第十九話:夢幻の中で君はまた優しく微笑んでいた
暗闇の中をただ歩み続ける。
風の一つもなく、熱い寒いと言った概念もない。
無音。自身の足音すらもならない静が支配した世界。
直感的にこれが夢であることを悠は理解した。いわゆる明晰夢と言うやつだろう。
腰に帯びた刀の柄頭に左手を添え当てて、どこに行き着くかもわからないままひたすら前へと進んだ。
どれだけ歩いただろう。悠は自問する。
一分か、一時間か、それとも一日か。
時の流れすらもわからない暗闇を彷徨い続けた――その時だ。
一つの死体を見つけた。
紺色の着物を羽織い頭髪の半分が白く染まった、なんとも目を惹かせる骸。
右肩から左脇腹に掛けてばっくりと刀疵が刻まれて、致命傷を与えている。
骸の顔を覗きこむ。その顔はよく知っていた。
そもそも自分が斬った相手を忘れるはずがない。
印象深く残っている相手であれば尚更だ。
よくよく見れば、周りは死体と言う死体で飾られているではないか。
下顎を胴体に残した者、四肢を断たれ達磨と化した者、心臓を穿たれた者――それらが誰だか悠は知らない。
知らないが、死因はそれぞれ異なるものの、死体と言う点については差異はない。
地獄と呼ぶに相応しい光景を前にして、悠はゆっくりと起き上がった死体の一つに心裡から問う。やはりお前は俺を恨んでいるのか、と。
死体は何も語らない。
光を宿さない虚ろな眼差しを、ただただこちらに向けている。
否、こちらを視界に収めているかも怪しい。
やがて、それは不意に行動を起こした。
――あぁ、あの時と同じだ。
かつて見たものと全く同じ優しい笑み。
その真意を、今回も知ることは叶わない。
死人に口なし。死んだ人間が生き返ることはありえないのだから。
◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
目を覚まして飛び込んできた天井は、もう見慣れてしまったものだった。
実休光忠が桜華衆の一員として加わり、配属絡みで一悶着があったと言う報告が送られてから早数日が経過する。
太安京は今日も穏やかな一日が流れている。
鬼による襲撃もなく、隊長の小狐丸も違和感に小首をひねるばかり。
ただ、嵐の前の静けさとよく言う。
なにか悪いことが起こりそうな気がする。悠はそんな予感がしてならなかった。
ともあれ、起きたのであればやるべきことをやろう。
時計はないから体内時計だけが頼りだ。狂ってさえいなければ、多分今は午前六時ぐらい。朝食の時間だ。
身支度を整える。
いつもの服の上から――三日月宗近より送られてきた羽織を纏う。
ほのかに青みがかった黒色の生地に三日月を思わせる灰色のグラデーションと、桜の刺繍が施されている。桜華衆の入隊祝いとして三日月宗近がわざわざ和裁士に作らせた一品だ。
着心地は問題ない。サイズもぴったりだ。
採寸せずに大まかな情報だけで仕立てる和裁士の腕前は見事の一言に尽きる。
彼女が纏う軍服と同じ柄に仕立てられているから、ペアルックを意識したのだろうか。
デザインも悪くはない。寧ろ悠の好みである。
本差を腰に、そして羽織と同じく送られてきた一尺八寸二分の脇差を差す。
これは自らが三日月宗近の紹介の元、鍛冶師に依頼した。
見た目はごく標準的な日本刀と大差ないが、数打の御剣姫守が所持している九十五式軍刀と同等の性能を誇る。
人間が打つ一振りよりも丈夫で切れ味もいい。
なにより鬼と渡り合える。ここが一番の強みだろう。
対人の刃で魔は切れない。ナマクラなら尚更のことだ。
大小の刀を差したことで、ようやく結城悠と言う一匹の剣鬼が完成する。
襖を開ける。
襖の前にいた九字兼定が驚いた表情を浮かべていた。
「お、おはようお兄ちゃん。起こしにきたらいきなり襖が開いたからビックリしちゃった」
「あぁ、おはよう九字兼定。それと驚かせて悪かったな」
「ううん、兼定は大丈夫だよお兄ちゃん。それより朝御飯だから食堂に行こっ!」
「そうだな」
小さな手に導かれながら、悠は食堂へと足を運んだ。
炊事、掃除、洗濯――一般で言う家事の類は基本男性の仕事と決まっている。
法律で決められているわけではないが、この世界が生誕してから自然と成り立った法則である。
しかし桜華衆は女性だけで構成されている。
即ち本来男性が担うべき家事を、御剣姫守は自分でしなければならない。
刀の扱いや戦闘技術には優れている彼女達でも、家事となれば本来の技量はまるで意味を成さない。何年と言う修行をしてようやく一般人にも振舞えるようになるとは、三日月宗近談。
そう言う意味では、太安京支部は最悪だった。
誰一人満足に家事ができる者がいないのである。
雑巾を絞れば怪力に耐えられず千切れる。
廊下を箒で掃けば汚れが残っているのに満足して終わって遊び出す始末。
こと料理においては壊滅的だ。
歓迎会と称して出されたあの料理は――料理と言う名のなにかだった。
宇宙から飛来した未確認生物と他人の前で説明しても、きっと通じたと思う。
味は、何十回と意識が飛びそうになった衝撃が強くてよく憶えていない。
鬼による被害よりも、社会的に生きていけない理由で太安京支部に送られたのでは。今となってはそう思ってしまう。
悠は朝食の支度に取り掛かる。
現代のようなシステムキッチンを始め、電子レンジなどの器具は一つもない。
火を起こすところから料理は始まる。
釜戸で米を炊き、山で収穫した山菜やら川魚を材料におかずを作り上げていく。
内容そのものは質素だが、食堂からする御剣姫守達の歓声を聞けばそれだけでも充分なのだ。
「やっぱり愛する夫が作る料理が食べれるのは幸せだね。胃だけじゃなくて心も満たされる」
「いつから俺はお前と結婚したんだよ。後ほっぺに米粒が付いてるぞ。あぁもう、取ってやるから動くな」
「ありがとう悠――あっ」
小狐丸の頬から取った米粒を、悠はそのまま己の口に運んだ。
捨てるのは勿体無いし、自分で取っておいて相手に食えと言うのもおかしい。
だから自分が処理する。
気が付けば、四人の御剣姫守が頬を悠に差し出している。
見れば四人とも頬に米粒をつけていた。
つまり、私達にも同じことをしろと催促されている。
ここでやらないと、後々面倒になる。
小さな溜息をもらした後、悠は一人ずつ米粒を取っては食べた。




