ACT15 傀儡の術
『金目銀目が邪魔だ』
薄暗い屋内で、カーバンクルと名乗った謎の思念がさかんにベリアの脳裏に語りかけてくる。
冒険旅から戻って以来、ベリアとカーバンクルの思念との奇妙な対話が続いていた。
(だが……俺には、力が足りなかった)
ベリアは口元を歪めた。
カラスを操り、蜘蛛の巣を使って金目銀目の猫を捕らえようとしたが、突然の男の乱入で失敗した。
(邪魔さえ入らなければ……)
ベリアが操る魔道に匹敵する護符を使った奇妙な術を使われて、あっさりと破られた。カーバンクルのおかげでベリアが使えた術は、その二つだけだった。
それを破られた後の術がなく、その場は逃げるしかなかった。
『長らく封印されていたからな。
まだ目覚めたばかりだ……使える魔力にも、まだ限界がある』
カーバンクルは自信満々だった。失い掛けていたベリアの自信を巧みにくすぐってくる。
(俺はどうすればいい?)
自問自答なのか虚空との対話なのか、ベリアの問いに対して謎の思念は即座に答えを返してくる。
『術を磨くことさ……御主なら出来る』
ベリアが望んだ術のやり方を、即座にカーバンクルが返してくる。火術を望めば、火術の要諦がベリアの脳裏に閃く。
『虚空記憶には、過去に存在したどんな魔道の術も存在する……それを引き出すのは御主自身だ』
ベリアは、握りしめた杖を見つめている。その眼は、どこか取り憑かれたような虚ろなものだった。
杖の柄で濁った暗い紫色の宝玉が、蛇の目の色に似た輝きを放っている。
『まもなく、天地の霊力の循環が、旺から暮に変わる。御主の力は暗闇でこそ本領を発揮する……今こそ、御主が"暗闇の聖者"の復活した姿を見せる時ぞ!』
カーバンクルが、巧みにベリアの劣等心を衝いて煽ってくる。
("暗闇の聖者"……そうか、俺は"暗闇の聖者"の復活した姿なんだ……)
『レオナ姫以来の天才と言われながらも、王都の陰謀により追放された術者ぞ! 御主は、その屈辱を晴らすために、蘇ってきたのだ!』
神殿の異端審問に掛けられ、無残にも五路広場を追われた時の屈辱の光景が蘇ってきた。
(そうだ……俺は、何度でも、その魔力で蘇ることが出来るんだ)
『……』
不意に、カーバンクルが沈黙した。
カーバンクルが沈黙した理由が、すぐにベリアにもわかった。
部屋の外に人の気配がする。目を閉じていても、屋敷の外の情景がわかる。小さな一軒家の庭に、こっそりと入ってきた人の気配が近寄ってくる。
「やっぱり、ここに居たのか」
扉が開いた。ジェムの心配そうな顔が戸口からのぞいた。
王都の外れにある一軒家だった。キーラとレビン兄弟の父親が二人に買い与えた隠れ家だった。王城地区にある屋敷を抜け出してお忍びで街で遊ぶ時に着替えたり、寝泊まりするためのものだった。冒険旅から戻って以来、自宅に戻らずベリアは隠れ家に潜んでいた。
ベリアの居場所を知っているのは、ジェムとキーラとレビンだけだった。
「ベリアが消えて、講武堂が大騒ぎになってるぜ」
「放っておけばいい……俺にはやるべき事がある」
ベリアが、冷たく答えた。
「放っておけばいい、って……」
ジェムとキーラが、顔を見合わせた。
「そんな些細なことに関わっている時間はない」
そう言い捨てたベリアは、興味を失ったように手にした杖に視線を落とした。
杖にはめ込まれた宝玉が、戸口からの光を受けて深紫色に輝いた。
「神殿警護官が、ベリア探しで動いているぞ」
「神殿警護官?」
ベリアが振り向いた。ベリアの冷たい眼に、ジェムとキーラが思わず顔を見合わせた。
ベリアが、日に日に不気味になってゆく。
ジェムもキーラもレビンも、口にこそ出さないが、ベリアの異変には気が付いていた。
態度も尊大になり、以前のような気の弱いベリアの姿などどこにもない。ベリアが語る言葉の節々に込められた自信にあふれた響きのせいか、ベリアの変貌ぶりに戸惑いを覚えながらも、何故かベリアの言いなりに動いてしまう。
今までなら、ガキ大将は年長のジェムだったが、冒険旅から戻って以来いつの間にかベリアが三人を統率する形になっている。
「ほら、五路広場でお前の剣を叩き折ったシェフィールド家の邪々馬姫だよ。お前が姿を消したのを心配したお前の家族の依頼で、神殿警護官が武衛府まで尋ねてきた。
この場所にベリアがいることは、俺達は隠したんだけどさ……信じてない眼だったから……簡単にごまかせる相手じゃないぞ。もう数日すれば、きっとこの場所を突き止めてくる」
ベリアが、不快そうに顔をしかめた。
神殿警護官のサキが動いているという情報は、喜ばしくない。
護民官ならともかく、霊力を持つ神官までが出てくると計画の邪魔だった。
「まずいな……また、邪魔立てするか」
ベリアが、喉に手をやった。
前世の夢なのか幻視で見た光景が蘇ってきた。山猫に切り裂かれた喉に、ちくりと刺すような痛みがある。
サキよりも、サキが連れていた金目銀目の猫が邪魔だった。
しばらく沈黙していたが、何かを考えついたのかベリアが急に微笑んだ。
「まぁ、ちょうどいい機会か……」
立ち上がったベリアが、傍らのかまどに近づいた。
「まぁ、喉が渇いただろ……薬草茶しかないが、飲んでゆくといい」
ベリアが、傍らのかまどに掛かった鍋から薬草茶を器に入れた。
「何だよ、この薬草茶?」
「これを飲めば、三日は元気が続く……これを売れば一財産になるかもな」
ベリアは、自分の器に入れた薬草茶を音を立ててすすった。
「冒険街で買った魔道士が調合した強壮剤より、こっちの方がずっと優れてる……俺は、魔道に目覚めたんだ」
「魔道って……」
「眠っていた記憶が蘇ったんだよ……どんな霊薬でも調合できるんだ」
「うゎ、苦いってか渋くないか?」
「だったら、蜂蜜を入れるといい」
ベリアが、傍らの壺を示した。
蜂蜜を混ぜて飲む三人を見て、ベリアが微笑んだ。
「どうだ? 効きそうだろ?」
「確かに、効きそうな苦さだけどさ……どうして、急に魔道なんてのに目覚めたんだよ?」
「今にわかるよ……俺が持つ力の大きさを、そのうちに王家に見せつけてやる」
ベリアが、そう言って手を差し伸べた。
「頼んだ品物は、そろったか?」
「ああ、言われた通り、薬種店やら魔道士の店をあっちこっち回ってかき集めてきたよ」
傍らのキーラが、大きな荷物を床に置いた。
小さな素焼きの壺、銅鍋、るつぼ、小さな皿がいくつか、様々な薬草、硝石、硫黄、木炭、朱砂、牛の内臓等の不気味な品々が次々と机上におかれてゆく。
「こんなもん、何に使うんだよ」
「聖なる実験の証明に使うのさ」
ベリアが、部屋の隅に置かれた大きな水瓶に視線を移した。
傍らの大きな水瓶に水草が浮き、ボウフラが蠢いている。
水瓶の蓋代わりに目の粗い布で覆っているが、灯りを近づけると浮き沈みするボウフラの姿が微かに編み目越しに見える。
「俺の血を吸った蚊が産んだ卵が、かえったんだ」
「……ボウフラ育ててどうすんだよ?」
「もうじき、蚊が成虫になる」
ジェムが、薄気味悪そうな顔をした。
「どうするんだよ、こんなもん」
「使うのさ……この蚊を退治できるのは俺だけだ……王都の神官よりも力があることを、王城の馬鹿共に見せつけてやるのさ」
ベリアが、甲高い笑い声を上げた。
「平和ぼけした王都の連中……俺達王族の次男三男を飼い殺しにしていたことを、心底後悔させてやる!」
「おい、ベリア……お前、少し変だぞ」
ジェムが椅子を蹴って立ち上がろうとしたのを、ベリアが静かに手で制した。
「まぁ、しばらく待て……三人ともその壁を見てくれ」
三人が白い壁を見た瞬間、ベリアが指を打ち鳴らした。
突如、薄暗い部屋の中にいくつもの光が浮かび上がった。
赤や青の鮮やかな光が明滅し、増減したり、大きくなったり小さくなったり、そのうち光がジェム達の周囲を回り出す。
「なんだ、こりゃ……」
目眩に襲われたように、急に平衡感覚を失ったジェムが机を手で押さえた。
「光をよく見るんだ!」
鞭打つような声が響いた。
明滅する光が増え、さらに速度を増して三人の周囲を回っている。
いつしか、ジェムの視線が虚ろになっている。光の明滅はジェムの脳裏で続いている。
ベリアの手にした杖の頭で、霊石が妖しく輝いている。
◆
「金目銀目は危険だ……」
「金目銀目は危険……」
ベリアの声に、ジェム達の声が重なる。
ジェムもキーラもレビンも、その表情が消え、瞳も焦点を失い虚ろになっている。
「神殿にいる金目銀目を殺せ!」
「神殿に……いる……金目銀目を……」
「殺せ!」
「殺します」
いつしか、三人はベリアの言葉にうなずいている。
「この手紙を残せ」
「この手紙を残します」
傀儡師が露店で見せる操り人形のように、ジェム達が立ち上がった。 その頬はだらしなくゆるみ、全ての感情を失っている。
目も焦点を失い、どこか虚空を見つめている。
「よし、行け!」
ベリアの声が鋭く響いた。
小さくうなずいたジェム達が、ふらふらと歩き出して戸口から出て行くのをベリアが無言で見送る。
意思を失い、ベリアの指示しか彼らの頭の中にはない。
「傀儡の術、か」
ジェム達が立ち去るのを見届け、ベリアが口元を歪めた。
傀儡の術を掛けられ、自我を失った仲間達に対しても冷淡な態度だった。
「ふん、他愛のない」
ベリアの呟きは、感情のない冷酷なものだった。とても友に対する態度ではない。
『見よ、我が力を!』
姿のないカーバンクルの声がベリアの脳裏で響いた。
『もはや、お前の力をしのぐ者はない』
カーバンクルの声に反応し、ベリアが薄笑いを浮かべる。
「これだけの力がありながら、飼い殺しにされる運命、か」
『そうさ、この力を王家に見せつけてやれ』
カーバンクルとの会話が続く。
だが、もしもこの光景を端から見れば相当に不気味だった。ベリアがぶつぶつと独り言を呟いているようにしか見えない。
傍らに置かれた杖の霊石が、暗い赤紫色に輝いた。
◆
サキとカロンが使った厨房は、惨憺たる有様だった。
整理整頓されていた厨房が、わずか三日でこうもひどい状態になるか、という現実が目の前にあった。
きちんと整理されていた棚の中身も、逆にセアラでさえどこに何が置かれているかわからない。
鍋は、表も裏も黒焦げだった。吹きこぼれたり、焦げ付かしたり、焚き火の炎に直接当たった部分はすすけている。
傍らに視線を移すと、黒焦げになった食材の残骸が隅っこにまとめて捨ててある。
「ええと……」
しばらく絶句していたセアラが立ち直り、やっと声を出した。
約三日でセアラとスーの熱が下がり、やっと動けるようになった。熱病から回復したセアラとスーが最初に取りかかったのは、サキが占領していた厨房の確認だった。
予想していたとはいえ、厨房の惨状を見た途端、セアラの背中に悪寒が走った。
「熱が、ぶり返しちゃいそうね」
セアラは、肩に掛けたケープを羽織り直した。
「わぁ……」
横からのぞき込んだスーも、裏返った声を上げた。
「サキ姉ちゃん、何をやったのかしら? 何をどうしたら、こんなになるのかしら?」
スーの言葉に、セアラが長いため息をついた。ここまで豪快に散らかされると、怒りよりもあきらめの感情が強い。
「とりあえず、夕食と明日の朝のパンだけは準備しなきゃね」
「その前に、片付けと掃除もしなきゃね」
セアラとスーは、顔を見合わせて吹き出した。
「やりがいがあるわよぉ」
笑いながら、セアラはうれしそうな眼をした。被害は甚大だが、何故かうれしさが上回っている。
「でも、あの子が料理しようって気になってくれた気概だけ良しとしなきゃね。
あの子、必死で頑張ったのね……感謝しなきゃ」
二人で、厨房の片付けに取りかかる。
焦げ付いた鍋を洗いながら、セアラがクスクス笑った。厨房で慣れない料理に挑戦しているサキの奮闘ぶりが目に浮かぶ。
「あの子にも、少しお料理を教えなきゃね。
刀術のお稽古くらい熱心にやってくれれば、きっと、お料理もすぐに出来るようになるわ」




