来年の結婚式
はじめまして。普段は読む専門でしたが、思い切って投稿してみました。
初投稿のため至らない点もあるかと思いますが、お手柔らかにお願いいたします。
安藤 栞は、自分の人生はそれなりに順調な方なのだと思っていた。
二十四歳。食品メーカー勤務の営業職。社会人三年目になり、仕事にも慣れてきた。忙しい日々ではあるが嫌いではない。上司からの評価も悪くなく、最近は任される業務も増えた。
平日は残業ばかりだ。それでも不満はなかった。頑張れる理由があったからである。
来年の五月、結婚する。
大学二年生の頃から付き合っている恋人、奥田 守との結婚が決まっていた。
だから今日も休日を使い、結婚式の準備を進めている。
ウェディングサロンの鏡の前に立つ守を見ながら、栞は小さく笑った。普段からスーツ姿は見慣れているが、タキシード姿は少し新鮮だった。ただ、選んだネクタイだけはいただけない。
「その色、あんまり似合ってないと思う」
率直に言うと、守は眉を寄せた。
「そんなに?」
「うん」
スタッフが別のネクタイを差し出す。そちらの方がずっと似合う。守も栞の反応を見て察したらしく、あっさりと選び直した。
昔からそうだった。服や家具にはあまり興味がない。そのくせ栞のことになると妙に細かい。
ちゃんと食事をしているか。
体調は崩していないか。
帰りが遅くなり過ぎていないか。
最初は過保護だと思ったこともある。けれど六年も付き合えば分かる。それが守なりの愛情表現なのだ。
いつも自分を大事にしてくれる人だ。
守の試着が終わると、今度は栞の番だった。スタッフに案内され、更衣室へ入る。
何着か試した中で、最後に選んだ一着だった。
真っ白ではない。
少しだけクリーム色を帯びた柔らかな色合いのドレスだ。
鏡の前へ立った瞬間、栞は思わず息を呑んだ。
想像していた通りだった。
何度も式場を回り、カタログを見比べ、守に付き合ってもらいながら探した一着だった。
よく見つかったな、と自分でも思う。
更衣室の扉を開く。
先に待っていた守が振り返った。
一瞬だけ言葉を失ったようだった。
「似合ってる」
照れたように守が言う。
飾り気のない一言だったけど守がそういう人間だと知っている。
鏡に映る自分を見る。来年の五月。本当にこのドレスを着るのだ。守の隣で。
そう信じて疑わなかった。
試着を終えた二人は、そのまま新居の内見へ向かった。
駅から徒歩十分ほどの場所にあるマンションだった。まだ築年数も浅く、日当たりも良い。
家具のない部屋は想像していたより広く見えた。
明るいリビング。
大きな窓。
栞はゆっくりと部屋を見渡した。
ここで暮らすのだ。結婚して。
一緒に朝を迎え、一緒に帰宅し、休日には買い物へ出掛ける。そんな何気ない日々を積み重ねていく。
当たり前の未来がそこにあった。
胸が熱くなった。家族になるという実感が湧いた。
父は幼い頃に亡くなった。母も大学一年の時に亡くなっている。
親族との付き合いもほとんどなく、帰省する実家もない。
だからこそ、自分の家庭を持つことに憧れていた。
守は照れ臭そうに笑っている。
その横顔を見ながら、栞は幸せを感じた。
夕方になると、二人は駅前の居酒屋へ向かった。
そこにはもう一人の約束相手が待っている。
「お待たせー!」
明るい声とともに現れたのは神崎 朱莉だった。
大学時代からの親友。
母を亡くした後も何度も連絡をくれた数少ない友人だった。
三人で飲むことは珍しくない。
乾杯を済ませ、近況を話しながら料理をつまむ。自然と話題は結婚式や新居のことへ移った。
「本当に結婚するんだね」
朱莉はどこか感慨深そうに言った。
「まだ大学生だった気がするのに」
「私もそう思う」
栞が笑うと、守も苦笑した。
六年。長いようで短かった。
あっという間に時間は過ぎてしまった気がする。
しばらく話を聞いていた朱莉が、小さく息を吐いた。
「いいなあ」
何気ない呟きだった。
「何が?」
「何がって」
朱莉は肩をすくめる。
「仕事も順調そうだし、結婚も決まってるし」
冗談めかした口調だった。
だが、本音も少し混じっていることが長い付き合いの栞には分かった。
朱莉は昔から仕事への意欲が強かった。
大手企業に就職し、将来は管理職を目指したいとも言っていた。
ただ最近は、期待していた仕事を任されなかったり、自分より成果の低い同僚が先に評価されたりと、思うようにいかないこともあるらしい。
それでも朱莉は前を向いていた。
「私はまだ仕事かな」
グラスを傾けながら笑う。
「結婚とか考えるより先に昇進したいし」
それも本音なのだろう。
仕事が好きなのだ。
だから栞は朱莉を格好いいと思っていた。
けれど朱莉から見れば、栞の人生もまた羨ましく映っているのかもしれない。
結局、人は自分にないものへ目を向けてしまう。
朱莉はふと守へ視線を向けた。
守は相変わらず栞の皿へ料理を取り分けている。
自然で、当たり前のような仕草だった。
六年間ずっとそうだった。
羨ましいと思った。
守が欲しいわけではない。
ただ、そんな風に誰かを大切にし、誰かから大切にされる関係が少しだけ羨ましかった。
栞は仕事も順調そうで、結婚も決まっている。
守は今も変わらず栞だけを見ている。
なんだか全部持っているように見えた。
もっとも、その感情はほんの一瞬だった。だから朱莉は笑う。
「ちゃんと幸せになりなよ」
心からの言葉だった。
「うん」
栞も笑った。仕事もある。友人もいる。愛する人もいる。
来年から暮らす家もある。幸せだと思った。
この先も続いていくのだと疑わなかった。
夜九時過ぎ。
守とマンション前で別れた後、栞は帰宅した。
少しだけ酒が入って、気分は良かった。
来週は式場との打ち合わせ。再来週には家具選び。
来年の今頃は、守とは同じに家に帰る。そんなことを考えながらマンションの鍵を開けた。
玄関へ入り、靴を脱ごうとして違和感に気付く。
床が光っていた。最初は目の錯覚かと思った。
白い光が床一面に広がっている。
複雑な紋様。見たこともない文字。幾重にも重なった円。
まるで物語に出てくる魔法陣だった。
「……え?」
心臓が大きく跳ねた。
一歩後ろへ下がろうとした。その瞬間、魔法陣が強烈な光を放った。
視界が真っ白になる。床の感覚が消える。
守。そう呼ぼうとした。けれど声は光に飲み込まれた。
登場人物の名前を変更しました(8/30)




