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こぼれた想い

私たちは、三年生に進級した。

 だけど、なにも変わらなかった。


 クラスも、席も、放課後の過ごし方も。

 二年生の時と同じように、私は今日も先生のクラスに向かっていた。


 ――変わらない。


 それが、少しだけ嬉しかった。

 きっと、このままなら大丈夫だと思っていた。

 あの日みたいに、変に意識することもなくて。

 前みたいに、ただ普通に話せる気がしていた。


 ……そう、思っていたのに。

 

 春になって、学年行事で山の公園に行くことになった。

 桜はちょうど満開で、風が吹くたびに花びらが舞っていた。

 自由時間になって、みんなそれぞれ好きなように過ごし始めた。

 周りはどこか浮ついた空気で、みんな写真を撮ったり、出店で何か頼んで食べたりしていた。


 私は、友達が出店で食べ物を頼んでいる間、少しだけ人の少ないほうに歩いていた。

 そのときだった。


 「え!?先生じゃーん!」


 明るい声が響いた。

 思わず、そっちを見る。


 そこには、見たことのない女子が居た。

 制服じゃない。金髪でいわゆる”ギャル”っていう感じで、距離感も近かった。

 きっと、卒業生だ。

 

 卒業生は、先生の腕を軽く叩いたり、笑いながら話していた。

 先生も、いつもみたいに普通に笑っていた。


 ――ああ、そういう感じなんだ。


 胸の奥が、少しだけざわついた。

 別に、何かされたわけじゃないのに。

 ただ、話しているだけなのに。

 それなのに。


 視線を逸らす。

 見ていたくない、と思った。

 

 ――なんで、こんなことで。


 自分でも分からないまま、少しだけ早足でその場を離れた。


 しばらく歩いて、人の少ない場所まで来てから、私は足を止めた。

 

 さっきの光景が、頭から離れない。


 ――別に、普通のことなのに。


 先生が、卒業生と話しているだけ。

 それだけのことなのに。


 どうして、あんな風に見たくないと思ったんだろう。

 小さく息を吐く。


 ――ほんと、馬鹿みたい。


 自分に言い聞かせるみたいに、そう思った。

 

 少しだけ冷たい風が吹く。

 舞い上がった桜の花びらが、ゆっくりと地面に落ちていく。

 その景色を、ぼんやりと見つめていた。


 ――帰ろうかな。


 自分の荷物は学校にあるのに、そんなことを考えてしまった。


 ここに居ても、なんだか落ち着かない。

 いつもの自分じゃいられない気がした。

 

 でも。

 足は、動かなかった。

 

 そのときだった。


 「……なにしてる。」


 聞き慣れた声がして、顔を上げる。

 

 先生だった。


 さっきとは違って、ひとりで立っている。

 

 「あ……別に。」


 うまく、言葉が出てこない。

 さっきのことを思い出してしまって、少しだけ目を逸らした。

 

 先生は、特に気にした様子もなく、いつも通りの調子で隣に立つ。


 それだけのはずなのに。


 さっきまでのざわつきが、少しだけ落ち着いていく気がした。


 ふと、先生の方を見る。

 

 そのとき。

 

 頭の上に、ひとひらの桜の花びらが乗っているのが見えた。

 

 ――あ。


 思った瞬間。


 「先生、動かないで。」


 気づけば、そう言っていた。


 「ん?」


 先生は、少し首を傾げる。

 

 私は、そのまま一歩近づいた。

 

 距離が、思ったより近い。

 

 少しだけ、息が詰まる。

 

 それでも。

 

 手を伸ばして、そっと花びらを取った。

 

 指先に、かすかに触れる感覚。

 

 ほんの一瞬だったのに、やけに長く感じた。


「……取れた。」


 小さく呟く。

 そのまま、ゆっくり手を引く。

 そのとき。

 

 「え、なにしてんの?」

 

 後ろから声がして、はっと振り返る。

 数人の友達が、こっちを見ていた。

 

 「なにそれ、距離近くない?」


 冗談っぽく、笑いながら言われる。

 その言葉に、一瞬で現実に引き戻された。


 ――あ、やばい。


 さっきまでの空気が、全部変わった気がした。

 やばい、なんて言おう。

 私は、少し背伸びしたテンションで言う。


 「いや、花びらついてたから、取ってあげただけだよ!」


 慌ててそう言う。

 自分でも、言い訳みたいだと思った。


 「へ~、優しいね。」


 誰かが、軽く笑う。

 その笑い声が、やけに遠く感じた。


 さっきまで、ただ”取っただけ”だったはずなのに。

 急に、その行動に意味がついたみたいで。

 胸の奥が、じわっと熱くなる。


 ――違うのに。


 本当に、ただ取っただけなのに。

 なのに。

 どうして、こんなに動揺してるんだろう。

 

 友達に、バレたら終わる。

 そんな考えは、前からあった。

 友達から好きな人が居るか聞かれたときは、「いないよ~」って答えてたのに。

 この恋は、誰にもバレてはいけない恋だったのに。

 知っていいのは、夏華だけだったのに。


 これで、バレてしまったらどうしよう。

 いや、もうバレていたのかもしれない。

 

 ――もうわからない。


 さっきまで、うまく隠せていたはずなのに。

 こんな些細なことで。

 全部、こぼれてしまいそうになる。


 ――ああ、だめだ。


 このままだと。

 きっと、いつか。

 

 隣に立つ先生は、特に気にした様子もなく、


「ありがとうな。」


 それだけ、いつも通りに言った。

 その一言が、余計に苦しかった。

 私だけが、こんなに意識してるみたいで。


 先生は、もう興味を失ったみたいに、前を向いて歩いていった。


 ほんの一瞬、近づいただけだったのに。

 それだけで。


 全部、変わってしまいそうになった。


 ――こぼさないようにしてたのに。


 私は、手のひらをぎゅっと握りしめた。

 さっき触れた感覚が、まだ残っている気がして。


 それが、消えてほしくないと思ってしまう自分が、少しだけ怖かった。

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