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アセンブル・ロジック ~高専祭殺人事件~  作者: 森鷹志
《第4章》 真実は非情
32/36


       *


   諸物の多様さと混乱のうちにではなく、

   つねに単純さのうちに真理は見出される。

     ――アイザック・ニュートン(物理学者・数学者、1643-1727、イギリス)


       *   


 霜月の風は冷たかった。

 灰色の雲から落ちてくる無数の(つぶて)が大地を、建物を、植物を叩く。弾けた雨は、さらに微小な礫となり空間を濡らした。昼だというのに、かなり寒い。

 十一月十八日水曜日、立花高専の体育館裏。高専を囲う塀と、無機質な建築物に挟まれた場所に、理玖は傘を持って立っていた。

 彼は、ある人物とここで待ち合わせをしている。

 彼は腕時計に目をやった。午後四時二十九分。そろそろ時間だ。

 黒い傘を持った人物が、理玖の視界に入った。その影は、時間が経つごとに近づいてくる。

 傾けた傘から、平島琴葉の顔が覗いた。


「待ってたよ」理玖は安定した声で、彼女にそう言った。


 平島は目を細めて、不安げな顔をしている。


「ねぇ……、犯人が分かったって、ホントに?」

「うん。確証は七割」

「じゃあ、あと三割は……?」

「それは……これから決まる」

「これから?」

「そう、これから。でも、その時間はまだだよ」


 平島は不思議そうな顔をしたが、理玖が反応しないのでそれ以上の追求はやめた。


「でも、びっくりした。連絡先を交換して、初めてのメッセージが『犯人が分かった』、だもん……」

「伝えることは簡潔に伝えないとね」

「……えっと、どうしてこんなトコで待ち合わせなの? 体育館裏って、なんだか――」

「人がいる場所は都合が悪いから」理玖は早口で言う。「それだけだよ」

「わざわざ外にしなくたって……。雨だって降ってるのに」

「ここ以外に思いつかなかったんだ、人目のつかない場所が」

「ふぅん……」

「でも、話を聞かれる心配がないから気楽に話せる。これに限る」


 理玖は腕時計に目をやった。もうすぐだ。〝目的の人物〟が来るのは。


「どうしたの? 時間が何か関係あるの?」

「いや、そろそろかな、と思って」

「……何が?」


 平島が首を傾げたとき、


「お~、理玖? 何やってるん?」


 軽い声と足取りで、傘を差した女学生が二人の方へとやってきた。


「え、と……。落雷さん……?」


 平島は少し目を丸くさせている。そんな平島を、緋香里はまじまじと見つめた。


「あ、誰と一緒にいるのかと思ったら平島さんか。え? 二人で何してたん?」

「ただ立ってただけだよ」

「ふーん?」緋香里は意味ありげに目を細めた。「ま、僕にとってはどうでもいいことだけどね。で、何の用?」

「それはあとで話す」

「さきに言ってくれなきゃ、帰るよ?」

「どうぞご自由に」そっけない返事を理玖は返した。

「……張り合いないなぁ」緋香里は呆れ気味だ。「ってか、ここで帰ったら何のために来たのかわかんないじゃん」

「じゃあ、ここで待っていようか。彼の到着を」

「彼……?」


 理玖は、それ以上は何も言わなかった。

 雨粒の弾ける音だけが、彼らの耳に届く。

 理玖が、再び腕時計を見た。デジタル表示の数字が、刻々と変わっている。


「ん? もうすぐ来るん?」緋香里が腕時計を覗き込むようにして言った。

「そうだね。真実の提示の時が来るよ」


 その言葉と同時に、その人物は、陰から姿を現した。


「……来たね」


 理玖は、口元に、わずかな笑みを浮かべた。


「待ってたよ、楓馬」

「もしかして、鎗戸君が……?」


 平島は、震える声で理玖の方を見た。だが、彼は答えず、ただ楓馬の顔を凝視している。


「ねえ……、勝占君……」


 平島のねだるような言葉をものともせず、理玖は静かに口を開く。「さて、役者は揃った」

 傘を片手にたたずむ楓馬は、深い溜め息をついた。


「呼ばれたから何かと思って来てみたら……、なんだよ、ハーレムを見せつけられただけかよ」


「今の状況は、ハーレムの定義とは程遠い」理玖が答える。

「ま、いいけど」楓馬はふっと笑みをこぼした。「で? どうして、こんな雨の日に俺は呼ばれなきゃいけないの?」

「とぼけないで!」平島が声を上げる。「鎗戸君……あなたがやったんでしょう?」

「は? 何の話? 俺が何か悪いことでもしたのかなぁ?」

「何、その言い方!」平島は、傘を持っていない左手の拳にぐっと力を入れた。「許さない……」

「平島さん、落ち着いて……」


 理玖がなだめようとするが、平島の興奮は収束を見せない。


「落ち着いてなんかいられるわけないでしょ! そいつが……そいつが駿を!」

「何……?」楓馬の眉がピクリと動く。「もしかして、俺が七條を殺した犯人だとでも思われてるの?」

「それについて、今から説明しようと思ったんだ。だから呼んだ」

「へぇ。やっと解ったんだ、理玖。楽しそうだから、聞かせてもらおうかな」

「楽しい……?」平島の息は荒い。「狂ってる……」

「は? どう見ても、狂ってるのは平島にしか見えないけどな」

「平島さん、落ち着いて……」今度は、緋香里が自制を促した。「それに、鎗戸君も変な挑発はやめたほうが……」

「落雷さぁん」楓馬は口をだらしなく開けている。「呼ばれて早々に殺人犯扱いされる身にもなってみてくれよ? 別にいいじゃん、ねえ? 何を言おうがさ」

「なっ」


 彼の言葉を聞いて、緋香里の顔にも怒りの稲妻が走った。

 彼女が一歩踏み出そうとするのを引き留めるように、「それじゃ」と、理玖がすかさず口を切る。


「文化祭の日に起こった二つの殺人事件。この二つの事件で、被害者がどう殺されたのか……俺なりの推理を述べさせてもらう」


 再び、場は雨音だけに支配された。その数秒ののち、理玖が話し始める。


「まずは……、七條の殺害についてからかな。警察の情報では、彼は首を絞められて殺されたってことになっている。背後から首を絞めたような跡があったらしいからね。ということは、犯人は七條より背の高い人間だと考えられる」

「……それで? 俺がそれに当てはまると?」楓馬は目を細めたあと、「はっ」と笑った。「確かに、俺は七條より少しだけ身長は高いけど……。でも、それだけじゃあ殺せない」

「そうだね。殺そうとすれば、必ず抵抗される。だから、犯人は、七條より高いか同じくらいの身長で、なおかつ力の強い人間に限定される」

「ふふん。なら俺は外れるな。俺は、そんなに力はないから」

「でも、腕の力なんて無くても、簡単に絞め殺す方法がある」

「ん?」楓馬は、片方の眉を吊り上げた。「そんな方法があるのか?」

「簡単なこと。気絶させるか昏睡させてしまえばいい。気絶させてから、首を絞めて殺せば抵抗される心配はない」

「ふぅん、なるほどなぁ。で、どうやって気絶させたんだ? 頭でも殴ったのか? でも、そうだとすれば傷が残るはずだ」

「その通り。でも、扼痕以外に、七條の躰に外傷は無かった。それは伯父さんからの情報だから、間違いはない」

「殴らずに気絶? どうやって? 特殊な武器でも使ったとか?」

「そうだね……、ブラック・ジャックっていう、革袋の中に砂を詰めた武器を使えば、外傷を残さずに気絶させられる。でも、それも絶対ではない」

「ほら、できねぇな。そんなの、フィクションの中だけなんだよぉ」


 理玖は、三秒黙ると、隣にいた緋香里に質問を投げかけた。


「緋香里は、高い山に登ったことはある?」

「ん? ないことはないけど? どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

「はぁ?」

「ちょっと勝占君! 真面目に話してよ」


 女性陣二人の機嫌を損ねてしまったようだ。理玖は、慌てて取り繕う。


「ご、ごめん。じゃ、クイズを出そう。中学生の理科の問題だ。一般的に、標高が高いところに行くと、どうなる? 緋香里」

「え? 山を登れば、だよね? そりゃ、疲れるでしょ」

「落雷さん、これ理科の問題だよ」平島が冷静に突っ込む。

「あっ、そうか。うっかりしてた。ええと……」


 解答に時間がかかりそうだったので、理玖が助け舟を出した。「気温はどうなる?」


「下がる……よね?」

「正解。じゃ、気圧は?」

「えっと……、気圧ってなんだっけ」緋香里は首を捻った。「あっ、低くなる」

「そう。だから、空気が薄くなる。つまり、酸素濃度が低下するんだ」

「おい。いったい何の話をしてんだよ?」楓馬が、半ばいらいらした様子で訊いた。「世間話がしたいんなら、俺は帰るぞ?」

「まあ待てよ。これはけっこう、重要なことだ。楓馬は、()()病って聞いたことあるよな?」

()()病?」

「違う。高山病」

「あ……ああ。それくらい聞いたことはあるさ!」聞き間違えたのが怒りに拍車を押したのか、楓馬は語尾を荒らげた。「で?」

「話を続ける。人間は、周囲を取り巻く空気の酸素濃度が低下すると、様々な症状が出る。例えば、高山病にかかると頭痛や眩暈(めまい)、吐き気を催す」

「それと殺人に何の関係が?」

「高山病を発症すると、気絶することもある。これが、被害者である七條が気絶させられた原因なんだ」


 数秒の間をおいて、楓馬は髪をくしくしと掻いた。


「……ってことは、なんだ、七條はエベレストの山頂まで連れていかれて、そこで気絶させられてから殺されてここまで持って帰ってきたっていうのか?……あほらしい」

「そんな突飛な発想のほうがよっぽどあほらしいと思うよ」

「ふざけてないでちゃんと教えろ」

「そうだよ勝占君……」琴葉が、心配そうな顔で見つめてくる。

「俺が言いたいのは」理玖は言葉を切る。「気絶させたいなら、酸素の供給量をゼロにしてやればいいってことだ。あ、そうそう。文化祭のときに見た真空砲、覚えてる?」

「ん? あー……、あれか」

「あのとき、真空砲に繋がってた装置も覚えてる?」

「…………真空ポンプ、だな」

「そう」理玖はゆっくりとうなずいた。「あれを使えば可能だよ」

「ちょっと待って……何の話してるん? 全然わかんない」と緋香里。

「真空ポンプっていうのは、名前の通りの装置。簡単に言えば、容器の中の空気を吸い出して真空にすることができるポンプ。身近なもので言えば、掃除機も一種の真空ポンプと言える」

「ふぅん……。で、それを使って気絶させられるの?」

「それを行うには大掛かりな準備が必要になるんだ。練炭自殺をするみたいに、まずは窓やドアの隙間をすべてテープでマスキングして部屋を完全に密閉し、それから真空ポンプを作動させなければならない」

「でも、そんな方法を使ったらすぐにバレるんじゃ?」

「そう。映画のワンシーンを撮るような手間がかかるしね。しかも、真空とまではいかなくても、部屋の空気を薄くにするには途方もない時間がかかる」

「じゃあ意味ない……」

「でも、もっと簡単な方法があるんだ」理玖は、楓馬を軽く睨んだ。「部屋全体を真空状態なんかにしなくても、中にいる人間を気絶させられる、もっと簡単な方法が」






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