利用価値
ハーピーの息が荒い。浅く、早く、喉の奥で引っかかるような呼吸が続いている。戦闘は終わっているはずなのに、その余韻だけがここに残り続けているようだった。
血の匂いはもう薄れているが、あのときの光景は消えない。守ったはずなのに、守り切れていない。手を伸ばしても、間に合わなかった現実がそこにある。俺はただ、動けずにその様子を見ていた。
「なあ、やっぱりお前は変わってるよな」
少し離れた場所で、剣士が座りながら言う。こいつはさっきまで傷を負っていたはずなのに、もう普通に声を出している。
「普通ならよ、あんな戦い方したらもっと荒れてるもんだろ。なのにお前は違う。終わったあともこうしてじっとしてる」
沈黙が続く。俺は何も返さない。
「まあいい。聞いてるだけでいいから聞け」
一呼吸置く。
「俺は傭兵だ。知ってるだろうが、戦って金をもらう。それだけの仕事だ」
また少し間が空く。
「で、その俺が言う。お前は使える」
視線を感じる。試すような目。
「いや、違うな。強いとかそういう話じゃねぇ。お前は珍しい。魔物なのに、守ってる」
言葉が続く。
「普通は逆だ。奪う。殺す。それが当たり前だ。だが、お前は違う。だから価値がある」
ハーピーの息がわずかに乱れる。俺はそちらを見る。
「見て分かるだろ。あれが現実だ。どれだけ強くなっても、守りきれねぇ時は来る」
拳がわずかに動く。
「一人で全部抱えるな。無理だ」
黙って聞いていると、剣士は少しだけ笑う。
「だから提案だ。俺と組め」
静かな声。
「傭兵として外に出ろ。稼げ。力をつけろ。情報も集めろ。その全部をここに持ち帰ればいい」
間。
「悪い話じゃねぇだろ」
沈黙。
風の音だけが流れる。
「まあ、すぐに答えなくてもいいがな」
剣士はそう言ってから、少しだけ声を低くする。
「ただな、一つ言っとく」
空気が変わる。
「お前も人間の脅威である事には変わりねぇ」
その言葉は、静かだが重い。
「見つかればどうなるか分かるだろ。討伐対象だ」
間。
「お前一人ならまだいい。この集落ごと消される可能性だってある」
血が一気に熱を帯びる。
「黙れ」
気づけば口から出ていた。
剣士が止まる。
「……あ?」
一瞬の沈黙のあと、目を見開く。
「なんだよ、人の言葉話せるんじゃねぇかよ」
驚きと、どこか楽しそうな声。
「へぇ、こりゃまた面白ぇな」
立ち上がる気配。
「じゃあ話が早い。さっきの続きだ」
少し近づいてくる。
「討伐対象にお前、いや。この集落が選ばれない保証はないんだぞ?」
言葉を区切る。
「もしその時、お前ら守り切れるのか?」
拳に力が入る。
ハーピーの呼吸が耳に残る。
返す言葉が出ない。
剣士は少しだけ息を吐く。
「脅してるつもりはねぇ。事実を言ってるだけだ」
短く区切る。
「外の連中はな、理由なんかどうでもいい。脅威かどうか、それだけで動く」
間。
「だから、選べ」
低い声。
「何も知らずにここで守り続けるか」
少し強く。
「外に出て、備えるか」
沈黙。
時間が流れる。
剣士は続ける。
「俺と来れば、少なくとも選択肢は増える。力も、情報も、全部だ」
少しだけ柔らかくなる。
「全部ここに持ち帰れ。それでいい」
間。
「別に忠誠なんかいらねぇ。契約でいい。利害一致ってやつだ」
ハーピーの呼吸が少し落ち着く。
その音が、胸の奥に刺さる。
「……」
声にならない。
だが、言葉はもう飲み込めない。
「守る」
小さく、だが確かに出る。
剣士が少しだけ笑う。
「だろうな」
短く返す。
「だったら、そのための手段を増やせ」
強く言い切る。
「守るってのはな、願うことじゃねぇ。準備することだ」
その言葉が、深く刺さる。
沈黙が続く。
だが、さっきまでとは違う。
何かが決まりかけている。
剣士はそれ以上何も言わない。
ただ、待っている。
俺はハーピーを見る。
その息はまだ荒い。
守りきれなかった現実がそこにある。
拳を握る。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
答えは、もう決まっていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
最初は五人だった。金もなければ後ろ盾もない、貧民街で生まれた連中が寄せ集まっただけの集団で、アルアインとドンナー、ガルド、ミレイア、ザグ、持っているのは名前だけ。全てに飢えて、全てを欲していた。
「今日どうする」
「なんだっていい。何でもやる」
そんなやり取りから一日が始まるのが当たり前で、最初に受けた仕事なんて呼べるものは盗賊崩れの連中の掃除だった。
「報酬は前払いの半分だ、残りは終わってから」
「足りねぇな」
「文句があるなら他を当たれ」
「やるしかねぇだろ」
そう言って俺たちは剣を握り、数で勝る相手に突っ込んでいった。相手は余裕を持って笑っていたが、それも最初だけだった。
「前に出ろ、数に呑まれるな」
「分かってる」
叫びながら踏み込み、刃を受けて押し返し、噛みつくように間合いを詰める。痛みも恐怖も後回しだった。終わった頃には全員が血まみれで立っているのが不思議なくらいで、袋に入った報酬を見てドンナーが笑った。
「悪くねぇな、これ」
「傭兵ってやつか」
「名前なんてどうでもいい、食えるならそれでいい」
あの頃はそれで十分だった。戦って、戦って、戦って、生き残る。それだけを繰り返しているうちに、いつの間にか俺たちは色々なものを積み上げていくようになっていた。
どんな依頼でも受けた。山賊でも魔物でも、時には正規兵でも関係なかった。金さえ出るなら喰らい付いた。その代償は安くなかった。
「目、潰れてるぞ」
「見りゃ分かる」
「右手も震えてる」
「だからどうした」
「利き手変えろ」
「簡単に言うな」
「死ぬよりましだろ」
笑いながら包帯を巻かれた記憶が残っている。それでもやめなかった。五人でいる限り、どこまでも行ける気がしていたからだ。
やがて依頼の質が変わり、金が増え、装備が整い、仲間が増えた。気づけば俺たちは傭兵団と呼ばれるようになっていた。団長と呼ばれるようになったドンナーは、昔と変わらず笑っていたが、その目だけは違っていた。
「せっかくだ、もっとでかい事をやろう」
去年の暮れ、小国同士の小競り合いの依頼の最中だった。
「でかい事ってなんだよ」
「分かるだろ、もう金も名誉も力もある」
「それで?」
「次に欲しいのは何だ」
ドンナーは意味深げに国城に視線をやった。
「……国か」
「持ってないものを取りに行く」
狂っていると思ったが、同時に胸が熱くなったのも事実だった。満たされているはずなのに足りない何かに、俺たちは飢えていた。ドンナーはそれに一番早く気づいていた。
だから動いた。俺たちは従った。久しぶりに血が沸く感覚が戻ってきた。
「前線押し上げろ」
「押し切るぞ」
「城門が見えたぞ」
斬って、蹴散らして、踏み越えて、あと少しだった。
「あとは、城門まで押し切れば」
その瞬間だった。違和感。音が消えた。視界の端で何かが落ちる。
振り向く。
そこにいたはずのドンナーの首がなかった。
刎ねられたそれと体が、ゆっくりと静かに崩れ落ちる。
「……は?」
誰の声かも分からなかった。次の瞬間、戦場が牙を剥いた。指揮を失った隊は崩れ、押し返され、何が起きたのか理解する前に敗走だった。
そこから世界は変わった。
五人は同じ場所にいながら、別の方向を見ていた。
「俺は続ける、ドンナーのやり方を」
ガルドはそう言った。
「もういい、静かに生きたい」
ミレイアは剣を置きかけていた。
「全部壊せばいい、それで終わりだ」
ザグは笑っていた。
俺は何も言えなかった。何も残っていなかった。
帰った。自分たちの国と呼べる場所へ。敗戦の傷を癒すように、日常へ戻った。
だが、それはもう同じものではなかった。
「次はどうする」
「知らねぇ」
「依頼は来てる」
「好きにしろ」
会話は噛み合わず、動きも揃わない。ドンナーがいた頃は、言葉一つでまとまっていた。それがなくなった途端、俺たちはただの集まりになった。
船首を失った船のように、行き場をなくして漂い続けるだけの集団。
俺はその中で考えていた。何が足りなかったのか、何を求めていたのか、そしてどうすればいいのか。
答えは出なかった。
ただ一つ分かったのは、このままでは終わるということだった。
だから外に出た。何かを探すために。
そして見つけた。
あの森で、あの存在を。
守るために牙を持つ、あの化け物を。
あれなら、もしかしたらと思った。
俺たちに足りなかったものを、あいつは持っているのかもしれないと。
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