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第四十一話:騒がしい朝

千年守鈴姫が自我を得たのは、剣鬼がまだ小さき剣士だった頃。

 剣を振るうにはあまりにも幼すぎて、されど小さき剣士が抱く信念はとても大きい。

 大切な人を千年経っても守れるために。それが彼の心願であり、彼女に千年守の号が与えられたすべての起源であった。

 それが主たる君の願いであるならば、ボクはそれを見届けよう。成し遂げられるよう力となろう。それが千年守鈴姫ボクに与えられた使命なのだから。

 そんな千年守鈴姫の思いは、剣鬼の死によって喪失することとなる。


 千年守鈴姫が肉体を得たのは、剣鬼が自らの命を絶って――恐らく、まだ間もなかった頃。恐らく、と言うのは結城悠の死後……千年守鈴姫と言う存在もまた命を失ったからに他ならない。

 千年守鈴姫は結城悠と言う生命体を構成する、失ってはならない部分だ。

 彼の死は、半身である彼女も共に無へと帰す宿命にある。それがほんのちょっと、長生きしていれば百年先に起こるはずだった結末を早くに迎えた千年守鈴姫の物語は終わる――はずだった。


 結城悠の死を見届け、己もまた無へと帰すはずであった彼女の意識が現実世界へ引っ張り戻されたのは、高天原いせかいの地であった。

 当然、自身が異世界にいるなどと千年守鈴姫の思考に浮かび上がるはずもなく。されど第一現地人――長曽祢虎徹との出会いと、彼女の主の趣味嗜好があったことも相まって、千年守鈴姫は混乱こそすれど、己が置かれている立場を瞬時に理解する。

 それからの行動を千年守鈴姫は長曽祢虎徹……もとい、彼女が率いる新撰組と共にすることにした。千年守鈴姫にとって相手から勧誘スカウトされたのは正に地獄に仏で、異世界に身寄りがいない彼女にしては断る道理があるはずもなく。ましてや彼女の主たる青年が憧れていたあの新撰組……その局長が携えていた愛刀であれば、千年守鈴姫にはそれだけで信用するに値した。

 とんとんと話は進み、新撰組の象徴たる誠の羽織を纏い、いざ新撰組の元へ――と、意気込んだのはよかったものの。千年守鈴姫に待ち受けていたのは、己が常識を根底から打ち砕くことばかりであった。


 神威は極寒の大地だ。日本で言えば北海道に類似しているのにその実、まるで別物であることに驚いたのは鮮明に憶えている。真っ白な雪はまるで骨のように、降り続け静寂が包まれた時間はまるで世界の終焉が訪れたかのように。

 訪れる者にとってはある種絶望を与え、その奥底に広がる色彩せかいは最後の楽園エデンのように輝き、千年守鈴姫の心を優しく暖めた。

 一番の驚愕と問題は、異世界ならではの価値観にあった。高天原……と言うよりは、世界そのものの男女比率は極端だ。視界に入った人間の数が五十だったとすれば、男性はその中でたったの五人程度しか存在しない。

 付け加えて、女性が大胆に露出しあまつさえ男性を性的に誘惑しているのだから、千年守鈴姫の価値観に当て嵌めれば全員が痴女へと変換される。

 だが悲しいかな。人間の適応能力が優れているように。御剣姫守みつるぎのかみとなった千年守鈴姫は何も言わなくなった。いちいちツッコミを入れるだけ無駄な労力だと理解し、自分は自分らしく生きていこうと結論に至れば、面白いほど迷いが消え去ったのである。

 でも、そんな中でも千年守鈴姫はいつも思う。思わずにはいられない。


「この世界は狂ってますね」

「いきなりどうした?」

「いえいえ、ただ思ったことを素直に言っただけですので気にしないでください」


 この世界は狂っている。そんな世界に、後の英雄として己の主が新聞に取り上げられたのを、彼女が知るのは五日経った日のことであった――。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 高天原に生きるうら若き……かどうかはさておき、ともかく純粋な男児にとって夜這いは悪夢だ。好意を抱かぬ相手に無理矢理手篭めにされることの恐怖と、そうしてできた新たな命の認知を突きつけられた時の絶望感は想像を絶する。

 悠にとっても夜這いとは、切っても切れない関係にある。こと弥真白やましろ支部へ配属されてから夜襲が始まった。あれやこれやと手を尽くしてくる不届き者は実に迷惑極まりないし、それが自分の仕事仲間だから余計に質が悪い。

 それでも未だその貞操を誰にも略奪されていないのは、彼が剣鬼だからである。一欠けらの邪念でもあれば、自己防衛反応と身体に染み付いた技術を総動員して排除する。最近では、邪念を持つ者同士で勝手に潰し合うから、以前ほど不眠に悩まされることもなくなった。

 だから、油断していたと悠は己の非を素直に認める。


 神威で向かえる二日目の朝。のそっと起きる悠の顔は優れない。

 目覚めたばかりの彼の顔にははっきりと疲労感が浮かび上がり、怪訝そうに見つめる視線の先には心地良さそうにすぅすぅと寝息を立てる少女が一人。


「どうしてお前が俺の布団に入ってるんだよ……」


 群青色の髪が特徴的な御剣姫守みつるぎのかみ……千年守鈴姫に悠は問う。問いたところで、未だ快眠の海に意識を委ねている愛刀かのじょが答える様子はない。


(本当に……御剣姫守みつるぎのかみになったんだな)


 改めて、かわいい寝顔の愛刀を見て、思う。

 罪悪感に捕らわれていた頃、すべてを知らなかった悠は千年守鈴姫と一度決別している。誓いを破った戒めとして、彼がそのような判断を下すのは無理もない。そうして多くの出会いと戦いの中で遂に真実へと到達した悠に、もう未練は完全に消失していた。

 結城悠の今の愛刀は千年守鈴姫ではない。國鉄徹心の手によって打たれた結城拵こそ、第二の人生を歩む彼の愛刀なのだから。それがなんの因果か。次元を越えただけでなく、御剣姫守にんげんとして生を謳歌する彼女の姿には、さしもの剣鬼も驚かざるを得ない。


「う……ん……」


 記憶の海に漂わせていた意識が、愛刀の目覚めによって現実へと帰還する。

 閉じられていた瞳が、ゆっくりと開かれる。意識がまだまどろみの中にあろう、しかしとろんとした瞳が悠を捉えると――ぱぁっと見開かれる。そこにはもう、眠気は一寸とも帯びていない。どうやら完全覚醒したらしい。


「おはよう主!」

「……おはよう千年守。さっそく聞くが、どうして俺の布団に入ってるんだ?」

「えっ? だってボクは主の愛刀なんだよ? だったら傍にいるのは当然でしょ?」

「いや、そうかもしれないけど」

「それに昔だったらボクを抱き締めながら眠ってたじゃない」

「……それを言われると、反論できないな」


 有事を想定して、武士は常に傍らに愛刀を置くのは時代劇などでもよく見られる。平和となった現代ではまずありえない状況。されど悠はそうせざるを得ない状況にあった。

 すべては最強の剣士を作り出すがため。平成の世に生を受けた剣鬼を襲おうとする輩が実の父であったのは、結城家に生まれた長男としての宿命にあった。

 その宿命を除き、悠が常に千年守鈴姫を手放さなかったのは、幼いながらも失ってはならない己の一部だと朧気ながらも理解していたからに他ならない。なにより悠自身が、彼女と共にあることに一種の安らぎを得ていた。


「とりあえず起きるぞ」

「はーい。あっ、ボクが着替えている時ちゃんと後ろ向いていてね」

「え?」

「え、じゃないよ。いくらボクの主だからって、その……裸を見られるのは恥ずかしいんだから」


 一瞬の沈黙。我に返った悠は慌て千年守鈴姫に背を向ける。

 久しく忘れていた。当たり前だと思っていたものが当たり前でなくなった。長く携わったことですっかり慣れてしまったが、己の愛刀が再び思い出させてくれた。そう、これこそ悠が知る女性で、あるべき反応なのだ。


「わ、悪い……!」

「い、いいよ別に。だってこの世界だもん。そりゃ戸惑っちゃうよね――元の感覚が忘れてしまうほど、主はこの世界と関わってきたんだね」

「千年守?」

「……ううん、なんでもない。それよりも主。ボクのことを千年守って呼ぶのやめてくれない?」

「どうしてだ? 今までだってそう言ってきただろ?」

「それはそうだけど……。でも改めて聞いたら全然かわいくないんだもん。それになんだか堅苦しい感じがするし……他人行儀みたいでヤだ」

「そう言われてもなぁ……。じゃあなんて呼べばいいんだ?」


 法律上における日本刀の正式名称は、“形で決まる名前”と“銘”の組み合わせで決まる。

 それとは別に“号”というものが存在する。号とは、いわばニックネームだ。逸話や伝説、現代において高い知名度を誇る所有者の名前など。それからから連想されたものが号であり、刀匠銘と組み合わされて“通称”となる。

 千年守の号は、千年先も大切な者を守れる悠の誓いが文字として具象化したもの。だから彼は好き好んで、この号を口にしていた。なにより漢字と雰囲気がかっこいいと現在でも思っている。

 それを本人から拒否されたとなれば、これはこれで考え直さねばならない。だが、今更彼女のことを俺はなんと呼べばいいのだろう。うんうんと悠が唸って――当事者から提案が進言される。


「それなら鈴姫って呼んでよ。もしくは鈴。そっちの方が女の子っぽくてかわいいでしょ?」

「鈴……か。まぁ確かにこっちの方が女の子って感じはするな」

「それじゃあ決まりだね。ボクのことはこれから鈴って呼んでね主」

「了解した千年――じゃなくて鈴……あ」

「え」


 悠として、決して故意ではなかった。

 つい無意識に振り返ってしまう。赤面した千年守鈴姫と目が合った。傍らには丁寧に畳まれた寝間着が鎮座している。では今の千年守鈴姫はどうしているかというと、サラシを胸に巻こうとしている最中だった。つまり、白くて健康的な肌が大胆に露出されている。

 ぷるぷると小刻みに身体を震わせる千年守鈴姫に対し、悠は即座に行動に出る。稲妻の如き速さで彼が取ったのは、相手に誠意を示す最大の姿勢。即ち、土下座である。


「わ、悪かった鈴! その、わざとじゃないから!」

「わ、わかったから早くあっち向いてよ悠!」

「あ、あぁ!」

「……もう」


 沈黙が流れる。布が擦れる音が聞こえる中、悠もまた身支度を整える。そんな彼の顔はリンゴのように赤らんでいる。事実、ばくばくとする心臓の音が聞こえやしないだろうか、と不安すら抱いている有様だった。


(やばいな……顔がめちゃくちゃ熱い)


 貞操観念が逆転している世界で、女性は肌を晒すことになんの抵抗も抱かない。従って悠の周りには露出度が高い女性ばかりで、一部に至っては生で乙女の柔肌を見てしまっている。にも関わらず、悠は今までにないほど緊張していた。


 女性との共同生活をする彼にとって、明鏡止水の心得は必要不可欠である。

 御剣姫守みつるぎのかみはみんな魅力的な女性ばかりだ。もし万が一、悠が少しでも男性の欲を露にしてしまえば、その時彼に待ち受ける運命は人生の墓場と言う名の終着駅ゴールに他ならない。

 触れた者すべてを斬るのが妖刀であれば、理性を失い本能のままに男性を喰らう女性は魔獣だ。いかに剣鬼とて、制御が効かない御剣姫守みつるぎのかみを相手にするのは骨が折れるし、いや、寧ろ敗北は必須だ。

 従って、真に愛すべき女性が現れるその日まで。悠は日々誘惑と戦い続けてきた。

 しかし、はて。どうして千年守鈴姫かのじょにはこんなにもどきどきするのだろう。

 落ち着きなく脈打つ心臓の音が鼓膜にがんがんと響いてきては、必死に振り払おうとする千年守鈴姫の裸体が脳裏に色濃く浮かび上がる。

 静寂が流れる空気に耐えられなくなった頃。


「き、着替え終わったよ主……」

「そ、そうか……」


 今度こそ、しかし先の失敗もあって悠はおずおずと振り返る。

 寝間着から着替えた千年守鈴姫がいる。新撰組の羽織こそ纏ってないが、昨日見た格好だ。同時に、悠は即座に土下座をする。


「本当に悪かった」

「い、いいよ全然。ボクは気にしてないから。ちょっと、恥ずかしかったけど……」

「いや、本当に悪い。それしか言葉が見つからない」

「だ、大丈夫だってば。そ、それにボクは主の刀だし、その……見られてもいいかなって」

「ち、千年守?」

「……鈴って言ってよね」

「あ、あぁ。悪い……鈴」

「おはよう二人とも! 昨晩はゆっくりと身体を休められたか!」

「うわっ!」


 次の瞬間――襖が独りでに開いた。いや、開いたと言うよりは弾かれたと言った方がきっと正しい。ばきゃり、と……先の効果音を聞いて、ただ開いただけと思う者はまずおるまい。明らかものを粉砕する音であったし、実際。襖は見るも無残な姿に変わり果てている。

 びゅうびゅうと入ってくる冷気が二つの意味で室内の空気を一瞬にしてがらりと塗り替える。急激に下がる体温に伴ない、気恥ずかしさもまたその寒さの前には鳴りを潜めて、悠に冷静さを取り戻させた。さて。

 器物破損の罪を負った当事者はからからと笑っていて、まるで気にしていない様子だ。

 新撰組屯所の最高責任者がこれでよいものなのか。心中に疑問を逆巻かせて、悠は来訪者に朝の挨拶を交わす。


「お、おはようございます虎徹さん……。あの、せめてノックとか一声掛けて開けてもらえませんかね?」

「はっはっは! すまんすまん!」


 新選組屯所での宿泊は悠にとっても予定外であった。にも関わらず、彼が宿屋に戻らなかったのは長曾祢虎徹の大らかな人柄に感動したからだ――と、思ったのは一瞬のこと。どこからどう捉えてもあれは立派な脅迫だった。

 千年守鈴姫はもう新選組隊士であり、局長の許可なくして脱退及び抜け駆けをする行為は士道不覚悟。よって切腹もしくは打ち首に処すと新選組の面々から脅されては、悠も愛刀を守るべく従う他なく。千年守鈴姫と相部屋であることを条件に、渋々承諾した。当然、彼が提示した条件もなかなか受理されず、大いに揉めたがそこは剣鬼。剣で白黒つけようと提示して、結果……現在に至る。――その代償はあまりにも大きく、道場の床が真っ赤に染め上げられた。


「ところで、もう動いて大丈夫なんですか?」

「うむ問題ない。……まぁ少々貧血気味でふらふらとするが、某は新選組局長だからな。情けない姿を見せては他の隊士に示しがつかん」

「……へぇ」


 あの姿のどこに新選組局長の威厳があるのやら。悠は苦笑いを浮かべる。男性の裸を前にして誰よりも真っ先に気絶したのが、今目の前にいる御剣姫守みつるぎのかみである。その時の彼女は初心以外の言葉で形容しようがなかった。


(まさか、きゃあああっ、だもんなぁ……)


 そう言えば、と――悠はふと思い出す。意外と言えばもう一人、悠の中で当てはまる人物がいた。新撰組副長、和泉守兼定の存在である。悠にとって和泉守兼定という御剣姫守じんぶつは男好きの遊び人でしかなく、最も自分に縁がない人種とすら思っていた。だが、人間とは見た目だけではわからないもの。


(白目剥いて気絶してたな、あの人……)


 恐らく……いや、きっと。和泉守兼定は似非なんちゃって遊び人だ。男は好きでもいざ本番を前にしたら極度の緊張で失敗ばかりをする。そう考えると、なんだかかわいく思えなくもない。――彼女に対する好感度が上がったかと問われれば、否なわけなのだが。

 それはさておき。


「とりあえず飯の準備をさせてもらいます。色々とありますけど、ウチの愛刀を保護してもらったのは事実ですし、一泊までさせてもらいましたからね」

「む? それは助かる。加州が言うには、貴公が作る食事は大変美味と聞く。美味い飯であれば隊士達の士気も上がるだろう。よろしく頼むぞ悠よ」

「了解しました。それじゃあ台所に案内してもらえますか?」

「あ、ボクも手伝うよ主」

「鈴も? お前……料理なんかできるのか?」

「うん。その……料理なんか一度も作ったことがなかったけど、ちゃんと作れるんだ。多分だけど、主と一緒に生活してたから……かな? とにかく、足手纏いにはならないから信じてよ――じゃなかったら、今こうしてボクの胃は健全でいられないよ……」

「あっ……。それじゃあよろしく頼むぞ、鈴――同情するぞ」

「わかってくれた?」


 力なく笑う千年守鈴姫を見やり、悠はすべてを察した。

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