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はじめてのおつかい

本編が始まる数年前の話。

まだ色んなことに折り合いをつけれなかったころの、若い宮地の話です。

白煙を上げて、小型偵察機が民家に墜ちた。


木材の折れる音、瓦礫の落下音。振動していた地面が傾く。ひしゃげた車から炎があがり、道路脇から噴き出した下水がそれを消して、数台まとめて道路の端まで押し流す。


瓦礫の隙間、狭い視界に刺す日差し。

数分前までダイニングルームの壁だったものの上に座り込む青年がひとり。宮地は出血する腹部を押さえて、荒い息を吐く。


と、着信音。

通話状態にしたばかりの端末からまず聞こえたのは、鼻で笑う声。


『よう。何やってる、死ぬ気か』


突如起きた混戦の中、仲間とはぐれた一人の行動をそう断言できるやつは、そう多くはない。今もどこかからこの騒ぎを悠々と見下ろしているのだろう。

高みの見物、奴にはそれが許される。それが強者たる証。特権だ。


「……あんた、どっちの側だ?」


『両方から積まれたが、星利の嬢ちゃんのが多かったんでな。オマエ、謀反組の顔は見たか?』


黙りこくる宮地に、適当な名前を十堂が並べる。青年が眉をしかめる。


「……あいつに限って」


若いねぇ、と受話器の向こうから、面倒くさそうなバカにしたような声。


宮地は口を閉じて、手元の銃器を見下ろした。先ほど自分で撃ち殺した、仲間だと思っていた奴の顔を思い出す。昨日笑いあった顔と、先程豹変した顔と、数分前に見た骸の顔。


壁の向こう、鳴り止まない発砲音と怒号を聞きながら、宮地はタバコに火をつけた。紫煙を吐く。狭い視界にもや(・・)がかかる。鉄分の足りない頭で、白い空をぼうっと見上げる。


「……あんたさ。もういいやって思うこと、ないか?」


『あいにく人生相談は管轄外だ』


おとうさーん、と小さな声が聞こえた。


「はぁ? あのちび連れてきてんの?」


『あいにく、ここ以上に安全な託児所がなくてな』


そりゃそうだ、という言葉を宮地が飲み込んだあと。



『生きてるやつで生きてくんだよ、それしかねーだろ』



そう答えた年長者の言葉が、軽く答えたようでいて、誰かに言い聞かせるような声色をしていたことが、やけに印象に残ったことを宮地は覚えている。


***


曇天の下、人の行き交う往来。閉じたシャッターに寄りかかって、軒先で紫煙をくゆらす宮地。


近くの銃器店の扉からひょいっと顔を出した少女が、重そうに銃を抱え直して、とてとてと走ってくる。


「転ぶぞ」


宮地がぼやいた直後。


「んべ」


べしゃり。

少女の額と銃筒と地面との接点から、ごちごちん、と連続で痛そうな音がした。


「……」


俺がガキのころってこんなにマヌケだったっけ、と思い出せない記憶を探りながら呆れ顔で紫煙をふかす青年の前、がばりと顔を上げた少女がきらきらした目で青年を見上げた。赤い額から砂が落ちる。


「すごい!」


「あ?」


「おとーさんと、おんなし!」


「やめろあんなくたびれたジジイと一緒にすんじゃねぇ俺ぁまだ現役だ」


「う?」


きょとんと見上げてくる、まんまるの黒い瞳。


宮地は咳払いをひとつ。子どもの扱いはよく分からない。


のたのたと身を起こす少女の前に、青年はよいせとデニムの膝あたりを引いてしゃがみこむ。ちいさな額が赤くなっているのを、これは何かすべきなのか、とじっと見る。至近距離で目が合う。きゃ、とか楽しげに言いながら少女が両手で顔を隠す。手を離した銃ががしゃんと落ちた。とたんに涙目になる少女。


「……」


こいつここで生きていけんのかな、と宮地が不安になった直後。


右のこめかみに、ひたりと冷たい感覚。


「……おい、盛大な誤解だぞ親バカじじい」


反論しつつもそうっと両手を挙げる宮地と、彼の頭に銃口を押し当てている真顔の父親を見上げ、涙をぬぐった少女が不思議そうな顔をする。


***


目の前に、敵味方の分からない死体とその断片がいくつか転がっている。瓦礫の下からのぞいているのは見覚えのあるブーツの爪先と赤い水たまり。


結論の出ない口論がインカムの中でせわしなく飛び交う。とりあえず戻れ、というひどい指示を繰り返す相手を、るせぇな、と一言で黙らせ。


「誰かが片付けなきゃなんねーんだろこれ」


みなが総力を尽くした。あらゆる手は打った。これは絶望的かな、と人生何度目かになる諦めの息を吐いてから、宮地は星利の名を呼んだ。


「あんたのために命かけるって決めたんだ」


かっこつけて言って、笑いながらインカムの音量を下げる。


これでいいだろ。後悔はしない。先に逝った惜しい知り合いの名前をいくつか、小さく呟く。


装填を終えた宮地が階段に向かおうとしたとき、


『だーるまさんが、こーろんだ!』


「あ?」


インカムに割り込んだ場違いな女児の声と、カチリという何かの音。


間髪入れず発砲音。2階の窓から見下ろせば、用水路と公道を挟んだ先に転がる装甲車両の裏に、雨のように弾丸が降り注ぐ。その奥に積まれたコンクリートブロックがあっという間に蜂の巣になり崩れ落ちる。瓦礫の下から慌てて飛び出してくる数人も、もれなく凶弾に倒れた。


「隠れろ!」

「狙撃だ!」


街路樹がめきめきと音を立て、根元から倒れた。ひび割れたアスファルトに葉が散る。


にわかに騒がしくなる双方。瓦礫の向こうで走り去るいくつかの足音と急発進するエンジン音。インカムの向こうからも走り回る足音が聞こえる。


宮地の横にいた仲間の一人が血のにじむ腕を止血しながら、ヒュウ、と口笛を鳴らす。


あっけにとられていた宮地が、忘れていたように小さく息を吸う。気まぐれに依頼を引き受けるフリーランスの子連れ狼の重役出勤に、インカムに向かって口を開こうとした直後、


「みゃじ!」


甲高い奇声とともに目の前に滑り込んでくる、小さなーー信じられないくらい小さな体躯。黒い長手袋の両腕が抱えているのは、それに似合わない口径。慣れた手つきでちゃちゃっとそれを構えてから、階下に向かって何発か撃った。


小さな肩越し、突入していく仲間の姿が見える。


数秒の静寂ののち、右耳に引っかけたインカムが『い、Eエリア、オールクリア』と間抜けな声を出した。


『確かか?』


どよめきに混ざる星利の声。無理もない。


宮地は喉に溜まった鮮血混じりの痰を吐き出した。


「……おい、何しに来た。お前にゃ頼んでねぇぞ」


声はやや掠れた。ふてくされた子どもの不満のようになったことに気づいて、宮地は知らず顔をしかめる。


「んとねー」


こてんと首をかしげて、小さな少女は満面の笑みで青年を振り返った。


「せいこうほーしゅーの、あとばらいの、しゅっせばらいで、いいよっ」


「……そーいうことじゃねぇ」


おそらくどこかで聞きかじったのだろう、どう考えても意味なんて分かってなさそうなその答えに、むい、と小さな鼻をつまむ。できるかぎり、そうっと。


「ふぅうううう」


眉をぎゅうっと寄せ、特殊繊維の手袋に包まれた手をじたじたさせる少女。


「まぁ助かったわ。ありがとな。で、親父の作戦は?」


あの親バカのことだ、嬢ちゃんの出番はここで終わりだろう。そう宮地は思っていたのだが。


「いってらっしゃいって!」


「他には?」


「ちーのおしごとだぞ、困ってもたすけねーぞ、って!」


少女と青年が見つめ合う。

数秒の静寂。


「……じ、冗談、だよな?」


声が裏返った。数年前父親の気まぐれでおしめを替えさせられたことすらあるその小さい人間が、むふんと自信ありげに胸を張るのを、宮地は穴が空くほど見つめた。


***


帰路に着く宮地の、その背中におぶわれてうとうとしていた少女は、インカムから聞こえてきた父親の声にパチリと両目を開けた。


むふん、と嬉しそうに上気した頰を上空に向けて。


「ちー、はじめてのおつかい、できたよ!」


「……んな」


宮地の歩みが止まり、


「おいお前えええ」


「みゃああああ」


急に揺さぶられて振り落とされそうになって、慌てて背中にしがみつく千風。


「や、ちげぇな」


宮地がすとんと千風を地面に下ろして、右耳に手を当てる。目を回したらしくふらふらしている少女に、周りの黒服たちが救助に入る。


「おいオッサン! ひとの危機を愛娘の初舞台に使うたぁどういう了見」


『ちょうどよかったんでな』


「はああ?!」


続く青年の不平不満をガン無視して、十堂はいつも通りの静かな声で千風の名前を呼んだ。


『約束の報酬を用意する』


最新モデルのーー銃の名前。


「きゃああああ」


宮地の耳をつんざくほどの奇声をあげて嬉しそうにそこらじゅうを飛び跳ねる少女。ポケットから飛び出た銃弾がばらばらと地面に散らばる。


「ああああいっぺんでいい、こいつら親子の鼻をあかしたい……」


今日は潰れるまで飲む、と固く決意する宮地だった。


散らばった銃弾はもちろん宮地が拾いました。

(そしてそのしゃがんだ背にもっかい乗ろうとジャンプして失敗して地面にごちんと頭を打つ千風)

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