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ACT05 金目銀目の猫又

 セアラが、書斎から大きな博物誌の本を持ち出してきた。読みにくい古語で書かれているのが難点だが、王都レグノリアに居ながらにしてシドニア大陸各地の動植物から気候、各国の文化や風習についての概要がわかる。

 サキは、王都レグノリアに生まれ育った。王城の外の世界に興味はあるが、まだ王都の外に足を踏み出したことがない。見知らぬ異国の風物が記録されている博物誌は、サキにも興味があるものだった。だが、難解な古語の奔流に挫折してじっくりと読み込もうとしたことがない。

 サキは、勉強は嫌いだったが、シェフィールド家は神官の家柄の為、学問は普通に身近にある。お転婆のサキでさえ、最低限の学問は叩き込まれた。周囲が読み書きも計算も普通に出来るので、あまり疑問に感じたことがない。

「両目の色が違う猫は、金目銀目って言われているわね……珍しいけど、記録に残るくらいだからこの子猫が初めて、じゃないわね」

 サキは、膝の上で遊ぶ子猫をじっくりと観察してみた。

 右目が金色、左目が青色という珍しい眼を持っている猫だった。

「ごくまれだけど、こういう猫はいるのよ……病気とかじゃないから心配ないわよ」

 セアラが本を閉じた。

 サキは、その本に視線を移した。

「この本って……写本の写本って聞いたけど」

「三百年くらい前の、ランカって王国で編纂された博物誌よ。

 でも、もうそのランカって国も滅亡しちゃって、ランカが集めた貴重な文物も散逸してるけどね。かろうじて、その内容を整理した博物誌だけは写本が残ってて、こうしてその知識の一端に触れることができるのよ」

 ランカはシドニア大陸の南にある大河の三角州に栄えた王国だった。サキの生まれ育ったヴァンダール王国よりも、何千里も遠く離れた地域だった。

 かつて、シドニア大陸の中程に栄えた王国だが、飢饉と戦乱で王国が滅びて久しい。そのランカが繁栄していた頃、大陸各地の珍しい品々がランカに集められ、その膨大な知識が博物誌に収蔵されたという。

 だが、それとても、全てが真実なのか今となってはわからない。

「この本は、まぁ信頼性は高いけど……辺境の諸国の風物については、伝聞が多いから話半分に割り引かなきゃいけないけどね」

 書き記されている内容の真贋は、同じ物でも書物によって解釈は様々だった。

「この博物誌って……写本は、あちこちにあるの?」

「まさか」

 サキの素朴な疑問を、セアラが即答で否定した。

「全巻で五十巻もあるのよ……描き写すだけで、何年もかかるわ」

「そんな貴重な本が、よく家にあるわよね」

 セアラが苦笑した。

「シェフィールド家の代々の道楽よ……何代にも渡って、こういう写本を買い集めてきた結果よ。おかげで、生活は質素だけどね。

 神殿にある経典だけでもものすごい量だけど、王家の図書館以外でこれだけ蔵書があるのは珍しいかもね」

 セアラが、苦笑した。

 シェフィールド家は、代々神官の家柄だった。小さいながらも所領がある。その所領からの税収や神殿への寄進とかで裕福なはずだが、神殿の維持費とか、こういう知の蓄積に相当な出費を強いられている。

 おかげで、普段の生活は質素なものだった。

 ふとサキは、他愛のない思い付きをセアラに尋ねてみた。

「ねぇ、セアラ姉さん? もし、この本みたいに、その人の記憶が全てそのままどこかに残ってて、そのまま受け継げたとしたら便利だと思わない?」

 サキの言葉に、セアラが小首を傾げて考え込んだ。

 しばらく考えてから、静かに首を横に振った。

「太古からの全員の記憶が残ってて、それが利用できたら……人が考えなくなっちゃうから、逆に世の中が愚かになるわね」

 意外な答えが返ってきた。

 文字は、太古の英知を記録したものなのだから、言葉に出来なかった膨大な英知を直接知ることが出来ることを望むかと思ったら、セアラの答えは否定的だった。

「大きな失敗はないかも知れないけど、昔の人々が見つけられなかった新しい事も生まれない……そういう意味では、記憶だけじゃ駄目って事ね。

 無から有を生み出せることが、人の素晴らしいところだもの……そこそこ不便でも、頭を使わなきゃね」

 セアラが、日が暮れ始めた窓の外を眺めた。雨が降り出したのか、濡れた土の臭いが、窓から吹き込む微風に混じっている。

「そっか……サキが言ったのは、虚空記憶のことね」

 不意に、セアラが奇妙な言葉を呟いた。

「えっ?」

「サキが言ったように、太古からの全ての人々の知識・記憶が天上の星辰界に保存されている、と主張する魔道士もいるわね……だけど、その記憶を読み解く能力が、我々に無いだけって」

「へー……なんか難しい話になっちゃったわ」

 サキが、顔をしかめた。魔道とかの説明を聞くと、サキは眠くなってくる。

「霊視、っていうのか幻視って言うのかわかんないけど……そういう虚空の世界の奥に何かあるみたいね。

 でも、修行がそこまで行き届かないから、あたしもそこまでだけどね」

 セアラが複雑な表情になった。

「神託を受ける時、お祈りしてるとそういう幻視を見ることあるわよ」

 セアラが、サキに噛んで含めるように言った。

「でもね、その幻視が自分の内にある夢みたいなものなのか、本当の神託を霊視したのか判断はつかないわ。

 これは、こうです!って断言できるぐらい鮮明な鏡なら良いんだけどね……中途半端に見えちゃうので、始末に困るの。

 本物の霊視なのか、自分の中の幻視なのか……へたすると低級霊にたぶらかされたんじゃないかって、時々不安になるのよ。

 だから、神託を解釈して伝えるのは、とっても難しいのよ」

 サキは、神託など全く出来ない。霊力が皆無に等しいサキにとって、セアラの語る神託の詳細は未知の世界だった。

「セアラ姉さんは、そういう時どうしてるの?」

「神官長のお爺さまに、お伺いを立てるわ……自分一人の解釈でこうだって断言するのは、怖くてとてもじゃないけど出来ないわ」

 セアラが表情を引き締めた。


       ◆


 ぽつり、と雨粒がベリアの額を打った。

 雨が降り始めた。

「当たったよ……"雷の旦那"の読んだ通りだ」

 日が落ちてから、気温も下がり始めている。初秋とはいえ、森の夜は冷え込みが早い。

 確かに、毛布の一枚でもなければ凍えてしまう。

「うわっ! こいつはたまんねぇ!」

 ジェムが、悲鳴をあげて立ち上がった。

 四人に当たる雨粒が、大きく強くなってきた。

「とりあえず、雨宿りできるところに移ろう!」

「どこへ?」

「さっき見つけた廃屋だよ」

 ジェムが、荷物をまとめながら言い返した。

「松明代わりに、燃えてる大きな薪を持つんだ!

 キーラとレビンは、余ってる薪も持ってってくれ」

 ジェムとベリアが、焚き火の中から大きめの燃えさしを引っ張り出した。

「あちっ!」

 火の粉に悲鳴をあげながらも、降り出した雨の中を、四人がよろめきながら歩き出した。

 幸いにも、昼間に目を付けていた廃屋までは近かった。

 崩れた壁の一角から、中に入る。

「ふぅ、これで雨は防げる」

 ジェムがため息をついた。

 予想していたよりも、中は荒れていない。

 床には乾いた砂が敷き詰められ、ちょっとした広さの空間が四人の目前にあった。その奥はうかがい知れない暗闇が拡がっているが、今の四人にとっては雨から逃れられただけでも充分だった。

「焚き火を組み直そうや」

 ジェムが、キーラが担いでいた薪の中から乾いている枯れ枝を何本か引き抜いた。

「ここなら、一夜を明かせる」

「火を絶やさないようにしないと……でも、これだけの薪だから、あんまり大きな火は焚けないぜ」

「ここなら小さな火で十分さ……あんまり燃やすと、俺達が燻されちまう」

 旅行用のマントを被り、四人が砂地に横になった。

 すぐに眠気が襲ってきた。


       ◆


「あんなに荒れ果てた花壇の中に住んでたにしては、思ったよりきれいね」

 サキは、子猫の身体をあらためた。

 湯を張った桶の中に入れても、子猫は抵抗しなかった。

「いい子だから、ちょっとじっとしててね」

 セアラが、湯で子猫の身体を洗う。

 毛の長い猫だから、毛の間にノミがついていることを心配したが、驚くほど清潔な状態だった。どこで生まれて、いつ五路広場の花壇に姿を見せたのか、誰にもわからない。

「普通の猫は、とにかく水を嫌うんだけどね」

 セアラが首を傾げた。

 右目が金色、左目が青色という見た目も風変わりだが、何から何まで変わった子猫だった。

 お湯につけられても渋々我慢しているという様子もなく、気持ちよさげに目を細めている。普通の猫なら、お湯につけた時点で容赦なく大暴れしてる。

 洗いながら、サキはまじまじと子猫を観察した。

 とがった大きな耳と太く長い尻尾を持っている。耳の内側は桃色の地肌の色が透け、足の裏も綺麗な桃色をしている。

 北の森林地帯に住む山猫に似た、髭と毛の長い雄猫だった。

「あっ、ごめんね。すぐ終わるから」

 尻尾を洗う時は、さすがに尻尾を触られるが嫌なのか子猫が小さく鳴いた。この子猫は、あまり大きな声で鳴かない。少し高い声で鳴くだけで、どちらかというと静かな猫だった。

「さっ、綺麗になったわよ」

 セアラが子猫を摘まみ上げて、スーが拡げた布に子猫を載せた。

「毛が長いから、乾かすのは大変ね」

 三姉妹が総出で子猫を囲み、子猫の一挙動ごとに大騒ぎをしている。三姉妹が揃って何か一つの目的で協力して動くのは、おそらく初めての事かもしれない。

「あれ?」

 子猫の身体を乾かすのを手伝いながら、サキが奇妙なことに気が付いた。尻尾に違和感がある。

「セアラ姉さん、この子の尻尾二股だよ」

 サキが尻尾の先端を示した。

 尻尾の先が一寸ばかり二つに割れている。

「あら、ホントに猫又だわね。この子、妖怪かしら?」

「えーっ!」

 セアラの言葉に凍り付いたサキが、まじまじと尻尾を見つめた。

 負けん気の強いサキの一番の弱点が、亡霊や妖怪の類いだった。実体のある敵なら怖くもなんともないが、亡霊相手とかではからきし駄目だった。数人の暴漢に取り囲まれても眉一つ動かさないサキだが、目の前に亡霊が出たら、悲鳴をあげてその場に座り込む。

「もしかして……あたし、妖怪拾っちゃたの?」

 霊力が皆無のサキには、セアラとスー姉妹と違って神殿の精霊さえ見えなかった。

 だが、妖しい気配の存在はわかるだけにやっかいだった。

(純白で、金目銀目というのも珍しいのに、猫又って……)

 だが、サキに見えるのだから亡霊や精霊の類いではないはずだった。

「ちょっと待ってて……確か、あの本に載ってたわね」

 手を拭いたセアラが、書斎に入っていった。

 サキは、無心で猫を拭いているスーを見た。三姉妹の中で精霊やら妖魔の姿を見る能力だけなら、姉のセアラよりもスーが優れている。

「スーちゃん、どう思う?」

「冷たい邪気が漂ってないから、亡霊とか妖魔じゃないと思うけど」

「ああ、よかった!」

 サキが、大きく安堵のため息を吐き出した。

 スーの判断基準は、気配の暖かさと冷たさだという。精霊とかでも人に悪さする類は、例外なく冷たい気配を漂わせているという。

「でも、この子を助けるために抱きかかえた時に、あたしの霊力を一気に吸い取っちゃったから、普通じゃないのは確かかも……しばらく手が冷たくなっちゃったもの。

 たぶん、セアラ姉様もごっそりと霊力を持っていかれてるわよ」

「ええっ? あたしは、どうもなかったわよ」

 サキが首を傾げた。

 一晩中子猫を抱いていたが、サキはスーが言うように手が冷たくなることもなかった。

「サキ姉ちゃんは、普通じゃないから」

「どーせ、あたしは霊力皆無の落ちこぼれよ。持っていかれる霊力もないんだから」

「また、いじけるぅ」

 姉妹が不毛な言い争いを始める前に、セアラが、分厚い蔵書を抱えてきた。何十年も前に編纂されたシドニア大陸各地の旅行記だった。何人もの旅行者が見聞した各地の地理・文化・伝承などが雑多にまとめられている。

「ええと……はるか東方の異国の伝説だけどね」

 セアラが読み上げた異国の伝承は、サキの大嫌いなオバケの話そのものだった。

 十数年以上を生き長らえた老猫は、霊気を吸収して神通力を発揮して人語を解し、世人をたぶらかす。その姿は尻尾が二つに割れているという。

 突然姿を消したり、瞬時に離れた場所へ移動したり、人には見えないものの存在を観るという。

「でも、この子、まだ子猫だから妖怪じゃないわよ」

 サキのオバケ嫌いをよく知るセアラが、安心させるように言う。

「こういった迷信とか、誤った認識でも不幸が生じるから、噂を鵜呑みにしちゃ駄目よ」

「迷信?」

「例えば、この子猫の金目銀目が凶兆とか……人も双子が生まれると、凶兆とか言ってすぐに殺されてしまうとか」

「えーっ!」

 驚いたサキは、思わず声を上げた。

 乾いた布に包んで濡れた毛を乾かしていた子猫を守るように、両手で抱きしめた。

 そんな根も葉もない噂で子猫が殺されたり、赤ん坊が殺されてはたまらない。

「生きとし生けるもの、最初から人に害をなそうとして生まれてくるはずがないわ。生まれてきた時は、真っ白なはずよ……最初から悪の心に染まってくるとか、善の心を持っているなんてないはず」

 セアラの考えは、極めて中庸だった。

「育つ環境、受けた教育……それが、その人の運命を分けるなんて……おかしくない?」

「……」

「シェフィールド家は、極めて鷹揚な家柄だったし、神官だから生活も安定してるからそれなりの教育も受けられたわ……でも、大半の家柄は生まれついた時に、その将来が決まってしまうでしょ?」

「まぁ、うちも神官になるしかないけど」

 サキの言葉に、セアラが微笑んだ。サキの悩みは、セアラにはよくわかっている。

「そうね。たまたま、サキは神殿警護のお仕事があって、そのための努力もしたし、神殿警護のお務めがサキの性格に向いていたから良かったけどね」

 いったん言葉を切ったセアラが、サキを見つめた。

「サキは、厨房に入ってお料理とか、裁縫とか……全く興味も持ってないじゃない?」

「うん、食べるのは好きだけど」

 サキは、ちょっと顔をしかめた。確かに、サキはセアラのような家事に興味がない。厨房のかまどや暖炉で使う薪を割ったりするのは得意だが、料理ともなるとセアラとスーに任せっきりでやったことがない。

 だが、セアラはそんなサキを怒らなかった。

「人には、向き不向きがあるのよ……努力で克服するしかないんだけど、でもどうしても不向きなことがその人の生まれた家柄で強制されちゃったら、つらくない?」

「そりゃ……得意なことが仕事に出来れば、楽しいよね」

「王族に生まれても、武が全てじゃ寂しくない?

 今の王家では音楽とか、スーちゃんみたいな絵を描く能力は、決して顧みられることもないわ……一度どこかの職業の家柄に生まれたら、自分に合った職業に就くことが難しいものね。

 自分に適した仕事に就ける方が幸せ、だと思うのだけどね」

 今の時代、専門的な教育とは、裕福な家庭は家庭教師を招いて教えるか、徒弟制度の親方から学ぶのが普通だった。

(あっ! リュードがそうだ!)

 セアラの言葉に、サキは不意にリュードのことを思い出した。

 リュード・フォリナー。

 この漂泊民の男との出会いは、ほんの数ヶ月前だった。

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