20.抗争
「9.コアラと初仕事」の、その後の話。
ばしゃあ、と派手な音を鳴らして、割れたガラス窓の破片が一気に屋内に飛び散った。ひしゃげたカーテンレールが傾いて落ち、片側の先端に取り付けられた金属細工が床に突き刺さる。
「玄関まだ破られてないな?」
「はい。若いのを数人回しました」
鉾良と格子が早口でやりとりする横で、片膝を立てた陣区が窓方向にライフルを構える。物音のする方に狙いを定めて全発撃ってから、足元に落ちている、ガラス片の混入した食べかけのツマミを名残惜しそうに見る。
「窓ガラス全部割りやがって……」
割れた酒瓶とグラスがそこらじゅうに転がっているのに悔しそうな顔をして、
「酔い冷ましにはちょっと早いよな。やっぱ次こそ防弾に変えましょうよ」
同じくさっきまで晩酌を楽しんでいた久我が言い、
「いくらすると思ってる」
サイドライドをぶっ放しつつ義維が短く答える。
「フィルムじゃ効果ないですもん。俺あっち側の窓の全部貼ったのに」
久我の愚痴を、鉾良の怒鳴り声が掻き消した。
「くっちゃべってねぇで撃ち返せ!」
「はいっすんませんっ」
最低限に照明を絞った薄暗い室内で、絶え間なく銃撃戦は続く。
放り込まれてきた物体に、
「火炎瓶!」
一人が叫び、屋外に向けて発砲していた周囲の数人が攻撃を中断して慌てて飛び退る。
誰かが放り投げた上着がそこへばさりと覆いかぶさる。じわりとしみだした液体がコートの後ろ身頃を黒く染める。
点火が甘く不発に終わった火炎瓶に、誰かが安堵の息を吐く。
「なぁおい、ちーは?」
一人がそう言ったのを皮切りに、周囲が互いの足元を見回し始める。
「そういや見てねぇな」
「は? どこいった?!」
動揺する男たちの中、義維だけが表情を変えないまま、端末を取り出し耳に当て。
「今どこだ?」
『そげきぽいんと、B!』
簡潔明瞭な明るい返答と共に、がちゃこ、と耳元で鳴る金属音。
ふむ、と義維はある程度予想していた待機位置に、ただうなずき。
「そこからある程度、片付けられるか?」
『ん! はんぶんくらい!』
「加勢は必要か?」
『んー……あのね、ないしょで来れる?』
義維はちらと窓の外を見て。
「……難しいな」
寄ってきた宇村がひらひらと手を振ってみせる。義維がその手に通話状態の端末を置く。宇村がそれを耳に当て。
「もしもし、お電話変わったよ、宇村です」
『うーちゃ!』
「うん。今ここに暗視スコープが人数分あるけど、みんなに配ろうか?」
『ん! そーするー!』
「うん、そうしよう。てことです、リーダー」
「なるほど。地の利はこちらにあるしな」
『うーとね、向こうはね、すこーぷ三人持ってる! あとみんな鳥さんのおめめ!』
「三人以外鳥目、な」
『あ、あとね、あのね、おでんわ、くーがにかわって?』
千風の追加リクエストに怪訝な顔をした宇村が、それでも久我に端末を渡し。
「ああ、うん、はいはい。残ってるよ、りょーかい」
気安い返事をした久我が端末を切って義維に返す。
「リーダー、俺が合図するまで、反撃すんの待ってもらえますか」
「お前が?」
「ふふふ、秘策っす」
にやりと得意げに笑った久我が「ちょっとここ任せた」と陣区に言って廊下に消える。
唸るようなエンジン音と血気盛んな話し声が絶え間なく聞こえてくる屋外。ハイビームのヘッドライトが、汚れでまだらに染まる、かつては白かったカーテンを照らしだす。
すっと鉾良の脇に来た宇村が、冷静な声でささやく。
「さっき二回目の一斉射撃のときに見えました。右端の一団率いてるあいつ、見覚えありますね。目立たないやつですが」
「そうか」
若手の部下から受け取った暗視スコープを片手で装着しつつ、鉾良はうなずく。
「しかし、今日か。むしろ遅かったくらいだ。なんの準備をしていたのやら」
「あれじゃないすか、この前のやつをどっかから雇った狙撃手だと思い込んでて、契約切れた頃に反撃って魂胆じゃないすか」
陣区がべらべら言って、月始めの日付を示す壁掛けカレンダーを指さす。
「ああ、ありえる」
***
びびって突入を渋った鉄砲玉二人の背中を、「使えねぇ」と容赦なく蹴り飛ばす。地に伏してうめく貧弱な二人から視線を外し、眼前の屋敷を睨んだ男は苛立たしげに別の部下に怒鳴った。
「ホコラを引きずり出してこいっつってんだよ! もう全員死んでんじゃねーのか?! あ?!」
いつにもまして気の立っている男に、部下たちはどうしたものかとこっそり目配せを交わしあう。
先ほど別の癇癪で男にぶん殴られ鼻血を出した部下が、血の付いたシャツのまま男に装填済みの銃を渡す。
「その狙撃手っつーやつも出てこねぇし。もう仕留めちまったんじゃねーの」
クチャクチャと音を立ててガムを噛みながら、男は周囲を包む暗闇を見回す。
そのとき、ふっと。
僅かに灯っていた室内の明かりが一斉に消える。
「おい! 撃て!!」
男が慌てて指示を飛ばす前、そこらじゅうから当てずっぽうに撃たれた弾丸が、屋敷を囲う生垣に当たって次々とくぐもった音を出す。
そして、ぱっと屋外で灯る、横一列の明かりが――彼らの姿を漆黒の中に浮かび上がらせた。
「は?」
「なんだよこの明かりは?!」
サーチライトに照らし出される脱獄囚のような滑稽な姿。そのどれもが驚きに満ちた表情を浮かべている。
それを見つつ。
「へい、らっしゃい」
ぺろりと舌を出した冬瓜が、二階にあるベランダの柵の間から銃筒を突き出す。
突然の豪雨のような――猛烈な発砲音。
弾丸の一つがマンホールのへりに当たり、耳障りな金属音を鳴らす。
屋敷の一階と二階、両方から一斉に狙い撃ちされて、屋外の男たちは慌てて車両の影へと逃げ込む。反応の遅れた数十人が撃たれ、地面に崩れ落ちる。
「なかなか当たるようになったんじゃねーの?」
『ちーせんせ』との何回かの射撃特訓を経た成果に、冬瓜が満足げな顔をした刹那。
どおぉん、と地面を揺るがす派手な爆音が轟いた。
「うっわ!」
ベランダの手すりに身を乗り出すようにしていた冬瓜が、突然の熱風に声を上げて驚きのけぞる。迷彩柄のゴム靴が、ぎゅっ、と不愉快な音を立てて床のタイルを踏みしめる。
生垣の向こう、一台の軽車両から火柱のように赤い炎が上がり、黒ずんだ煙がもうもうと闇空に溶けてゆくのを、鉾の青年たちは唖然と眺めた。
「……な、なんだ、爆弾?」と一階の陣区。
「暴発でもしたのか?」とその隣の宇村。
『ちがうよー、ちーが撃った!』
義維が通話状態のままにしていた端末から、けらけらと千風の無邪気な笑い声が届く。
『びっくりした? びっくりした?』
楽しげに聞いてくる千風に、青年たちは顔を見合わせ、ゆっくり息を吐いてから。
「したわ! 超びっくりだわ!」
「もー、先に言っといてよ、ちー!」
生垣の向こうで、慌てふためいた様子で駆け出した数人が持ち場を離れ、バイクに飛び乗り去っていくのに、年上らしき何人かが怒鳴るのが見える。
『ぎぃちゃん、逃げるのも撃つ?』と千風。
「前線崩すの最優先でな」と義維。
『ん』
電話の向こうから断続的な発砲音。二人のやりとりを耳にした陣区が、
「冷静だなー」
額にシワを寄せて呟く。
そこへ。
「う――らぁっ!!」
二階のベランダから冬瓜の大声がして、何かが飛んでゆく風切り音。直後、がぁん!と派手な打撃音が生垣の向こうで鳴る。かすかなうめき声と転倒する音。ざわめきが大きくなる。
「……なんで届くんです」と森洲。
「おかしいだろ」と別の先輩。
「野球少年だったからなぁ!」と冬瓜。
バカみたいなやりとりが頭上から聞こえてくるのに、肩を撃ち抜かれた一人を銃撃の届かない部屋の奥に誘導しながら、宇村が鼻から息を逃がした。
***
蜘蛛の子を散らすように去っていく男たちの行方を別動組に追わせたあと、鉾良がくるりと室内を振り向いて。
「さて。久我?」
「いやー役に立つもんすねー」
能天気な声に視線が集まる。いつの間にかどこかから戻ってきていた久我が、壁に寄りかかりへらっと笑う。
「ほら、リーダーが全部外せっつったイルミネーションっすよ」
「……お前……」
エンライの屋敷にそんなもの、威厳の欠片もないと先日鉾良がこっぴどく叱って――
「全部外せと言ったろうが!」
「すんません、でも」
「結果オーライってことで! ね?」
あわあわと冬瓜がフォローに入り、
「この状況下で緊張感ないなぁ」
その傍らで森洲が小さくぼやく。
鉾良がハッとなる。
「てことは、あの時、ちーが急にそこらじゅうにティッシュ撒き散らしだしたのも、それごまかすためのお前らの陽動だな?!」
その時居合わせていなかった格子と宇村がその場面を想像し、黙って微妙な顔をする。
「あれはー、ちーが楽しそうって言うからそっと背中を押しただけで」と陣区。
「教えたのはお前らだろ?」と鉾良。
三馬鹿は黙って顔を見合わせ、
「……銃持ってるリーダーの前で肯定したくねぇなぁ」
と久我が言いつつ、そっと両手を挙げた。
***
塩ビの配管を伝った水滴が、ピチャンとコンクリートの地面に落ちる。
「……連絡は」
「ありません」
男の短い問いに、壁際に控える部下がよどみなく答える。
先ほどまで定刻ごとに送られてきていた通信は、作戦開始直後から不自然に途切れた。
その意味を推し量りかね、豪華な椅子に腰かけたままじっと押し黙る男の、隠しきれない焦燥感が部屋の空気をじとりと淀ませる。
と、それを切り裂くような甲高い着信音。通話状態になるなり、若い男のわめき声が、静かな部屋全体に響く。
『おい、聞いてないすよ御大! あ、あんな……なんだよ数十人の小規模エンライ一個って話じゃ』
スピーカーの向こうから轟く爆音で音が割れる。通話はそこで途切れた。
数秒の静寂ののち、
「まさか本当に」
「ほうっておけ、ほかに議論すべきことがいくらでもあるだろう」
ざわめく男たちの間、中央に座る男がおもむろに口を開く。
「何割かが寝返ったわけは、ないな?」
「いえ、それは断じて――」
部下が慌てて言いかけたところに、タイミング良く鳴り響く端末。
『言ったはずだぜ、御大』
応答する前に聞こえてきた堂々とした声音に、
「……鉾」
男はゆっくりと目を細め、押し殺したように呟く。
「どこに取り入った?」
『さぁね』
「長くは続かないぞ、使い捨てにされるのがおちだ」
『なかなか誠実な仕事ぶりの奴でね。――いいぞ。仕留めろ』
鉾良が言うなり、
ぱん。
響いた銃声はたったの一発。
小さくガラスの割れる音。
息を呑む暇すらなく、男の身体が真横に傾き、どさりと崩れ落ちた。男の右手から離れた端末が、乾いた音を立ててコンクリートの床を滑る。
「お、御大……」
うろたえる側近たちの間を、一人の男が足早に抜けた。じわじわと広がる血溜まりのそばからひょいと端末を拾い上げた。
男は鉾良に自らの名を名乗った。
『ああ。良い返事を期待してるよ、次の御大』
驚いた様子もなく、先ほどまでの会話の続きのように鉾良は平然と答えて――あっさりと、通話は切れた。
「……お前らの覚悟を、少々侮っていたようだ」
まさか本当に撃つとは、と呟いて端末を下ろした男は、すぐ目の前にある真っ赤な亡骸を見下ろす。
***
割れたカクテルグラスの破片が足元できらめく。誰かの靴が踏み潰して、ぱきりと音を立てる。
マスクをつけ長めの手袋を装着して、青年たちが屋敷の片付けに追われていた。瓦礫の山から使えそうなものだけを掘り起こす。
「あーあー、好き勝手やりやがって……」
おこぼれを狙う浮浪者が今か今かと見てくるのを威嚇するように睨みつけながら、建材の破片やら空薬莢やら割れた食器やら何やらを掻き集める。
汚れきった床を靴先で撫でつつ、鉾良がぼやく。
「それとも、もう土足にしちまうか」
「それもありっすよね」と冬瓜がうなずく。
「リーダー、行きますか」
格子が奥の部屋から持ってきたアタッシュケースを見て、ああ、と歩み寄る鉾良。そこらじゅうを駆け回っていた千風が両手を広げてたたっと寄っていって、
「りーだー、どけんやさん?」
「ああ、よく知ってるな」
「ちーもいく!」
後ろから歩み寄ってきた義維が、一つ頷いてひょいと肩車をした。
***
奥の席で金勘定をしていたツナギ姿の男が、来客の音を聞きつけて顔を上げる。
「鉾の」
鉾良は馴染みの土建屋の棟梁に片手を挙げる。
「ああ」と男は納得いったようにうなずく。「昨晩の騒ぎは」
「ああ。急ぎ修繕を頼みたい。結構な損壊でね」
「あんだけの騒ぎじゃなぁ。三番街で呑んでた酔っ払いども、真っ青になってここらまで逃げてきたぜ」
壁にかけられていた巨大な鉋をじいっと見上げていた千風が、急にじたばたと足を揺らし義維を呼ぶ。
「ちー、暴れるな」
「いーの!」
義維が千風の両足を掴んでいた手を外すと、千風は義維の頭にひっついたまま周りを半周分ぐるりと回って、鉾良と棟梁が向かい合っているカウンターにぴょんと飛び乗り。
「あのね、ほしとね、すなとね!」
笑顔の少女に、土建屋業界ではよくよく知られた恐れ多い名をいきなり出されて、棟梁はぎょっとなる。
「ま、まさか、お前ら、星の傘下に……?」
「んーん、でもね、おともだち!」
ひっと声を上げて店の奥に飛び込んでゆく背を見送り、
「……ちー、何だ今の」と鉾良。
「あのね、みゃじのおうち、ゆーめーなかいたいやさん! でね、ほしはねー、大きいどけんやさん!」
「なるほど」と義維。
「本業までは知らなかったですね」と格子。
「ナーイス、ちー」と鉾良。
「えへん!」
千風はカウンターの上でぴょんと跳びはねて、鉾良とハイタッチ。
数秒後、出てきた棟梁は、破格の割引率を赤字で書き加えた見積書を鉾良に差し出した。




