第四十五話:餓えた狼たち。
今回は文章の長さ上、あえて短くしております。
ぎすぎすとした空気なのは三日月宗近達だけではない。向こうは、さてどんな様子なのやら。敵情視察までとは言わずとも、それでも様子が気になった悠は長曾祢虎徹がいる隊長室に足を運び――またも部屋へと引きずり込まれる。先と違い強引であることから、少なからず彼女達が裏切り者に怒っているらしい。もちろん、悠にしてみればいい迷惑なのだが。
さて、と。悠はひんやりと冷え切った室内を見回した。部屋主たる長曾祢虎徹と和泉守兼定が小さな机を囲って己が半身を手入れしている。険しい表情のまま、無言でひたすら手だけを動かす彼女らから昇る殺気は、なんとどす黒いことか。今の長曾祢虎徹達には猛獣すらも寄り付くまい。
(お、俺も早く帰りたい……)
つぅ、と頬に冷たい汗を流して悠は生唾を飲み込んだ。
続けて、自分を部屋へと引っ張り込んだ主を見やる。今にも泣きだしてしまいそうな顔だ。袖をしっかりと掴んで離そうとしない手は小刻みに打ち震えていて、加州清光が理性と欲望の狭間で葛藤している様がひしひしと伝わってくる。
「清光さん……」
加州清光は語らない。ただ瞳だけが、どこか期待を寄せるように潤んでいる。
あぁ……、と悠は察した。長曾祢虎徹と和泉守兼定、二人の姉のように加州清光だけがあの場で己の欲を吐かず傍観に徹していた。しかし、内に秘めたる想いは新選組の面々と同じであって故に。彼女はたった一つの奇蹟が起きることに縋ったのだ。
桜華衆を抜け新選組に正式に入隊する――決して悠が選ばない結論。それでも、もし。那由他に等しくも可能性が無でなければ。絶望的状況下の中で渇望する奇蹟は、人間として生きていればまぁ誰でもするだろう、と悠は認識していて、されどただの現実逃避と変わらぬことを彼は理解している。
従って、悠は小さく、静かに首を横に振った。加州清光の想いには応えられない。応えるわけにはいかない。そして、こうなることがわからなかったわけではあるまい。
びくり、と大きく身体を打ち震える。程なくして力なく、滑り落ちるように悠の袖から加州清光の手が離れた。俯かせた顔に何を浮べるのか。悠が固唾を飲んで見守り、やがてゆっくりと彼女の顔が上げられて――次の瞬間。
「ッ!?」
畳を陥没させるほどの一蹴が、彼の身体を加州清光から大きく遠ざける。呼吸を大きく乱れさせ、抜刀の体制に入る彼の顔は剣鬼の貌へと変貌を遂げて、目の前の御剣姫守を瞳中に収める。
今日に至るまで数多くの出会いがあり、その分だけの感情を悠は目にしてきている。大半が色情だったり結婚願望だったりと桃色ではあるものの、皆純粋に結城悠に真の想いを寄せてのことであって、だからこそ。同じ怒りでも、好意を抱かれている相手から憎悪にも等しい負の感情を向けられた経験を、彼は今日初めて味わうこととなる。
交差する視線の先。餓狼にも似た眼光が悠を捉えて離そうとしない。今にも獲物に鋭い牙を突き立て喰らわんとする気迫を当てられては、悠が己の危機として認識するのは至極当然で、自己防衛本能に従って加州清光に斬り掛かったとしても、彼を責め立てる者はこの高天原には存在しない。寧ろ恋敵が減ってラッキーと不謹慎極まりない輩がいても不思議じゃないのだから。
と、そこに。腰の得物に手を伸ばしかけた加州清光に待ったを掛けた者がいる。彼女の姉にして新撰組局長……長曽祢虎徹だ。
「加州、その辺にしておけ。刃を向けるべき相手を間違えるな」
静かでいて苛烈。流水のように滑らから口調とは裏腹に有無を言わせぬ圧力が言葉に込められている。
「……あ、そ、その、ごめんなさい悠さん! 私、そんなつもりじゃ……!」
「あ、いえ……俺は別に気にしてませんから。大丈夫ですよ」
すっかり落ち着きを取り戻した加州清光に悠も気が削がれてしまい、柄に掛けていた手をそっと離して、今はぺこぺことヘッドバンキングよろしく何度も謝罪する彼女のフォローに努めている。
「久方振りに見たな、加州がそこまで何かに固執するのは。確かあれは……後残り一冊の官能小説を巡って喧嘩になった時だったか姉者」
「うむ、残り一冊のために全員が大怪我を負わされたな。あの時はさすがに某も死を覚悟したぞ」
今にして思えば仲良く共有すればよかったな、などと楽しそうに思い出話に盛り上がる長曽祢虎徹と和泉守兼定だが、加州清光に秘められた強欲心をたった今垣間見たばかりの悠にはまったく以て笑えない話である。もしあのまま、長曽祢虎徹が戒めることなく加州清光の抜刀を許していたならば……、と思うと、ぞっと悠は背中に冷たいものが伝ったのを感じずにはいられなかった。
不意に、ぱちり……と。鯉口と切羽が重なる、涼やかな金属音に悠の意識は再び長曽祢虎徹の方へと向けられる。納刀している様子から、夜の備えはもう万全なのだろう。
「……悠よ。やはり貴公の心は桜華衆にあるのだな」
「虎徹さん……」
「わかっている。某がやっていることは童のワガママと変わらん。だが、それでも某らは貴公を欲しているのだ悠よ」
「今は桜華衆に心があるだろうが、いずれ新撰組がよかったと思うようになる……いや、思わせてみせる。そして自分の男になるのだ」
「いや、それはありえませんから」
「……ともあれ、此度の仕合是が非でも勝つ!」
「然り。あの時の屈辱を今こそ返す!」
盛り上がる二振り。対して、ようやく頭を下げた加州清光がぽつり、ぽつりと言葉をもらす。
「ごめんなさい悠さん。他のことだったら、私も譲れたんです。でも……やっぱり無理です。私も悠さんには傍にいてほしいです」
「清光さん……」
「私はもっと、悠さんとたくさんのことを一緒にしたいです。一緒に剣術の稽古をしたり、ぶふぉっ……一緒にお買い物とかお食事をして、ぶふぅっ……そ、それで夜になったら高天原の将来について布団、ぶぶっ!!」
「も、もういいですからわかりましたから清光さん! もう喋らないでください本当に死んでしまいますから!!」
秘めた想いと加州清光の脳内にて繰り広げられる妄想が入り混じり、彼女が言葉を漏らせばそれに乗じて鮮血も噴き出る。びゅうびゅうと激しい自己主張により、真っ赤な畳ができあがった頃。深い溜息をもらした二人の姉の手によって、彼女の意識は深い闇の底へと誘われる。実に息の合ったコンビネーションによる水月突きだった。
既に待機してたであろう、加州清光率いる一番隊隊士が回収作業に入る。ずるずると部形に引きずられていく彼女の顔は――なんて穏やかなのだろう。二つの穴から留まることを知らぬ赤い筋を作りながらも、優しい笑みが浮かんでいた。




