会ったのは旧池田屋だったな」
旧池田屋で対峙した鬼は、本能が赴くがままに人を襲う怪物でありながら達人の域にいた。悠が戦った夜叉丸は、中でも群を抜いていたと彼の記憶にはいつまでも強者としてあり続けている。すでに抜刀を終えている鬼達は夜叉丸には勝らない、だが劣ってもいない。人間である悠には、少々荷が重すぎる相手となろう。
それを理由に逃げたとしても、彼女らはきっと許してくれるだろう。今まで人間でありながらよくここまで戦ってくれた、後は私達にみんな任せておけば大丈夫だから、と。
(ふさげるな)
自分自身がそれを許さない。剣によってここまで築いてきたものを、放り出して逃げるなど恥晒しもよいところだ。何が鳴守館の剣士か。もしも剣を捨てて堕ちた時は、剣鬼には無様に野垂れ死ぬ結末がもっとも相応しかろう。
「遥希は下がっていろ。ここは俺達がどうにかする」
「う、うん……!」
「来るよ主!!」
鬼が一斉に仕掛けてくる。
まず、童子切り安綱が迎え撃ってでた。悠と千年守鈴姫は、少し遅れて真紅の疾風の後に続く。赤々とした炎が雨雲へと昇った。稲妻かと見紛う童子切り安綱の一閃が、鬼を骨すらも残すことなく焼き尽くす。蛟薙、と。もそりと技が彼女の口より呟かれた。
【火ノ神舞】――それが童子切り安綱の刃戯であると、悠は鬼丸国綱より聞いている。炎を自在に操る能力と聞いて、なんとも王道的だと思ったのは事実であし、それ故にかっこいいと安直ながらも思わずにはいられなかった。ただ一つの違いは、この刃戯が最大限の力を発揮するには時間を要するという条件が課せられてもいた。即ち、スロースターター……長期戦になればなるほどに、童子切り安綱の炎が激しさを増す。単純であるからこそ、童子切り安綱は強いのだ。
「ぬるいぞ! これでは肩慣らしにもならん!! 我に本気を出させたくば、全身全霊でかかってくるがいい!!」
先の蛟薙は、いわば序章のようなもの。最大火力にまで到達した時、小さな村だったならば跡形もなく消失するといった大典太光世の言葉が、驚く自分をからかうための嘘であると信じたい。
「安綱さんってやっぱりすごいんだね……。これはボクらも負けてられないね主! ボクの背中から離れないでよ!」
「言われずともな」
童子切り安綱の剣網を抜けて、鬼が悠へと肉薄してくる。数は一。構えは右上段。
ここでようやく悠も大刀を抜いた。担ぎ形よりも更に深く。大きく股を割って腰を捻る構えを取った。
「疾――!」
鋭く排出された呼気に合わせて、悠が大きく踏み込む。
伴って担がれていた白星刃が打って落とされる。
鬼の両腕がすぱん、と。きれいな弧を描いて飛んでいく。
きれいな断面図からは血飛沫がわっと舞って……。たちまち青い炎が燃え上がる。鬼の左腕が発火した。
龍吼には不思議な力が宿っている。そのことに悠が気付いたのは、つい最近のことだ。
結城悠が振るうべき剣とは如何様なものか。そう自らにもう一度問い、修練を行っていた時にそれは起こった。
牙のない、弱きものを守るために悠の剣はある。それは俗にいう活人剣であって、この思想が悠の心中にて熱く燃ゆる限り。龍吼は剣鬼に力を貸し与える。
――鳴守真刀流、【鬼ノ闘崩】改め……【龍之継伝】、御言之息吹。
心中にて、その剣の名を口にした。
海よりも、青玉よりもきれいな青は、人あらざるモノに対して一切の容赦はしない。
「青い炎とはな……」
「すごいでしょう?」
「やっぱりいつ見てもきれいな色だよね」
「さてと、そてじゃあ俺の愛刀だからしっかりとフォロー頼むぞ鈴!」
「任せて!」
遥希を守るために剣を振るっているだけの童子切り安綱は、とても雄々しい。その姿に触発された悠も、残る脇差も抜いて剣林の中を突っ走る。
千年守鈴姫という愛刀と、彼女が保有する刃戯――【双極神楽】が合わされば、剣鬼は何も恐れない。
右へ左へ。螺旋を描く四対の龍爪はあらゆる障害から仕手を守り、切り裂く。彼らの龍爪を阻めるものはこの世に存在しない。
「――“悠さん頑張ってくださいぃ”!」
「ッ!?」
小烏丸の声援を受けて、悠は訝しげ目で応える。
(なんだ……この感じ。俺は今、何をされたんだ?)
この自問にはなんの価値もない。考えたところで、本人に聞くこと以外で答えを得られるはずがないのだから。強いて仮説を立てるのならば、真打であるのだから刃戯によるものだと推察するのは容易い。ともあれ、詳細について尋ねるのは今ではない。
声援一つ送ってもらっただけで、活力がみなぎってきた。これで万全に戦うことができる。悠の剣にも拍車がかかる。
戦況は童子切り安綱の一太刀目から最後まで悠達が優勢であり続けた。
この場に立っているものは悠を含めて五人のみ。彼らよりも数で勝っていた鬼達が大地に寝転がっている。戦いが終わった。誰しもがそう思ったからこそ、少女の背後より迫る脅威へと警戒を怠ってしまった。まだ、生き残りがいた。
「しまった!」
「くそっ!」
「遥希ちゃん!!」
無防備なところを狙うとは卑怯だ。正々堂々を相手に求めたところで応じないのはわかりきっている。ともあれ、自衛の術を持たぬ少女を守れるのは彼らだけしかおらず、しかし間に合わない現実が悠に強い焦燥感を抱かせた。
「遥希ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
叫び虚しく、白刃が少女へと打ち落とされた。
赤き花弁が舞う。ゆっくりと崩れ落ちていく光景を、ただただ呆然と彼らは見守るばかり。ことり、と冷たい地面に転がる首に向けられた視線は、氷のように冷たくて慈悲の欠片すらも感じない。そしてあろうことか、既に息絶えている首を容赦なく踏みつけた。
潰れたトマトよろしく、赤い血肉へと変えられた光景には見慣れているであろう彼らですら息を呑んむほどに。
おずおずと、悠は口を開き尋ねる。
「は、遥希……?」
冷酷無比さをありありと見せつけた少女は――否、あれは少女と呼ぶには不相応すぎる。
見知らぬ女性がそこに立っていた。肌も髪も真っ白で、瞳だけが赤い。遥希は先天性白皮症を患ってはいない。だからアレはまったくの別人だ。けれども貸し与えた陣羽織を着用している。
(あれは、遥希なのか? まさか、成長したってことなのか……?)
真相は不明。ただ一ついうなれば――
「なんだか頭がすっきりとしないなぁ。まぁでも、私様にしてみれば些細なことだし、別にいっか!」
――あの無垢な可愛さが完全に消失してしまった。
独特な呼称を口にする女性がからからと笑った。
鬼の返り血をたっぷりと浴びたことで白が赤へと染められていく。滴り落ちる血を舌で舐め取っては恍惚とした顔を見せる彼女に、悠は開いた口が塞がらない心境に陥る。
「いったい……何が起こってるんだ?」
「あ、あれが本当に遥希ちゃんなの?」
「で、でも全然あの子とは違いますよぉ! 身長だって伸びてるしぃ、それに胸だってぇとっても大きくなってますぅ……」
「先程の剣技……まさか、そんな……」
「安綱さん?」
童子切り安綱は狼狽したままぽつりと、その名を口にする。
「蜘蛛切……貴様、なのか?」




