第三十一話:交わる復讐の双刃
列車が高天原駅へ着いた頃、青かった空は漆黒に染め上げられていた。
金色の満月が浮かぶ、とても美しい夜空の下では戦が起きている。
至るところに死体が転がっている。
鬼も、数打も、貴重な男性すらも。
種族、性別問わず死体と言う死体があった。
地獄絵図と呼ぶに相応しい光景の中を、悠は犠牲者に黙祷を捧げながら突っ走る。
丁重に弔うのは後回しだ。
優先すべきことを終えなければ、どんどん犠牲者が出てくる。
「ふっ! はぁっ!」
地獄を駆け抜ける三日月。
月光を浴びて白刃が煌けば、邪悪なる者は黄泉へと送り返される。
三日月宗近の刃戯――【月華彌陣】が発動されるのは夜のみ。
従って、現在の大和は彼女の独壇場と化している。
次々と鬼が屠られて、戦況は一瞬にして変わった。
勝機と見るや否や、応戦する数打達にも熱が入る。
到着してから僅か数分足らず。
三日月宗近の活躍により、高天原に蔓延る鬼の姿が完全に消失した。
あちこちで勝ち鬨の声が上がる。
その中で的確に怪我人の治療などの指示を三日月宗近より
与えられた数打達が迅速に行動へと移す。
その様子に、三日月宗近の天下五剣としての技量と器に、悠はひたすら感心した。
本部へと着く。
太安京支部同様。残る天下五剣が集まっていた。
彼女達の周りにはやはり、骸と化した鬼達が無造作に転がっている。
「むっ? 三日月! それに悠も!」
「戻ってきてくれたんだね悠!」
「お久しぶりです安綱さん、国綱さん。それに皆も無事でよかった」
「ふっ……最後の最後で笑うのはやはりこの数珠丸のようですね。さぁ悠さま、今こそ誓いの熱い接吻を――」
「はいはい、悠が帰ってきた途端妄想爆発しないでっての。でもマジでおかえり悠。悠があたしから離れたから、結構寂しかったんだよ?」
「だが、よく戻ってきてくれた。やはり他の御剣姫守よりも我ら天下五剣の方が安心できるとわかってくれたのだな?」
「いえ違います」
即答する。
瞬間、童子切り安綱が一瞬落胆の感情を見せた。
すぐに平常心を装うが、やはり。
いつもの凛々しさが若干失われてしまっている。
「……とりあえずこうしてまた出会えたことは非常に喜ばしい。だが、見ての通り高天原はこの有様だ。我らもこの様な事態は経験したことがなく、混乱している」
「それを解決するために、俺は高天原に戻ってきたんです」
「なんだと? それは一体どう言うことだ?」
「それは――」
例えるならば、ありとあらゆるものを飲み込んでは粉砕する暴風。
凄まじい殺気が辺りを包み込んだ。
既に戦闘を終えていた天下五剣の顔に緊張が走る。
納めていた得物を抜刀すると、一点を彼女らは凝視する。
暗闇に目を凝らす。
一匹の鬼が姿を見せた。
姿は比較的人間に近い。
身長も成人男性の平均と大差ないし、見た目も差ほど禍々しさはない。
峰がのこぎりのような形状をした太刀を右手に携えていることから、あの鬼もきっと禍鬼だろう。
それも飛び切り危険な鬼だ。
でなければ、天下五剣が驚愕に目を丸く見開き、冷や汗を流すはずがない。
彼女達の記憶に深く刻まれたあの禍鬼は何者か――などと言う疑問に価値は一切ない。
全力で挑まなければ勝てない相手。それだけ理解していればいい。
そして、のんびりしている暇がないことを再認識する。
「皆さん、すいませんがここはお任せします」
「なんだと? 貴様、どこへ行くつもりだ悠!」
「倒したはずの鬼が甦る――全ては太安京で遭遇した御剣姫守の刃戯によるものです! ですから術者であるその御剣姫守さえを倒せばすべて収まります!」
「は? あたし達と同じ御剣姫守の仕業ってどう言うことなの?」
「詳しく説明している時間はありません! このままだと高天原だけじゃなくて他の場所も危険です。それに憎悪を糧にして甦るのなら、倒してもまた復活する可能性も考えられます。ですからその術者を俺は倒しに行ってきます!」
「な、何を言うんだい悠! 君だけじゃ無理だ!」
「待って下さい国綱さん――悠さん、一つだけ誓ってください」
三日月宗近が真っすぐ瞳を見つめてくる。
翡翠色の瞳に不安や迷いと言った感情は宿っていない。
何故なら、彼女は俺の答えを既に知っているから。
「……なんですか?」
「生きて、必ず私のところに帰ってくれますか?」
知れたことを。
「当然です。俺は必ず、勝ってここに帰ってきます」
「……さぁ、行ってください悠さん! ここは私達が抑えます!」
「お願いします――どうか、ご武運を!」
駆ける。
背後から事態が未だ飲み込めていない四人からの疑問が聞こえてくるが、程なくして金打音へと変わった。
やがてその音も遠ざかり、遂には聞こえなくなった。
僅かな不安が脳裏をよぎり――振り払う。
三日月宗近は俺を信じて送り出してくれた。
ならば俺も彼女を……天下五剣を信じよう。
幸いにも今宵は満月。月を冠する名刀が負けるなどあるはずもないのだ。
夜の高天原より消えた戦の音色。
刀を振っている者はもう誰もいない。
彼女らは此度の戦に勝った。だが勝ち鬨の声が上がることも、勝利を喜ぶ表情もない。
誰もが泣いていた。
犠牲となった者達を弔う彼女達は声を忍ばせて、涙をぼろぼろとこぼしている。
戦が終わろうとしている。
その結末を決めるのが、俺に与えられた最後の役目だ。
平穏な日々を手にするか、それとも世界を死に追いやるか。
――すべてを終わらせてやる。
悠は腰の大刀をしっかりと左手で握り締めて、高天原を疾走した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
高天原から北へ進んだ先に大きな山が立っている。
標高およそ四百三十メートル。
その頂に村正の工房がある。
彼女亡き後も定期的に清掃が行われて、今も綺麗な姿を保っているその場所に、それはいた。
「やっぱりここにいたんだな」
件の女性が振り返る。
その瞳には何故、と疑問が渦巻いているように見えた。
答える義理などないし、本人が回答を求めているかも知らないが、悠は答えてやることにした。
「強いて言えば勘だけどな――お前の目的は御剣姫守の抹殺。でも一番の復讐相手は生みの親の村正だ。だから原点でもあるこの場所で自分よりも後から生み出された御剣姫守が殺されていくところをお前は村正に見せつけてやりたいんじゃないかって思ったんだ」
「……そして、お前は御剣姫守と共に私を殺しにきたの?」
最初の頃とは打って変わり、随分と綺麗な声だ。
聞いていてとても落ち着く。
当然だろう。零姫村正が発する声は朱音の声なのだから。
こんな形でまた、最悪の女性の声が聞けるとは思っていなかった。
だから早く、彼女を解放しなければならない。
「安心しろ。ここには俺以外いない。お前を斬るのは俺だけの役目だ。御剣姫守にも、誰にも邪魔をさせるつもりはない」
大小の刀を抜く。
構えは双貫の型。
初撃ですべてを終わらせる。
もはや言葉を交える必要はない。
ただ、強いて彼女に声を掛けるとするならば。
「……最後に一つだけ質問したい。お前は元々この世界の住人だった。それがどうして俺の世界に……結城家の宝刀とされたんだ?」
「……私の願いはただ一つ。私を必要としてくれる者に振るわれることだった。失敗作として倉の中に放置され、他の者達が自分の意思で自由に生きている中で私はただ鞘の中に納まり続けていた」
「……」
「そんなある日、奇跡が起きた。見知らぬ世界で、人間と人間が争う世界に私はいた。そして一人の武士に拾われてから、私は斬るために数多の戦場を駆け抜けた」
「それが俺達、結城家だったと言うわけか」
「私はただ嬉しかった。私を失敗作と罵らず、私を必要としてくれる者と出会えたから。だが時代の流れと共に私は再び必要とされる日が訪れなくなった」
時代の流れと共に発展して行く技術力。
銃に始まり、やがては戦艦や戦闘機と、最新兵器の登場に主力は交代される。
刀による斬り合いは、もはや原始的な方法だ。
それは同じ刀である零姫村正とて同じ。
どれだけ頑丈であろうと、戦艦の砲撃には耐えられぬ。
どれだけ切れ味が鋭かろうと、空を翔ぶ戦闘機には届かぬ。
そして世界大戦が終わって、世界から戦争は消え去った。
内乱などが起きている国は確かにあれど、日本と言う小さな島国は戦争することを捨て去った。
「そんなある日だった。奉られるだけの私に、再び振るう仕手が現われた」
「……あぁ、そうだな」
父を斬ると決めたあの日、選んだ得物は零姫村正だった。
選ばれた者しか抜けないなどと、御伽話のような曰くを持つ零姫村正を悠は抜いた。
「お前が私の新たな仕手となってくれると思っていた。実の父を斬るために私に力を求めてくれたお前がなによりも愛おしく思えた――だが、貴様は私を裏切った」
「……確かに。お前から見ればそうかもしれないな」
すべてが繋がった。
なるほど。確かに彼女が俺を恨んだとしても仕方がないのかもしれない。
事情を知らなかったとは言え、鞘から抜き放ち己の得物として振るっておきながら他の刀を選んだのだから。
だが。
「逆恨みもいいところだ。そんなくだらない理由でお前は朱音を操り、俺に斬らせ、あまつさえ自らの肉体として使っている――お前は鞘の外に出るべきじゃなかったんだよ零姫村正」
知りたかったことも聞けた。
これで心置きなく、彼女を斬ることができる。
零姫村正も得物を抜いた。
なんと禍々しい刀か。
得物を失い、新たに用意したのだろう。
以前使用していた零姫村正とまるで同じ造りだが。
すべてが黒に染め上げられていた。
刀身はもちろん、鍔から柄まで。
まるで数え切れぬほどの敵の血を吸ったことで変色したかのようだ。
妖刀……今はその異名がなによりも相応しい。
「お前へ復讐を果たした後、今度は御剣姫守だ。お前の首を持っていけば、さぞいい憎悪が見られるだろう」
「残念。ここで斬られるのは俺じゃない――お前だよ、元凶」
悠は地を蹴った。




