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「気絶させる簡単な方法って……殴るの?」緋香里が訊いた。
「おい、それじゃ本末転倒だよ」理玖は文字通りズッコケそうになる。「いい? 気絶させればいいだけなんだ。ということは、部屋全体の空気を薄くする必要なんてない」
「あっ」平島が声を上げた。「そういうことか……」
「……平島さんは勘付いたみたいだね」
「うん……。その、躰の周りだけ空気を薄くすればいいんだよね?」
「ご名答。だけど、六十点の解答だ。ギリギリ単位を落とさずに済んだね」
「えっ、なにそれ……、嬉しくない」
「方向性はそれでいい」平島の困った顔を見ながら理玖は言う。「でも、空気を薄くするよりは、酸素を遮断してやったほうが早い」
「じゃあ、口とか鼻を何かで覆ったってこと?」緋香里が訊く。「ガムテープか何かで」
「でも、完全に覆うことはできないし、それに跡が残る。そもそも、そんな時間のかかることはやってられないよ」
「じゃあ、どうやって?」緋香里は、楓馬のほうを軽く一瞥した。
「簡単なことだよ」理玖もつられて楓馬へ目をやる。「ヘリウムを吸わせたんだ」
「ヘリウム? ヘリウムってあの、吸うと声が高くなるやつ?」
「そう」
「え、でも、テレビなんかでヘリウムを吸ってるのを観たことあるけど、気を失ったところなんて観たことないし……、そんなことできるん?」
「市販の、声が変わるだけのヘリウムガスには、普通は酸素が混じってるんだ。危なくないようにね。だから、犯行に使われたのは純度が百パーセントに近いヘリウムだと考えられる」
「そんなものが手に入るん?」
「普通なら、手に入らない。でも、高純度のヘリウムを手に入れるのは、犯人にとってそう難しいことではなかったんだ」
「どうして?」
「緋香里は知らないかもしれないけど、文化祭の日、化学実験室で風船が配られていたんだ。その風船は宙に浮く。つまり、中はヘリウムガスが充満している。風船に使うヘリウムは純度の高いものが多いから、風船からヘリウムを上手く取り出して、密閉された袋に入れる。で、それを頭に被せてやれば……酸素供給量はほぼゼロに等しく、一回、あるいは数回の吸引だけで気を失う。気絶させるには、これだけでいいんだ。手間もそんなにかからないし、一瞬で気絶するから抵抗される心配もない。あとは、ぐったりとうなだれた七條の首を後ろから羽交い絞めにして、頸動脈を圧迫して扼殺痕を偽装してやればいい」
「……なかなかおもしろい推論だなぁ」黙っていた楓馬が口を開く。「でも、証拠が無いぞ」
わずかな沈黙のあと、理玖は静かに言った。
「そうだね、証拠が無い。でも、これで犯人が大柄な人間だという条件は無くなった。つまり――」
楓馬は眉をひそめる。彼は何も言わなかった。それは理玖も同じだった。
「そうやって七條を殺害したあと、犯人は利根田殺害のために動き出した」理玖は話を続ける。「七條のスマートフォンを使って、利根田教員に連絡――おそらくメールをしたんだ。
事件以前から二人は連絡を取り合っていたみたいだから、それを知っていた犯人は、七條が呼び出したように見せかけて、自分の痕跡を残さないようにしたんだろうね。そして、犯人は教員を機械棟三階男子トイレまで行くよう誘導した」
理玖はそこで言葉を切ると、ほかの三人を順に見ていった。
「それから、犯人は男子トイレで待ち伏せをしていた。連絡したときに時間を指定しておいたはずだから、建設棟を出て機械棟に行く時間には十分な余裕があったと考えられる。……そして、標的が入ってきたところを、凶器で刺して殺害した」
「でも……」緋香里が訊いた。「どうして男子トイレで殺したん? もっとほかの場所があったように思うんだけどなー」
「緋香里も知っての通り、三階は人が少なかったろ? 安直な考えかもしれないけど、目撃されるリスクが減るから、そこを選んだんじゃないかな。人もたくさんいる中での犯行は、犯人にとっては一か八かの賭けだったんだと思うけどね。犯人はツいてるよ」
「うん……」緋香里はどこか納得のいかない表情で軽くうなずいた。
「殺害後は、トイレを密室にすれば終わり。トイレのドアはスライド錠だから、糸――それこそ、さっき説明した風船についているような糸を使って仕掛けを作れば、密室は簡単に作成できたと考えられる。密室を作ったのは、死体の発見をできる限り遅くさせるため。遺体の発見が遅くなればなるほど、死亡推定時刻の誤差が大きくなるとか、都合のいいことがあるからね。以上を踏まえると、犯人はとても計画的に二人を殺害したということになる。なかなかの知能犯だと思うよ」
理玖が楓馬を見つめると、彼はおもむろに口を開いた。
「今の話を聞いたところだと……、凶器が何なのかについては触れられてないけど、理玖はわかってるのか?」
「それが難しいところなんだ……」理玖は残念そうに言う。「でも、これが物的な証拠になることは間違いない。まずは推測だ。凶器の形状は、やりの先端のように尖ったもの。そこから考えられるものは何だろう?」
理玖は、言葉の矛先を緋香里と平島に向けた。
「え。普通に考えたら、やりじゃないの?」平島が答える。「陸上で使うような……」
「でも、そうじゃないんだよねー」緋香里は平島に向けて言った。「扱うには長すぎるよ」
「折れば問題ないんじゃないかな? それか、分解しちゃえば……」
「俺もそう思って調べてみたんだ」と理玖。「でも、分解はできないし、そう簡単に折れるようなものでもなかった。犯人が陸上部の部室から盗んだってことも考えられなくはないけど、そんなことをすればすぐにバレるし、現実的じゃない」
「その話だと、陸上部の子ならできるんじゃ?」
「それも考えたよ。でも、自分がスポーツで使う道具を殺人の道具にしたいと思うかな?」
「それは……ない、かな」
「うん。つまり、凶器はやりじゃない。そして、長いものでもなく、持ち運びができる手頃なサイズのものだ。俺の考えだと、氷柱はいい凶器になるんじゃないかな。形は自由に設定できるし、融ければ水になっていずれは蒸発するから、証拠も残らない」
「それって本当にできるの?」緋香里が疑問を投げかける。
「とてもじゃないけど現実的じゃない。まず、氷を融かさないようにする必要があるし、強度も保証されていない。氷の塊で殴って殺す分には問題ないけど、刺して殺すとなると難しい問題が山ほど出てくる。だから、氷も凶器じゃない」
「ほらな。結局、何が凶器なのか分かってない」楓馬は口元に笑みを浮かべた。
「そう。普通は凶器だと思わないものが凶器になってるんだからね」
「……?」
「凶器と言えば、刃物だったり鈍器だったり、持っていれば怪しいものに目が行きがち。でも、今回使われたのは、誰が見ても怪しいと思わないものだったんだ。これこそ、道具は使いようってやつだね。身を助けるものになれば、身を滅ぼしかねないものにもなる」
理玖以外、誰もが口を真一文字に結んでいた。皆が、鋭い視線でお互いを牽制し合っているようだった。
「思い出してほしい」理玖は、問を投げかける。「事件の日の天気は?」
沈黙の三秒のあと、楓馬が静かに答えた。
「雨……だ」
「そう、雨」理玖は繰り返して言う。「雨が降っていたんだ。ということは、必然的にある〝道具〟を携行することになる」
全員の手に、無意識のうちに力が入る。その力の作用を、〝それ〟は受けていた。
「――傘を使ったんだ。凶器はとても身近で、単純な道具だった」
雨音が強くなった。もっとも、それは各々の主観に過ぎないのかもしれなかった。
「傘の先端は尖っているものも多い。それを使えば、他人の生命を脅かすことだって簡単なこと。さらに、傘を使うことのメリットはほかにもある。傘は本来、空から降り注ぐ液体から身を守るためのものだけど、犯人は応用を利かせた。傘を開くことで、返り血を防いだんだ。つまり、凶器として怪しまれないほかに、犯行後に自分の罪を周囲に悟らせないようにする効果をも引き出した。ほかにも、文化祭――蒼華祭の日には、毎年といっていいほど雨が降る。犯人はこれも利用したんだ」
ほかの三人は、理玖に圧倒されたのか、口をつぐんだまま動かなかった。その様子を見てから、彼は一度大きく呼吸をした。
「いちおう、ここまでは殺害の方法について述べたけど。この解答について採点してもらおうかな?」
理玖は唾を呑み込んでから、告げた。
「真犯人の、平島琴葉さん」




