第四十六話:仕合
幼き頃より、剣鬼は夜が好きだった。
どうして、と問われた時。なんとなくと実に子供らしい曖昧な理由は、大きくなった今でもあまり変わっていない。その時間帯が訪れているにも関わらず、悠の表情が強張っているのは第三者の存在があるからに他ならない。
とうとう、運命の時間が訪れてしまった。これより結城悠――ついで扱いされている千年守鈴姫――の命運を左右する仕合が行われる。
桜華衆対新撰組。双方共に、既に決めているであろう対戦相手を見据えている。交わる視線にはなにが宿っているのか。少なくともスポーツマンシップといった清々しい感情がないことは彼女達を見やれば一目瞭然で。あるのは古くから続く因縁、憎悪に近しい禍々しい感情だけだった。
「皆殺気立ってるね。まぁ無理もないか、それ相応の因縁があの六人にはあるわけだし」
「…………」
一人、今回の仕合より外された小狐丸の言葉を半分程度に聞き入れて、悠はただただ仕合が始まるのを待ち続けた。これが正式な、規則に則っての仕合であったのなら、悠がその顔に不安を示すこともなかった。されど今回に限り、因縁同士の戦いだ。目の前の怨敵を倒すことは即ち、雪辱を果たすことを意味する。そうとなればどうして対戦相手を気遣う必要があろう。そこにこそ、悠の不安があった。
万が一、誤って殺してしまうような事態にでもなってしまえば。その時は結城悠が止めに入らねばならない。例えそこで命を落とす結末が訪れようとも、目の前で誰かが、ましてや身内の手によって死んでしまう光景は、悠はもう二度と見たくもないのだから。
「んじゃ、今から桜華衆と新撰組の仕合を始めるで!!」
小狐丸同様、今回の仕合から除外された――本人はいらない子扱いされたとひどく落ち込み、それを必死に宥めていたのは別の話――鬼神丸国重の号令に従って、第一試合を担う御剣姫守が前へと出た。
「第一試合は大典太と清光さんか……」
悠はまだ大典太光世の実力を片鱗すらも見たことがない。かつて天下五剣と仕合をしたことがあるが、あれは彼女らの心理を利用して同士討ちさせての勝利であった。故にはじめて悠は彼女の剣を垣間見ることとなる。
どのような剣を振るうのか。どんな技を持っているのか。そして、それに加州清光がどう太刀打つのか。一人の剣士としての性に心揺さぶられながらも、ただ開戦の合図を静かに待つ。
――開戦の合図は、唐突に訪れた。
びゅん、と鋭い風切音が一つ奏でられる。
その音の正体がなんなのか、悠はもう何度と聞いている。問題はどこから発生したかで……。それを理解するのに要した時間はおよそ三秒。いつの間にか抜刀……いや、太刀を振り切っていた大典多光世と、大きく後方へと飛び退いている長曽祢虎徹達。
つまり――
「あれ? 避けられちゃった。まぁこれぐらいは避けられて当然か」
「ふ、不意打ち!?」
「卑怯じゃないですか!?」
「これが天下五剣のすることかよぉぉぉっ!!」
大典多光世による一閃に、新撰組陣営からは烈火のごとく罵声が飛び交う。悠でさえ、彼女の愚行には目を丸く見開いていた。更に言えば先の斬撃には審判たる鬼神丸国重へも向けられていた。そこは三番隊隊長。凶刃を受けることもなく軽やかな身のこなしでうまく回避している。
当人はというとまったく意に介さないばかりか、逆にじろりと一瞥する始末。
外野は口を挟むんじゃない、という無言の圧力に罵声は嘘のようにぴたりと止んだ。腐っても天下五剣、その実力たるや名立たる名刀らをも無力に等しい。逆らえばどうなるかは、実力を知る者ならば理解できよう。
天下五剣と真っ向から立ち向かえるのは、彼女らと同格の者のみ。
その同格たる三名は憤怒にその顔を歪めていた。
「……随分となめた真似をしてくれるではないか。なぁ大典太」
「だって一対一とか時間が掛かって面倒だし? それに集団戦の方がそっちにも有利になるじゃん? 手加減してあげる光世やっさしー」
「なにが手加減ですか!? 私が本気を出せばあなたなんかですね――」
「えぇ? なにぃ? なに言ってんのか全然わかんないしぃ」
「あまりはしゃぐな馬鹿者。だがまぁ、光世の言うことも事実だ。これ以上悠を下賎な輩の傍に置いておくことは罷りならん。誰と言わず来るがいい、この童子切り安綱がまとめて相手をしてやる!」
「どこまで見下せば気が済むのだ童子切り安綱!!」
「もう本気で叩っ斬ってあげますよ!!」
和泉守兼定と加州清光がここで抜刀した。血の神楽が幕を開けた瞬間である。
不意打ちという形で始まった仕合は集団戦へと方針が変えられた。単純に言えば最後の一人になるまで戦い、その生き残った方のチームが勝者となる。もっとも、双方共に自軍の誰かが倒れるという結末は望んではおるまい。
望むは完膚なき勝利、ただこれを完遂するために彼女らは全力で死合う。
仕返しとばかりに加州清光の剣が大典太光世へと伸びた。雷鳴のごとき踏み込みと共に放たれるは、彼女の象徴たる三段突き。一瞬三突の魔剣は大砲の火力を有していて、それを真っ向から打ち落とした太刀筋はやはり天下五剣と称賛すべきだろう。
無骨ながらも童子切り安綱の剣はまさしく剛の剣。小細工を弄さない愚直すぎるほどの太刀筋は彼女の生き様を具現化しているかのようで、それでいて強い。それに牙を剥き、正面から太刀打ち合わんとする和泉守兼定もまた、剛の者である。
剛と剛。均衡した力が衝突しあえば、なるほど。こうも凄まじい光景が生まれるものなのか。悠は喘ぎにも似た声を一人もらした。
「……すごい」
永らく画されていた地肌が顔を覗かせて――早々に剣戟に巻き込まれては激しく爆ぜる。降り止まぬ雪も雪もこの時ばかりは、まるで意思を宿したのか彼女達を避けている。人間では決して到達することの叶わぬ領域とは、そこにいる麗しき剣姫達の目にはどのような光景が映っているのか。
もっと強くなりたい。人間では絶対に到達することのできない領域を見てみたい。この醜くも止められない思いを抱いたのは、果たして今日で何度目だろう。悠はふと、自らに問い掛ける。その問いに対する返答は、よく憶えていない。
憶えていないのは決して若年性アルツハイマー型認知症を彼が患っているのではなく、具体的な数を憶えてないぐらい。その感情を抱いたということに他ならない。
後どれだけ、この思いに胸を締め付けられるのか。少なくとも御剣姫守が彼の周りに存在し続ける限り、悠は永遠とこの思いに向かい合い、もがき苦しむことになろう。
それはそうとして。
(どうしてさっきからあの二人は動こうとしないんだ……?)
既に仕合が始まったというのに、未だ動きを見せない者に悠は怪訝な眼差しを向ける。
三日月宗近と長曽祢虎徹だ。彼女達は互いの半身こそ鞘より抜き終えてはいるものの、構えることもなければ剣気すらも感じぬ。ただその場に突っ立って、では出方を窺っている様子もない。
何故あの二人は戦おうとしない。内より生じた疑問を口に出そうとした――と、ほぼ同時。悠の視界は突然として暗転した。




