曖昧な特別
ホワイトデーが近づくにつれて、教室の空気は少しだけ変わっていた。
バレンタインのときとは違って、どこか落ち着いているけれど、それでも「お返しもらえた?」という声があちこちから聞こえてくる。
先生も、きっといろんな人に返しているんだろうな、と思った。
あの日、あんなにたくさん受け取っていたのだから。
――私のも、その中のひとつ。
そう思うようにしていた。
放課後、私はいつも通りクラスに向かった。
あくまでも、夏華と話すために。
クラスの中に入ると、先生が皆になにかあげている。
私は、ホワイトデーだと思った。
先生からなにかを貰った友達に声をかけられる。
「先生待ち?」
「うん。それ、ホワイトデー?」
「そうみたい。」
「え?どういうの?」
「なんか、3つの小さいお菓子の詰め合わせだって。」
「なるほどね~、先生っぽい。」
「なんか呼び出されて、貰ったの。」
――先生も、ホワイトデー返すんだ。私のも、ああいうのなんだろうな。
そう、思った。
別に期待をしているわけではない。
私は単純にあげたかったからあげたわけで、別に見返りが欲しいわけじゃない。
だけど、少しだけ期待をしてしまっている自分が居る。
自分自身に、嫌悪感を抱いた。
私は少しだけその光景を眺めていた。
楽しそうに笑いながら受け取る生徒と、いつも通りの調子で返す先生。
特別な空気なんて、どこにもなくて。
ただの、日常の延長みたいだった。
――やっぱり、そうだよね。
胸の奥で、小さく納得する。
私のも、きっとああやって渡されるだけ。
他の人と同じように。
それで、いいはずなのに。
先生がクラスのみんなに渡し終えると、私の方に向かってくる。
――もしかして。
私は、勇気を振り絞って言った。
「ホワイトデー……」
先生は、いつも通りのテンションで手招きしながら言った。
「……来い。」
その一言に、胸が大きく踊る。
どうして、ここじゃないんだろう。
どうして、わざわざ。
何も言えないまま、私は先生の後をついていった。
賑やかな生徒たちの声が遠ざかる。
向かった先は、職員室の前だった。
さっきまでの賑やかな教室とは違って、静かだった。
廊下に響く足音だけがやけに大きく感じた。
「ちょっと待ってろ。」
そう言って、先生が職員室に入る。
私の心臓の音が聞こえる。
皆と一緒のものなはずなのに、期待をしてしまう。
先生が職員室から出てきて、小さな紙袋を無言で渡す。
「……ありがとうございます。」
私は、そう言って受け取った。
袋の中身が、気にならないわけじゃなかった。
だけど、その場で開けることが出来なかった。
ここで開けてしまったら、何かを期待しているみたいで、嫌だった。
先生は、少し笑いながら紙を渡してきた。
「これ、余ったから二枚あげる。」
貰ったのは、学年主任の顔がプリントされている紙だった。
私は、思わず笑ってしまった。
「なんですか、これ?」
「毎年、女性教員にお返しをするんだけど、その時に渡してるプリント。」
二人で笑いあった。
この時間がずっと続けばいいのに。と願ってしまった。
私は、改めて言った。
「ありがとうございます。」
「……じゃあな。」
先生は、小さく頷いてそれだけ言って職員室に戻った。
ドアの閉まる音が、やけに大きく響いた。
廊下に、ひとりになる。
手の中の紙袋が、やけに軽くて。
でも、なぜか重く感じた。
その中に、自分の気持ちまで詰められているみたいで。
――みんなと同じ、はずなのに。
私は、職員室の隣にある半円の休憩スペースに座った。
あっさりしている。
さっきまでの教室と、何も変わらないはずなのに。
それでも。
――どうして、ここで渡したんだろう。
皆と同じでいいはずなのに。
わざわざ、こんな場所で。
こんな風に。
――まるで、他の生徒に見られたくないみたいじゃん。
その疑問だけが、胸の奥に残った。
私は少し気持ちを落ち着かせて、ゆっくりと教室に戻った。
席に座ってから、周りを見渡す。
楽しそうに話している人たち。
お菓子を見せ合って笑っている人たち。
その中で、私はそっと紙袋を開けた。
中には、手のひらに収まるくらいの、小さな箱だった。
上の部分はリボンの形に切り抜かれていて、いかにも贈り物らしい見た目をしていた。
開けてみると、中に入っていたのは3種類のミルフィーユだった。
私は、しばらくそれを見つめていた。
――どうして、これなんだろう。
ただのお菓子のはずなのに。
どうしても、意味を探してしまう自分がいた。
……前に、調べたことがあった。
お菓子には、意味があるって。
クッキーは「友達」
チョコは「本命」
じゃあ、これは。
スマホを取り出す。
検索欄に「ミルフィーユ 意味」と打ち込む。
表示された文字を見た瞬間。
一瞬、息が止まった。
――「幸せが積み重なる」
――「愛が深まっていく」
「……なに、それ。」
小さく呟く。
そんなわけ、ない。
先生が、そんな意味を考えて選ぶはずない。
もし、先生が意味を知っていたら、このお菓子を選ぶはずがない。
きっと、ただのお菓子だ。
それなのに。
どうしても、その言葉が頭から離れなかった。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
――そんなはず、ないのに。
その言葉だけが、ずっと胸の奥に残っていた。
嬉しいのか。
苦しいのか。
自分でも、分からなかった。




