第26話 階段の向こうに待つもの
「血筋だな……」
「……ですな。成長するにつれて、どんどんお母上に似て、お美しくなられました」
大きさは、陸上競技場くらいあるだろうか。
普段は騎士たちが鍛錬する場として使われているこの闘技場も、月末になると、その名の通り武を競い合う本来の姿を見せる。
特に有名なのは春に催される皇族を招いた御前試合である。
我が国の騎士のみならず、腕自慢が国内外から集い、開催期間中の一週間は帝都全体がまるでお祭りのように賑わう。
闘技場は観覧席がぐるりと取り囲み、出入り口は東西に二つある。
噂に聞く皇族専用の通路を除けば、曲がり角が必要以上に設けられており、階段を上がったり下りたりしながら目的地へ向かう、複雑な構造になっている。
「ああ……。だが、悪いところまで似なくてもいいと思わないか?」
「……ですな。昔の苦労を……。ああ、思い出したくもありません」
その理由は言うまでもない。
闘技場であるがゆえに、武器の所持が許された特例の場を皇帝や皇族から守るための工夫である。
そのため、皇帝や皇族が列席する貴賓席は、闘技場に最も近い場所に迫り出しているにもかかわらず、一般通路を進む際には最も奥に位置する構造になっている。
とりわけ厄介なのが、階段の踏み幅が平均的な歩幅よりわずかに広く設計されている点だ。
落ち着いて歩けば問題はない。
だが、私のように気を逸らして駆けると、走るステップと合わずに踏み外しかけたり、躓きそうになり、速度が自然と落ちるだけでなく、体力も無駄に消耗してしまう。
「冒険者をやっていたと聞いたときは、たちの悪い冗談かと思ったぞ」
「……ですな。本当にそっくりです」
おかげで、かつての貧弱さが嘘のような私ですら、すっかり息切れしてしまった。
目的地である貴賓席の声がようやく聞こえてきたと思ったのも束の間、階段を上った先には下りの階段が待っており、声は再び遠のいていく。
顎を息苦しさで上げ、今はここにいない父に向かって心の中で悪態をつく。『誰のせいでこんな苦労を!』と。
結局、父は私が騎士になりたいという私の願いの返事を三日間も待たせた挙げ句、決断を他者に丸投げしてしまったのだ。
「いや、今はそんな事よりもだ。どうする?」
「……ですな。まさか、あれほど鮮やかに勝つとは思いもしませんでした」
それが、私にとってのもう一人のお祖父様だ。
今は亡き母の父『リカルド・デ・バカルディ・グンダー』は、今年でちょうど六十歳。
私が生まれる前に当代を譲ったグンダー侯爵家のご隠居様だが、軍人としては現役である。
皇帝陛下からの信任も厚く、軍事において皇帝の代理人として中央軍総司令官代理を務めている。
つまり、全ての騎士の頂点に立つお祖父様が認めるなら、父も認めざるを得ないという理屈である。
なるほど、上手い作戦と言える。
厳格さで知られるお祖父様だけに、コネの利用など許さず、怒号を轟かせるのは間違いないだろう。
ただし、それは私以外だったらの話。
私にとって、お祖父様はベリーイージーな相手だ。
なぜなら、父が甘々の親バカなら、お祖父様は超甘々の孫バカだからである。
その甘さたるや、お汁粉にメープルシロップと蜂蜜を混ぜたくらい、もうとんでもなく甘い。
私が唯一の女孫であるせいか、これまで何かをねだって拒否されたことは一度もない。
私が所有するドレスやアクセサリーの大半は、私が頼まなくてもお祖父様がプレゼントしてくれたものばかりだ。
ところが、ところがである。
私がお祖父様の屋敷へ喜び勇んで向かったところ、いつもなら笑顔で迎えてくれるお祖父様の姿はなかった。
玄関前で、私の到着を待ちきれずに立っている。それ自体は、いつもの光景と言えた。
だがその日は、険しい表情で腕を組み、仁王立ちの姿勢。
挨拶を交わすよりも先に、半ば怒鳴るような声でこう告げた。
『私が選んだ相手と戦い、勝ってみせよ! できたならば、騎士科への入学を許そう!』
要するに、父とお祖父様は共謀者だ。
私が訪ねる以前に、父が騎士科入学の件をお祖父様へ相談していたに違いない。
そして、私が連れてこられたのがこの闘技場。
先ほど戦ったあの女性騎士との勝利こそが、その『条件』だったというわけだ。
「一体、誰なんだ? メアリスに剣を教えた奴は……。ほどほどというものがあるだろうに」
「……ですな。メアリス様が才能を受け継いでおられたのは、実に喜ばしいことですが……。」
正直、最初は戸惑った。
快く頷いてくれると思っていたし、同じ軍人の道を歩もうとする私を、きっと応援してくれるはずだと信じていたからだ。
だが、そうせざるを得なかったお祖父様の事情も、今なら分かる。
お祖父様は中央軍総司令官代理。
その影響力は、私が想像している以上に大きい。
もし私の騎士科入学をあっさり許してしまえば、コネ入学だと捉える者が出てくるかもしれない。
それでは、下を律する立場の者として示しがつかないのだ。
「ああっ……。殿下は受け入れてくれるだろうか」
「……ですな。ベンヘルム殿のような聖人はなかなか……。」
それゆえに、お祖父様なりの大義名分だったのだろう。
その証拠に、見た目や雰囲気から察するに、あの女性騎士は私より年上で、ヒルダより若い。
おそらく、現役の騎士科の生徒だ。
確かに腕は一流だった。
しかし、その強さは『試合での強さ』にすぎない。
決定打を与えたらそれで終わり、という前提で戦う彼女の剣筋はあまりに整いすぎていて、実戦の荒々しさがなかった。
最初こそ、突きを主体としたレイピアの攻勢に遅れを取ったが、慣れてしまえば問題はなかった。
そもそも、対戦相手に女性を選んでいる時点でおかしい。
悔しいけれど、戦いの場に性差は確かに存在する。
お祖父様が本気で私を騎士科に入学させたくなかったのなら、実戦経験を積んだ男性騎士を相手に選んでいたはずだ。
「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。」
もはや、駆け出した勢いは完全に失われていた。
肩で息をしながら、見た目にはほとんど歩いているような状態だ。
両手を膝について階段を上り、いくつ目になるかもわからない踊り場に右足を踏み出す。
顎をつたう汗を右手の甲でぬぐった、そのとき。
「メアリス、よくやった! すごいぞ!」
お祖父様の喜びに弾む声が耳に届いた。
階段に貼りついていた視線を上げると、そこが目的地。お祖父様が満面の笑みを浮かべ、両手を大きく広げながら私を迎えていた。
「お祖父様!」
その姿を目にした瞬間、疲れが一瞬で吹き飛んだ。
心のおもむくままに、お祖父様のたくましい胸へと私は駆け出した。




