ACT06 廃屋の主
何千年も前に、シドニア大陸で隆盛を誇った太古の文明が滅びた時、炎の嵐が七日七晩の間吹き荒れ、全てを焼き尽くしたという。
だが、生き残ったわずかばかりの人々は屈しなかった。
全ての技術を失った状態から立ち上がり、また新たな文明を築きあげたという。今はそんな時代だというのが、このシドニア大陸各地に伝わる伝承だった。
シドニア大陸には、国を持たない漂泊民と呼ばれる一団がいる。
どこの国にも所属せず、失われたはずの太古の英知を受け継ぐと言われる漂泊民の中に、天狼と呼ばれる異能者集団がいるという。
築城・土木・建築・開拓・医術・呪術等に優れ、金で雇われてあちこちの国の中に散らばって生活している。
遙か東方の天狼山脈に源を発するとして、彼らは天狼と呼称されていた。
このヴァンダール王国の王都レグノリアにも相当数の漂泊民達が住んでいる。
ヴァンダール王家と天狼の争いは根深い。
王家側の人間は漂泊民や異民族をさげすみ、逆に天狼を始めとする漂泊民や異民族は王家に不信感を抱いている。
だが、奇妙なことに王都レグノリアでは王家側と漂泊民側の棲み分けが行われ、同じ王都に住み暮らしているのにも関わらず双方が無干渉で暮らしている。
この二重構造が、王都レグノリアの真実の姿だった。
だが、天狼の異能の力を借りなければ、王都が成り立たないのも事実だった。
かつて、王家と天狼は血で血を洗う争いを繰り広げた結果、希代の霊力を持ったレオナ姫を失った。レオナ姫の捨て身の行動に屈した両者の代表が和解の誓いを立て、約定を結んだという。
いわく、王家は王国内で天狼の自治を認め、一切の手出しはしない。
一方、天狼はその代わりに、何か王都で異変が起きた時に王家に力を貸す、というものだった。
約定に基づいて天狼の力を借りる場合、王家側のつなぎ役として適任者を一名選出して天狼の合意を得る必要があるという。
その約定を継いだのが、サキだった。
サキは、ほんの二月前の騒動を思い出した。
神殿の魔除札を残す奇妙な盗賊を追ううちに、行き着いたのはグルジェフと呼ばれる、人の心に巣くう負の波動が集まった魔の存在だった。
その奇妙な事件がなければ、サキが王都の黒歴史を知り、リュード達天狼と知り合うこともなかった。
約定を受け継いだサキの天狼側の相棒として、突如サキの前に姿を現したのが、リュードという若者だった。
骨喰リュードとまで呼ばれ屈指の剣士として名を知られていたのに、その剣を捨てて方術士として辻占いで生計を立てているという変わり種だった。もしも、噂通りの剣の腕があれば、天狼だろうが何だろうがリュードなら、王侯貴族の剣術師範や剣客としてもっと裕福な暮らしが出来るはずだった。
だが、いかなる事情があったのかも知らないが、リュードは「魔物以外に剣は無用」とうそぶき、あっさりと剣を捨ててしまった。
誰もが、リュードのように簡単に職業を変えるのは、確かに難しい。
(簡単?)
サキは、とんでもない事実に思い至った。
(そもそも、魔道とか方術って、そんなに簡単に身に付くの?)
ちょっと考えても、そんな真似が簡単なはずはない。
恐らく、リュードは、並々ならない努力を積んで方術を身に付けたはずだ。だが、伝説とも称される剣術にしても、リュードはその凄さをサキに感じさせたことがない。
努力とか、鍛練を旨とするサキの前に現れたリュードは、不思議なことに一度としてその努力の痕跡を見せたことがない。
伝説のレオナ姫が使っていたという愛刀を唯一の親友とし、寝食を忘れて刀術の鍛練に明け暮れるサキと違い、国一つが買えるとまで噂される伝説の魔剣骨喰を平然と借金のカタに使うような信じられない人間だった。
布の中から顔を出した子猫が、抗議の鳴き声をあげた。早く乾かせと催促しているかのようだった。
「あっ、ごめん……もうちょっとで終わるから」
サキは、子猫を再び乾かし始めた。
「妖怪だったら、あたしに見えるわけないものね……この子、実体があるから違うわよね」
サキにとっては、亡霊も妖怪も全てオバケとしか認識できない。
雪を思わせるような純白の毛並みと、金目銀目の瞳を持ち、しかも猫又という珍しい子猫だということを割り引いても、かなり変わった子猫、というのは確かだった。
普通の猫は、水を嫌うが、この子猫は水を怖がらない。むしろ水が好きなのか、自ら水を張った木桶に飛び込んで平然と水浴びをする。
かなり賢く、しつけは一回で覚えるし、犬並みに社会性もある。
三姉妹の役割も理解し、それぞれに合わせて行動を変える。
お腹が空いた時には、セアラに催促すればいいという事は真っ先に覚えた。
食欲旺盛、体力の回復も並外れている。
回復力は、セアラが驚くほどずば抜けている。サキが助けてからほぼ二日で、ここまで回復するとは思えなかった。
二日目には、ごく普通に動き回っている。
すっかり回復したのか、子猫のやんちゃぶりが目立ち始めた。
好奇心旺盛で、部屋のあちこちを探検して嗅ぎ回ったり寝台の下にもぐり込んだりする。
セアラの後ろをスーがくっついて歩くのは、シェフィールド家のよくある光景だった。だが、そのさらに後ろに子猫がくっついて歩くようになった。
シェフィールド家が、ちょっと賑やかになった。
◆
「あっ、危ない」
セアラが驚いた声を出した。
おっかなびっくり、子猫が階段を降りようとしている。
「二階に閉じ込めとけば大丈夫、って思ったんだけどね」
子猫が、階段を一段降りては、戻ろうか行こうか逡巡している。
危なっかしい足取りだった。
それでも小半刻ばかりかかって、子猫が最後の数段ばかりまで降りてきた。
「がんばれ~!」
サキが声を掛けると、猫が再び階段を降りようと足を踏み出した。
「あっ、落ちた!」
足を踏み滑らした子猫が転がって降りてきた。
思わず、サキが子猫に駆け寄った。
「あなた、怪我ない?」
丸く転がって起き上がった子猫が、サキを見上げた。「失敗しちゃったのが何か?」と言わんばかりのケロリとした顔だった。
起き上がって、何事も無かったようにセアラの足元に近づいてきた。
「こうやって、転がったり滑ったりして育ってゆくのね」
セアラがクスッと微笑んで、子猫を抱き上げた。
「ちっちゃい頃のサキそっくりよ」
「えっ、あたし?」
「階段の中程から落っこちて、下まで転がったの覚えてない?」
「覚えてないわよぉ」
自分の幼少の出来事と比較され、サキはなんだか恥ずかしくなった。
◆
『貴様らは何者だ?』
何者かの思念が、ベリアの脳裏に囁いた。
驚いてベリアが目を開けた。だが、暗闇の中に浮かぶのは焚き火の小さな炎だけだった。
森の中で見つけた廃屋の中だった。
『神域を穢す者共よ、ここは聖なる神域ぞ!』
思念の声が、ベリアの脳裏で響いた。
(誰だ?)
ベリアが身体を起こそうとしたが、奇妙なことに身体はびくりとも動かない。
『誰でも良かろう』
謎の思念の声が鞭を打つような響きで、ベリアの心を打ち据えた。
ベリアは、次の言葉を待った。
『お前は、ベリア・ランカス』
(どうして、僕の名を)
思念の声に、笑いが混じった。
『全てを知っておる……御主が抱える悩みもな』
(……)
『このままでいて、何を得られる?』
謎の思念の言葉に、ベリアを揶揄するような響きがあった。
『御主は、次男だ……よほどの運がなければ、家を継ぐこともない。
ただの穀潰しとして暮らしてゆくだけ』
ベリアの心の内にある劣等感や焦りを、巧みに衝いてくる。
『剣の腕前は?』
まるで、ベリアの心を見透かしているようだった。
ベリアが思った瞬間、それに対する答えが思念として戻ってくる。
自問自答のように、謎の思念がベリアと対話している。
いつしか、その謎の思念との対話にベリアは引き込まれていった。
『御主は、何がしたい? 何を求める?』
謎の思念は、まるでベリアの悩みを知っているかのように次々とベリアの鬱屈した負の領域を暴き出してくる。
(王族として、世の役に立ちたい)
ベリアの呟きに、謎の思念が笑った気配があった。
実力も実績もないが、ベリアには王族としての自尊心は人並み以上にあった。ベリア自身は、周囲から賞賛されるべき特別な存在、のはずなのに、誰にもそれを理解してもらえない。全てはベリアを取り巻く環境が悪い。ベリアの力を活かせる環境さえあれば、何でも出来るはず。ベリアの心の中には、そんな不満が渦巻いている。
『もしも、その願いが叶うとしたら?』
それは、甘い囁きにも似て、ベリアの心を動かすには十分だった。
『御主を縛る封印を、解いてみたくはないか?』
(封印を解く?)
『御主の真の力は封印されている……何をやっても中途半端なのは、御主のせいでなく、その封印のせいだ。
その封印を解いてみたくはないか?』
それは、ベリアの経験したことがない神秘的な体験だった。
(どうすれば、願いは叶う?)
『我をあがめよ! さすれば願いは叶う!』
思念の声が、ベリアの脳裏で強く響く。
(せめて、その御名は?)
いつしか、ベリアは謎の思念に対して畏敬の念を覚えていた。
『我が名はカーバンクル!』
ベリアの脳裏に、カーバンクルがその姿を現した。
虚空の中に、赤黒い目玉のような幻影が浮かび上がった。深紫色を思わせる赤黒い闇を、透明度の高い赤い輝きが包んでいる。
ベリアは、その赤黒い姿を魅入られたようにぼんやりと眺めている。
(カーバンクル! 僕は何をすればいい?)
『我は霊石に封印されている。
間もなく夜が明ける。
夜が明けたら我を探せ。
そして、我を肌身離さず持ち歩け、さすれば我は御主と共に歩もうぞ!』
◆
「お願いだからぁ! ちょっとだけ、動かないでね!」
スーが、子猫に言って聞かすが、好奇心の赴くままに子猫が広い居間をあちこち動き回っている。
「わーん、これじゃ描けないわよぉ!」
スーが、紙を置いて猫を捕まえようとする。子猫は、スーに遊んでもらえると思ったのか、スーとつかず離れず追い駆けっこを始める。
やっと子猫を捕獲したスーが、椅子に腰を降ろして子猫の動きを目で追っていたサキの方に視線を移した。
「サキ姉ちゃん、しばらくの間、この子を抱っこしててね」
有無を言わさず、サキの手に子猫が置かれた。
サキは、子猫が逃げないように両手で猫を包んだ。拾ってきて数日というのに、もう一回り以上大きくなっている。拾った時には片手に乗る大きさだったが、もう両手で包まないとこぼれ落ちる大きさだった。
「こっち向いて! 違う、サキ姉ちゃんじゃなくて、チビの方!」
三姉妹の末妹のスーには、セアラとサキにはない特殊な能力があった。見た光景を記憶し、そのままの姿で描き写すという能力だった。
とはいえ、これだけちょろちょろと動き回られると、描き写すのも難しい様子だった。眠っている子猫の絵姿は何枚も描いているが、起きて活発に動き回る子猫の絵は難しそうだ。
「こんな格好でいい?」
サキが、猫の顔をスーの方に向けた。
一枚の猫の絵を描くのも大騒ぎだった。
「うん、これなら大丈夫!」
スーが、素早く消し炭で猫の姿を紙に描き始めた。
静かにするのに飽きた子猫がサキの手から逃げ出すより早く、一枚の絵が描き上がった。
「ほら、可愛く描けたでしょ?」
スーが、子猫に絵を示した。
椅子に座ったサキの手の中でこちらを見ている子猫の姿が、生き生きと紙の中にいる。
「サキ姉ちゃん、ありがとう」
「はい、じゃあこの子は釈放ね」
サキは、子猫を床の上にそっと降ろした。
◆
「うぇ!」
レビンが、小さな悲鳴をあげた。
目覚めた四人が廃屋の中で目にしたのは、廃屋に似つかわしい凶々しい代物だった。
廃屋の壁の崩れた部分から、朝日が差し込んでいる。昨夜の雨も上がり、前日とは打って変わったように青空が拡がっている。
その朝日の差し込んだ廃屋の奥に、何かがあった。
近寄ってみると、部屋の隅に何かを包んだようなボロ布があった。まるで、誰かが倒れているような姿に、ベリアは嫌な予感を覚えた。
兄のキーラに助けを求めるような目で、レビンがキーラを見た。
「兄ちゃん! これって……」
キーラが、薪に用意していた枯れ枝を手にした。
枯れ枝を伸ばし、ボロボロになった布の端を、そっと持ち上げた。
「!」
ジェムとベリアが、顔を見合わせた。
そこにあったのは、朽ち果てた灰色の長衣を身にまとった白骨の死体だった。
何年も放置されてすっかり朽ち果てた白骨死体が、砂地にうつぶせに倒れていた。こちらを向いた頭蓋骨のぽっかり空いた暗い眼窩が、恨めしそうにこっちを見ているような姿に見える。
「これって……」
四人の中で一番剛胆なはずのジェムまでが、初めて見る白骨の死体を前に逃げ腰になっている。
だが、ベリアだけが違った。ベリアは、何かに呼ばれたかのように死体に近寄った。
ベリアは、白骨死体を覆っていた長衣を、そっとめくり上げた。
「おい、ベリア……怖くないのか?」
ベリアは、ジェムの問いかけに答えず、白骨死体の脇に膝を付いた。
(そうか……昨夜の声の主は、この亡霊の呼びかけだったんだ)
ベリアは、納得した。
昨夜の夢に出てきた謎の思念は、この白骨死体の霊魂が話し掛けてきたとベリアは信じて疑わなかった。
そして、その脇には、木の杖と小さな木箱が転がっていた。木箱は、革の帯と真鍮の鋲で補強された二尺ほどの長細い箱だった。
『我は霊石に封印されている。
間もなく夜が明ける。
夜が明けたら我を探せ。
そして、我を肌身離さず持ち歩け、さすれば我は御主と共に歩もうぞ!』
ベリアの脳裏に、謎の思念の言葉が蘇ってきた。
(これを持って行け……か)
昨夜のカーバンクルと名乗った謎の思念との対話を思い出し、ベリアは杖を拾い上げた。
堅い木を削って造られたその杖には、深い紫を思わせるような暗い赤みを帯びた宝玉がはめ込まれていた。宝玉が、差し込む朝日の中で赤黒い輝きを見せた。