第八十話:また逢う日まで
元凶は去り、町には再び平穏が訪れた――とても喜ばしいはずのことなのに、誰も嬉々としておらず。再び国を救った悠でさえも、その表情は曇っていた。
「はぁ……いつになったら終わるんだろうな」
「それは……なんとも言えませんね。私も長くここにいますが、このような事態は初めてですので……」
「三日月さんがそれなら、今回はかなり難航しそうですね……」
深い溜息をはく三日月宗近の隣に並ぶ悠も、つられて溜息をもらす。残された傷跡は決して小さくはない。人命においては、今回の死傷者は彼が経験してきた中でも遥かに少ない。
では何故そんなに落胆しているのかと問われれば、復興作業にある。壊されたものを直すのは必然で、長年住んできた町民たちは自らの手で町を復興させる責任がある。今までからしてきたように、今回も一丸となって元通りにする――それが思うように進展がないから、三日月宗近も頭を悩ませていた。
「ねぇちょっとこれ本当にどうにかなんないの!? 光世もう嫌なんだけど!!」
「って言われましても……運命と思って諦めるしか」
「そうだ! ねぇ安綱もういっそのこと全部燃やしちゃってよ。そしたら早く終わるじゃん」
「馬鹿者! 町を焼野原にしろというのか貴様は! 口を動かす暇があるのならば黙って手を動かせ!!」
「でもこの蜘蛛の糸……本当に見るだけでもうんざりしてくるね」
鬼蜘蛛が手当たり次第に張った糸は、かの怪物が倒されても残り続けた。糸の除去……復興作業に著しく遅れを生じさせている要因にして、第二の要素が加わったことで更なる問題へと発展させる。
「ぎゃぁぁぁぁ蜘蛛が背中に入ってきたぁぁぁっ!!」
「ちょ、ちょっとこっちにこないでってば!」
「なななな情けないわねくくくく蜘蛛一匹にそんなに驚くなんて……!」
「声震えてるし……それを言うなら、あんたの足にもくっついてるし」
「…………」
「あっ! 気を失った!」
黄色い悲鳴をあちこちで絶えず上がらせているのは、蜘蛛だった。鬼蜘蛛とは一切の関連性はなく、かの怪物が残した糸に惹かれたのか。理由が定かでないにせよ、そこら中に潜んでいた蜘蛛が、皆を恐怖のどん底に陥れんとしていた。
(鬼の方がよっぽど怖いと思うのは、俺だけか?)
「でもさぁ、鬼の方が命も奪ってくるから危険なのはわかるけど。蜘蛛って全部無害だからあそこまで騒がなくてもいいとボクは思うんだけどなぁ……」
「だよなぁ……」
蜘蛛は毒でもない限りは益虫で、鬼は命を奪ってくる害悪。天秤に掛けるほどでもない。それなのに男に負けず劣らずの恐怖っぷりを見せつけられているものだから、悠は新鮮味を込めて苦笑いを浮かべるしかない。
御剣姫守でも蜘蛛は怖いらしい。
蜘蛛にしてみれば勝手に怖いと騒がれて忌み嫌われる……これほど迷惑極まりないこともあるまいが。
元凶を倒したら町が元通りになる……創作のような展開が現実でも起こり得てくれないことを改めて学ぶ傍らで、悠はのんびりと傍観していた愛刀に目線で促す。
復興作業を手伝いたいのは山々であった彼だが、弥真白を長く放置しておくことも許されない。そろそろ帰らないと、小狐丸達が何をしでかすかわからない。こと駄目な大人代表……実休光忠も、結城悠がいないのをいいことに賭博三昧に勤しんでいるかもしれない。
気苦労がなかなかに絶えない職場であることを再認識させられて、悠は今日こそ弥真白に戻ることを決意した。
「それでは三日月さん、俺達はこれで」
「……本当に言ってしまわれるのですか? まだ耶真杜は全然復興できていないというのに……」
「でも、そうすると弥真白を長時間ほったらかしにしてしまうでしょ?」
「あんな駄狐なんか放っておいても大丈夫ですよ」
「いや、そういう訳にもいかないですから。どっちにせよ、一度俺は戻ります。また日を改めて手伝いにきますよ」
「うぅ……約束ですよ?」
「えぇ」
その時に小狐丸が了承してれるかどうかは、また別の話だが……。
別れを惜しむ暇すらもない面々を遠目から別れを告げて、悠は三日月宗近に一礼すると敵を目指して歩く。
「悠さん達ももう出発しちゃうんですねぇ」
「小烏丸」
追い掛けてきた小烏丸に呼び止められた。
旅支度を済ませているところを見ると、彼女も耶真杜を発つようだ。
「小烏丸、お前はこれからどうするんだ?」
「もちろん執筆作業に勤しみますぅ。今日までで私はとっても貴重な体験をしてきましたぁ。悠さんのこともしれましたしぃ、以前よりもきっといい作品が書けるような気がするんですぅ」
「……そうか。今度こそちゃんとした結城悠を書いてくれよ? じゃないとこの密着取材が無駄に終わってしまうからな」
「とと当然ですよぉ! 嫌ですね悠さんったらぁ」
「……その笑いは信用してもいいんだよな?」
「悠さま!」
「膝丸」
ぱたぱたと駆け寄ってくる姿に、昨日の面影はどこへやら。人懐っこい笑みはさながら子犬のようで、ありもしない尻尾と犬耳を見た。
「もう行ってしまわれるのですか……?」
「あぁ、俺には俺で待ってくれている奴らがいるんだ」
「……わたくしも、本当なら悠さまのお傍に置いていただきたいです。けれど、わたくしには……――」
「わかってる。安綱さんのこと、頼んだぞ」
「……またお会いできますよね?」
「お互い生きているし、それに同じ時代の国にいるんだ。また顔を見にくるし、なんなら遊びにくればいい」
「はい! あ、あの……最後に一つだけお願いがあるのですけど、よろしいでしょうか?」
おずおずと見上げてくる膝丸に、悠は小首をひねる。一早くに反応を指し示した愛刀を抑える彼は次の言葉を彼女に促す。
「俺にできる範囲であるならな」
「じゃ、じゃあその……頭をなでなでしてほしいですわ」
「わかった」
言うが否や。電光石火の早さで伸びた彼の手は、そのまま膝丸の頭を撫でる。常識内での要求が来たことが、悠はとても嬉しく思えた。頭を撫でるぐらいならば、何時間でもやってやる。撫でるだけならば余計な体力を使わないし、何よりも健全だ。
「えへへ……これが撫でられるという感覚なんですね。なんだか頭がぽわぽわしてきますわ」
「喜んでもらえてなにより」
さらさらと指間を流れていく髪質のなんと心地良きことか。いつまで撫でても飽きがこない。目を細めている膝丸の様子も相まって、悠は手を休ませることなく彼女のためだけに動かす。
「ちょっと主? いつまでそうやってやるつもりなのさ……ボクだってそんなに撫でてもらったことないのにさ」
「はいはい、後でな」
「……やっぱり斬っちゃおうかな。うんそうしよう」
「物騒なことを言うのはやめろ」
これ以上は危険と判断して、悠は膝丸から手を離した。もっと撫でていたかった願望があるが故に、名残惜しそうに目を伏せられたことが彼の表情を曇らせる。
(もっと撫でてやりたい気持ちは山々だが……まぁ、我慢してくれ膝丸)
「膝丸! 作業を放って悠に羨ましい……いや! よからぬことを強要するとは何をしている!!」
ばたばたと慌ただしく童子切安綱がやってきた。刀ではなくつるはしを手にする姿もなかなか似合っている。ただ、上半身をはだけさせての恰好だけはいただけない。発汗もすれば発熱することも重々に理解できる。少しでも冷却しようとして素肌を風に晒したい気持ちも、悠は痛く共感できる。
せめて男がいない時にしてもらいたい。これを本人に伝えたところで意味などなく、結果悠の方が折れる形となる。極力視界に納めぬよう、視線はやや横にずらすことで自らを守った。色んな意味で。
「もう発つのか?」
「えぇ、そろそろお暇しようと思います。とりあえず俺がいなくても大丈夫でしょうし、それに膝丸がいますから」
「……あぁ。正式に桜華衆に所属させた後、この耶真杜にて尽力してもらう予定だ。膝丸も了承してくれている」
「それはなによりで」
「……此度の一件、また貴様の力を借りてしまった。本当に感謝する、悠よ」
「やめてくださいよ。俺がしたことなんてたかがししれてる。それを言うなら今回の貢献者は安綱さんと膝丸の二人じゃないですか」
「悠……そうだな」
「えぇ。それじゃあ安綱さん、俺達はこれで」
「うむ! 我も早く膝丸を桜華衆の一員として迎えるために復興に尽力しよう。そして悠よ、その時には貴様も必ず参加するのだぞ」
「もちろんです――それじゃあ鈴、行くぞ」
「うん、主!」
「悠さま! 絶対にまたわたくしの頭を撫でてくださいね!」
「新刊ができたら真っ先に悠さんのところに持っていきますからねぇ!」
新たな出会い、そして別れが今回もあった。どれもこれもが刺激的で貴重な体験であったことを噛みしめながら、悠は千年守鈴姫と共に耶真杜を後にする。後は買ってきたお土産がどこまで彼女達の機嫌を直してくれることやら。
一寸の不安を胸に秘めた彼を乗せて、仲間が待つ耶真杜へと機関車は動き出す。




