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浄化

白い光と黒い瘴気が激しくせめぎ合っていた。

栞は目を閉じたまま瘴気核へ意識を向け続ける。

巨大な結晶の内部には、想像を絶する量の瘴気が渦巻いていた。

実地訓練で浄化した土地とは根本から違う。

あの時に相手をしたのは汚染された場所だった。

今、目の前にあるのはその原因そのもの。長い年月をかけて災厄を生み続けてきた源だった。

白い光はゆっくりと瘴気核へ浸透していく。

焦ってはならない。力を広げてはならない。対象は瘴気核のみ。

余計な場所へ流せば前回と同じ失敗を繰り返すことになる。

栞は慎重に聖力を注ぎ続けた。


◇◇◇


その背後では激しい戦闘が続いていた。

中位種は尋常ではない強さを持っていた。

低級魔獣とは比べものにならない。

一撃ごとに大地が揺れ、木々が砕け散る。

瘴気によって形作られた黒い獣は、執拗なまでに栞だけを狙っていた。

自らを生み出した瘴気核を守ろうとしているかのようだった。

その進路を阻むのは騎士たちである。

鋼と爪が激しく衝突する。火花が散る。だが、それでも少しずつ押され始めていた。

中位種の力が想定以上だったのだ。


最前線ではアシュレイが剣を振るっていた。

黒い爪が唸りを上げて迫る。鋭い一撃を受け流し、その勢いのまま反撃へ転じる。

剣閃が中位種の肩口を深く切り裂いたが傷口からは血ではなく黒い靄が溢れ出す。

そして次の瞬間には塞がっていた。

瘴気核から流れ込む瘴気が魔獣を修復している。

騎士たちの表情が険しくなる。何度傷付けても終わらない。

瘴気核が存在する限り、この魔獣は立ち上がり続ける。


中位種が咆哮した。

耳をつんざくような叫びだった。次の瞬間、その巨体が跳躍する。

標的は栞だった。

騎士たちの頭上を飛び越え、一気に距離を詰める。

「止めろ!」

アシュレイの声が響く。

複数の騎士が割って入るが間に合わない。

巨大な前脚が振り下ろされた。

栞は気配を感じて目を開いた。黒い影が迫っている。

反射的に結界を展開した。半透明の障壁が形成される。

直後、中位種の爪が激突した。

凄まじい衝撃だった。

結界が軋み、嫌な音が響いた。耐え切れない!

そう理解した直後、障壁は砕け散った。

衝撃の余波が栞を吹き飛ばす。

地面へ倒れ込み、腕が鋭い岩へぶつかった。

焼けるような痛みが走る。血が流れていた。

「聖女様!」

騎士たちの声が飛ぶ。しかし栞は立ち上がった。

傷を見ている余裕などない。

ここで止まれば瘴気核は残る。

戦っている騎士たちの努力も無駄になる。

何より。

ここまで来て諦めたくなかった。

荒い息を吐きながら再び瘴気核へ向き直る。

腕からは血が流れている。それでも聖力の流れは維持出来ていた。

「無茶をするな!」

アシュレイが叫ぶ。

その声にはこれまで聞いたことのない焦りが滲んでいた。

だが栞は首を振る。

「大丈夫です!」

実際には大丈夫ではない。腕は痛む。集中を乱されれば術が途切れそうになる。

それでも続けるしかなかった。


中位種が再び栞へ向かう。今度こそ仕留めるつもりなのだろう。

アシュレイは間へ割り込んだ。

迷いはなかった。

剣を構え、真正面から迎え撃つ。

激突。轟音。衝撃と共に中位種の爪が肩口を切り裂く。

鮮血が飛び散り、衝撃にアシュレイの身体が大きく揺れる。

右肩から左脇腹へかけて深い裂傷が走っていたが、それでもアシュレイは退かなかった。

栞は息を呑んだ。心臓が嫌な音を立てる。

自分を守るために、アシュレイが傷付いた。

一瞬だけ集中が揺らぐ。

その瞬間、浄化の光まで揺らぎかけた。しかし止めるわけにはいかなかった。

アシュレイも騎士たちも、そのために戦っている。

ならば自分がやるべきことは一つしかない。

守られるだけでは終われない。

騎士たちが時間を稼いでいる。アシュレイが目の前で傷付いている。

その全てを無駄にしないためにも、自分は浄化を成功させなければならない。

栞は揺らぎかけた意識を無理やり瘴気核へ向けた。


◇◇◇


本来あるべき姿へ戻し、歪みを正す。

その一点だけへ意識を収束させる。

やがて栞は感じ取った。

瘴気核の奥深く、渦巻く瘴気の中心に、全ての源となっている歪みの核を。

そこへ向けてさらに白い光を流し込む。

大量の聖力が吸い込まれていく。傷付いた腕が脈打つように痛んだ。

血はまだ止まっていない。

だが意識を向ける余裕はなかった。

大きな亀裂が走った。さらに二本、三本。

巨大な結晶全体へ蜘蛛の巣のように亀裂が広がっていく。

「浄化が進んでおります!」

後方で観察していたアルフレッドの声が響いた。

老人の表情にも興奮が浮かんでいる。

成功が見え始めていた。


中位種が苦しげな咆哮を上げ、動きが鈍る。

その隙をアシュレイは見逃さなかった。

踏み込む。剣閃が走る。今度は胴体を深々と切り裂いた。

黒い靄が大きく噴き出し、中位種が大きくよろめいた。


栞は最後の力を振り絞った。白い光が一気に膨れ上がる。

そして瘴気核全体を包み込んだ。眩い輝きが森を満たす。

次の瞬間、巨大な結晶は音を立てて崩壊を始めた。

黒い靄が消えていく。歪みが浄化されていく。

長い年月をかけて蓄積された災厄が、静かに終わりを迎えていた。


中位種の身体が崩れ始める。

瘴気によって修復されていたが維持できなくなり、光の粒となって風の中へ消えていった。

やがて完全に姿を失う。残ったのは静寂だけだった。


◇◇◇


重く淀んでいた空気は消えていた。

清らかな風が森を吹き抜ける。

栞はその場へ膝をついた。

疲労はあった。腕も痛む。だが意識ははっきりしている。

前回とは違い、最後まで制御し切った。

周囲では騎士たちが安堵したように息を吐いていた。

幸い死者はいなそうだが負傷者はいる。

中位種との戦いは決して楽なものではなかった。

栞はゆっくり立ち上がった。

「聖女様?」

「先に怪我を見せてください」

騎士たちは顔を見合わせる。そして一人、また一人と前へ出てきた。

その時だった。

「待て」

アシュレイの声が響く。

栞は足を止める。

「殿下?」

アシュレイの視線は栞の右腕に向いていた。

岩で切った傷からは、まだ血が流れている。

「先にお前だ」

「でも皆さんも怪我をしています」

「動けない者はいない」

有無を言わせない口調だった。

「まず自分を治せ」

栞は思わず言葉に詰まる。確かに痛みはあるが自分より先に治療が必要な者がいると思っていた。

アシュレイは小さく眉を寄せた。

「その状態で他人を治療するな」

栞は苦笑する。どうやら譲る気はないらしい。

「分かりました」

自分の腕へ手をかざす。

淡い光が傷を包み込み、裂けた皮膚がゆっくりと塞がっていった。

痛みが消える。それを確認してから、栞は改めて騎士たちへ向き直った。

「お待たせしました」

裂傷、打撲、擦り傷。程度の差こそあれ、栞は順番に治癒していく。

淡い光が傷口を包み込み、傷はゆっくりと塞がっていった。

そしてアシュレイの前で手を止める。

「殿下もです」

「必要ない」

「あります」

肩口から脇腹へかけて大きく裂けている。どう見ても軽傷ではなかった。

アシュレイは小さく息を吐いた。

「好きにしろ」

栞は傷へ手をかざした。柔らかな光が肩口を包み込む。

裂傷がゆっくり閉じていく。

以前の栞なら周囲までまとめて治そうとしていたかもしれない。

だが今は違う。必要な場所だけを正確に治療できる。

それもまた訓練の成果だった。傷が完全に消える。

アシュレイは軽く肩を動かした。

問題はなさそうだった。視線が合う。アシュレイが小さく頷く。

「倒れなかったな」

栞は思わず笑った。

「約束しましたから」

アシュレイも微かに口元を緩める。

本当に僅かな変化だったが栞は確かに見た気がした。


最初の瘴気核は浄化された。

そして彼女は初めて、自らの力で確かな一歩を踏み出したのだった。

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