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 もしかしたら私は、最初から最後まで在り方を定めた雛形のようなものに縛られているのかもしれない。

 でも、今の私はそれが何なのかを知らないし、知る必要もない。



 ……アーリン・フロックハートはふと我に返った。なんだかぼんやりしていたみたいだ。朝の身支度をして貰っている最中なので、目の前には鏡がある。映っているのは燃えるような赤い髪に深い赤の瞳を持った、意思の強そうな八歳の女の子だ。アーリンは、私ってこんな顔をしていたんだなあと、何となくそう思った。





 その日、王宮の庭園では、子供たちを集めた大規模なお茶会が開催されていた。隅のほうの席では、二人の女の子がなんだかこそこそやっている。一人は銀の髪に儚げな容姿で有名な侯爵令嬢、もう一人は燃えるような美しい赤い髪で有名な伯爵令嬢だ。


「アーリンはこんな隅の席に移ってしまって良かったの?」

「いいの! あんな騒がしい中でお菓子食べたくないもの。弟だってさっさとどっか行っちゃったし、私だって好きなようにするんだから」

「第三王子殿下のところ、すごかったものね」

「ね。あんなに一気に言われたって、王子様も困ると思うよ。それより、このお菓子ね、すごくおいしいのよ。フェリシアも食べようよ」


 赤い髪の女の子が、テーブルの上の焼き菓子を嬉々として勧めている。菓子をおずおずと手に取り口に入れた銀の髪の女の子は、ぱっと表情を輝かせた。


「ほんとうにおいしい!」

「ね! さすがは王宮のお菓子よね。これ、もらって帰っちゃだめかしら」

「こんにちはお嬢さん方。お菓子はもらって帰っても大丈夫だと思うよ。たくさん欲しかったら、給仕に相談してね」

「そうなの? ありがとう!」

「……アーリン、この方、第三王子殿下よ」

「本当だ、王子様だわ。ええと、『お声かけいただき光栄です』、……で、あっていますか?」

「それを僕に聞かなかったら、あっていたのだけどね」

「あっ」


 赤い髪の女の子はばつの悪そうな顔をして視線を逸らし、銀の髪の女の子はくすくすと笑っている。


「君たちとお話するのはすごく楽しそうなんだけど、このままここにいると、向こうにいる人たちに見つかっちゃうよね。また今度、改めてお茶に招待してもいいかな? 僕の弟も呼ぶし、お菓子はたくさん用意するように頼んでおくよ」

「お菓子はいいけど、第四王子殿下はどうかしら。さっきだって男の子たちと一緒に走って行ってしまったじゃない。うちの弟もついて行っちゃったんだから」

「そうだった。僕の弟がごめんね。それなら、君の弟も一緒においで。お客が多いほうが並ぶお菓子も増やしやすいからね」

「わかりました。ご招待、ありがたくお受けいたします。あと、私はアーリンって名前なの。この子はフェリシア」

「僕はエルドレッドだよ。よろしくね、アーリン嬢、フェリシア嬢」

「よろしくね、エルドレッド……さん?」

「アーリン、『エルドレッド殿下』よ」

「あっ。ええと、よろしくお願いしますエルドレッド殿下」


 淡い金の髪を持った男の子が、楽しそうに笑った。


「言いなおしても手遅れだよ。『エルドレット』だけでいいから、そう呼んでね」





 王宮の一角にあるテラスで、ご婦人がたが庭を見ながらティーカップを傾けている。彼女たちの目線の先には大きなテーブルがひとつ置かれており、それを六人の子供たちが囲んでいる。


「すげえ! ケーキがなんかキラキラしてる!」

「ちょっとグラントリー、ケーキを手掴みしようとしないでよ! うちの家の品位が疑われちゃうじゃない!」

「だってめんどくさいだろ。それに、姉さんだって手掴みしてる」

「小さなお菓子はいいのよ!」


 六人の中で一番年下の、くすんだ金の髪の男の子が、クリームのついたケーキを直接掴もうとしていた。それをよく似た顔立ちの赤い髪の女の子が止めている。


「グラントリー、ナイフとフォークは武器にできるんだぞ。うまく使えないなら、武器だと思って訓練すればいい」

「えっ、それは。……カッコイイですね?」

「ハーヴィー、君、カラトリー使うときにそんなこと考えてたの?」

「この前、暗器使いの話を聞いたんだ。ナイフやフォークを使いこなして敵を倒すんだよ。行儀作法とか面倒だけど、武器を使いこなすための鍛練だと思えば悪くない」

「ハーヴィー殿下、カッコいい……!」

「ハーヴィーは勉強からは逃げ回ってるから、あんまり見習わないほうがいいよ」


 得意気だった栗色の髪の男の子に、一番年上の青灰色の髪の男の子が釘を刺した。


「ばらさないで! なんでレイがそれ知ってんだよ!」

「僕もレイも相談受けてるからね、ハーヴィーの逃げ足が早すぎるって」

「兄上まで!」

「たしかに、すごく早そうね。この前のお茶会の時もあっという間にいなくなっていたもの」

「あの時のハーヴィー殿下、リーダーって感じでかっこよかったです」

「ありがとうグラントリー、味方は君だけだ……」

「足が早いのはうらやましいです、わたくしなんて、何もないところで躓いてしまいますから」

「……フェリシア嬢、それ、訓練……練習すればなおるかも」


 それまでおっとりと話を聞いていた銀の髪の女の子が、身を乗り出す。


「本当ですか?」

「俺もチビの頃しょっちゅう転けてたけど、剣の授業始まってからは転ばなくなったんだ。体の使い方がまだできてないって言われたな」

「方法があるなら知りたいです」

「練習する?」

「ハーヴィー、テーブルの横でやっちゃだめだよ」

「わかった、あっちでやる。行こう、フェリシア嬢」

「フェリシア嬢をハーヴィーだけに任すのは怖いな。監督しとくよ」

「オレも行く!」


 四人の子供たちはテーブルから離れた場所に移動した。栗色の髪の男の子が足の動かしかたを実演して、それを銀の髪の女の子が恐る恐る真似している。

 テーブルには、淡い金の髪の男の子と、赤い髪の女の子が残った。


「フェリシア、大丈夫かしら」

「まあ、レイも行ってくれたからね。ああ見えてハーヴィーは面倒見がいいし、無理をさせたりはしないと思うよ」

「そうなの?」

「ハーヴィーは兄弟で一番下だから、年下の子がいるとお兄さん役をしたがるんだよね」

「そういうものなの? うちの弟なんて面倒なことのほうが多いからわかんないわ。妹たちはまだ小さいからかわいいけど」

「まあねえ、面倒なとこあるよね弟って」

「エルドレッドでもそう思うの……?」

「そりゃあねえ。最近のハーヴィーは毎朝僕の部屋に突撃して起こしに来るんだよ、いろんな人振り切って。ハーヴィーのことは嫌いじゃないけど、毎朝それだとちょっとね」

「それはたしかに。でも、意外だわ。エルドレットはもっと天使様みたいにお優しいのかと思ってた」

「いやいや、そんなことはないよ。普通だよ」

「だって、家で聞いたら優しい王子様だってみんな言ってたわよ? あと神殿で似たお顔の天使様の像を見たことあるもの」

「優しい王子様って思われているなら嬉しいな。でも僕はただの子供だよ。兄上たちみたいに立派な人じゃ全然ない」


 淡い金の髪の男の子が、気まずげに目を伏せた。

 一方、赤い髪の女の子は、きょとん、と目を丸くする。


「王太子殿下と第二王子殿下は大人でしょ。私たちは子供よ、比べるのが間違いよ」

「……そうかな」

「そうよ? うちのお父様なんて、しょっちゅうグラントリーに張り合って、お母様に大人げないって叱られているわよ」

「なるほど、そうかもね」

「あとね、私たちはまだ子供だから、いろいろ教えて貰えばいいのよ。私もこの前、お父様に猪の急所を教えて貰ったわ。女の子に教える内容じゃないって、後でお父様が叱られていたけど」

「アーリンの家族は楽しそうだなあ」

「エルドレットは楽しくないの?」

「……楽しい。そうだね楽しい。ハーヴィーはちょっとうるさいけど、父上も母上もちゃんと時間をとって下さるし、兄上たちも姉上たちも優しいし。上の兄上には苔の育て方を教えて頂いたことだってある」

「苔? あの、木に貼り付いてる? 王太子殿下が?」

「好きなんだって」

「それをエルドレットは教えて貰ったことがあるのね? ねえ、じゃあ、スミレの育て方は知ってる?」

「苔のことしか聞いていないから、他はわからないんだ。ごめんね」


 元気よく強気だった赤い髪の女の子が、あっという間にしょぼしょぼと萎れた。


「……ううん、いいの。もし知ってたら教えて欲しかっただけだから」

「スミレが好きなの?」

「うん……。小さいお花がかわいくて好きなの。スミレはうちの庭の隅っこにいっぱい咲いててね、とってもかわいいから鉢に植えてお部屋に置いておきたかったけど、枯れちゃって……。庭師にも相談したけど、植え替えて鉢で育てるのは難しいって」

「残念だったね。庭師が難しいっていうなら本当に難しい気がする」

「そうなのよ。あんなにいっぱい咲いてるのに……」

「鉢は無理かもしれないけど、ここの庭にも春になるといっぱい咲く場所があるよ。時期になったらまた招待させてもらっていいかな」

「うれしい! ……あ、でも、私がスミレを好きなの、内緒にしてね。似合ってないって弟に笑われちゃう」


 赤い髪の女の子は、ばつが悪そうにしながら、上目遣いで伺ってくる。淡い金の髪の男の子は、それを笑顔で見つめた。


「わかった。でも、大丈夫じゃないかなあ。アーリンはかわいいもの」





 赤い髪の伯爵令嬢は十歳になった。


 この国の第三王子であるエルドレットは、将来王宮に残って兄である王太子の補佐をすることが決まっている。将来の王の、万が一の際のスペアでもあり、王座を空けない保険のために、結婚は義務という扱いになっている。そして準備期間の関係で、婚約も早めに結ぶのが望ましいとされている。そのために、王佐夫妻は双方が十歳を越えた段階で正式に婚約を結ぶ、というのが慣例になっていた。

 第三王子がアーリン・フロックハートを気に入っているということは周知の事実になっていたし、エルドレット本人も共に歩むならアーリンがいいと思っている。その希望を大人に伝えれば確実に通るのだが、同時にまだ十歳の彼女の道筋を否応なしに決めるものになってしまう。なんとなくそれは避けたくて、急かされるたびに笑ってごまかした。そうしてみれば、慣例はしょせん慣例にすぎない、ということもわかってきた。婚約を急かして来る大人は普段あまり顔を合わせない者ばかりだし、父母からは意思を確認はされても催促はされなかった。

 なので、エルドレットは安心してアーリンと一緒にいた。楽しそうな様子を見る限り、エルドレットのことは少なくとも友達だと思っているはずである。ちゃんとそれ以上になれるかはまだわからない。できれば彼女自身に自分を選んで欲しい。


 エルドレットは王太子のスペアだ。予備の歯車としての大事な役割がある。逆に言えば、いざというとき最低限予備として役割を果たせればそれでいい。その程度の存在だ。

 その程度なのだから、エルドレットは自分の希望を優先することにした。胸の奥に焼き付いてしまった彼女の手をきちんと取って、決して離さずにいるために。





 赤い髪の伯爵令嬢は十三歳になった。淡い金の髪の第三王子は十五歳になっていた。

 二人は王宮の庭でテーブルを囲んでいる。赤い髪の伯爵令嬢の隣には仲のいい銀の髪の侯爵令嬢がいて、淡い金の髪の第三王子の隣には栗色の髪の第四王子が並んでいる。


「アーリン、僕と婚約してほしい」

「フェリシアじゃなくて?」

「いやいやいやいや、違う違う」

「アーリンたら、どうしてそうなっちゃうの?」


 第四王子が食い気味に否定し、侯爵令嬢があきれたような声を出す。出鼻を挫かれた第三王子が苦笑した。


「僕はアーリンがいいんだ。……なんでフェリシアだって思ったの」

「だってフェリシア、かわいいしお姫様って感じだもの。今日の私はおまけの付き添いかなって思うじゃない」

「違うから、そんなことないから。僕はアーリンがいいんだよ」

「私、がさつだし」

「問題ないよ。この前、グラントリーと剣の打ち合いして、勝てなくて泣いた、っていう話だったらレイから聞いて知ってるよ」

「なんでそんなのばらしちゃうのよグラントリーは……!」

「僕はそういうアーリンがいいんだ。かわいくて、一緒にいたら楽しい」

「わかるわ。アーリンはすごくかわいいもの」

「フェリシアまで何を言い出すの!」


 侯爵令嬢が楽しげに笑う。

 それを見た第四王子も笑って、髪の毛をかき回した。


「あーあー、もう。アーリンのとぼけた反応のせいで順番ぐちゃぐちゃだよ。……俺は兄上みたいな立場じゃないんだけど、結婚するならフェリシアがいいなと思ってて、それで一緒に呼んでもらったんだ。フェリシア、お願いできるかな」

「うれしいです。私でいいのでしたら、こちらこそよろしくお願いいたします」


 満面の笑みを浮かべる第四王子と、はにかんで笑う侯爵令嬢を眇み、第三王子が伯爵令嬢に向き直る。


「アーリン、まだ返事を貰ってないんだけど、どうかな」

「……え。ええと、お受けします、けど」

「けど?」

「いいのかな、と思って……」

「僕はどうしてもアーリンがいいんだ。不安?」

「……ちょっと。未来のことはわからないでしょう? もしかしたら、エルドレットが別の人がいいって思うかもしれないし、そうしたら、私ばっかり好きなのは嫌だし……」

「僕のこと、好きだと思ってくれているんだね」

「それは、うん……」

「うれしいなあ。じゃあ、僕はアーリンが不安にならないようにがんばるね」


 満面の笑みを浮かべる第三王子に、伯爵令嬢は首まで赤くなっている。


「あー、兄上。それ、俺のいないとこでやって」

「善処はするよ」

「アーリンもちゃんと兄上を引き受けてくれよな。俺もう兄上の『アーリンがかわいい』は聞き厭きちゃってさ」

「……エルドレットって、ハーヴィーの前だとそんな感じなのね」

「ハーヴィーならいいかと思って、つい甘えが出ちゃうんだよね。アーリンは、こういう僕は嫌かな」

「そんなことはないわ!」

「本当? よかった。……幻滅されそうで、ちょっと怖かったんだ」

「意外なだけよ。それに、エルドレットのことを知れるのはうれしいの」

「そっ、……そう? 僕もうれしいな……」


 互いに頬を染めながらもじもじする第三王子と伯爵令嬢を、侯爵令嬢がほほえましそうに見ている。一方の第四王子はうんざりした顔を隠さない。


「だーかーらー。そういうのは俺のいないとこでやって!」





 この国では子供は十六歳になると大人として扱われるようになる。第三王子は十七歳になっていた。婚約者の伯爵令嬢は十五歳になった。

 二人は今、伯爵家の領地にある丘陵地にいた。家畜の放牧が行われている土地で、丈のある草木はあまりなく、王子とその婚約者が馬を駆るには向いた区画だ。以前から時間を作ってはたびたび訪れているので、周囲も受け入れに慣れている。見晴らしのいい丘の上、大きな木の陰でくつろぐ二人の近くには、二頭の馬がつながれていた。


「なんだか疲れているんじゃない? 無理に時間作ってここまで来なくてもいいのよ? ピクニックなら王都でもできるじゃない」

「王都だとこんなにのんびりできないからね。アーリンとゆっくりしたいのに、邪魔が入りそうなんだもの」

「エルドレット、貴方、うちの妹たちより甘えん坊ね」


 婚約者は困ったように笑い、第三王子はその肩に顔を埋める。


「僕らの結婚のことなんだけどね。早いほうがいいって言われはしてるけど、いろいろ考えるともう少し猶予が欲しい。何も考えなくていいのなら、僕はアーリンが十六歳になったらすぐ婚姻契約を結んでおきたいところだけど、王族が結婚を告知しないのは駄目だって言われて悩んでる」

「隠しておくのは絶対にダメだと思うわ。猶予は、どうして?」

「これは上の兄上からの提案なんだけど、僕に国内を見て回って欲しいそうなんだ。下の兄上は国外からの目線で情報をくれるけど、国内にもそういう下地が欲しいって。見て回るのはいいけど、できればアーリンと一緒に行きたい。王子妃の立場になったらしばらく王都で社交が必要になるから、それだと一緒に回れなくて嫌だ」

「本当に、びっくりするほど甘えん坊だわ」

「アーリンと一緒のほうが、見たものへの理解が深まりそう、っていう理由もあるよ。今までだって、教えあったほうが理解がしやすかったでしょう」

「それは、確かにそうだわ。フェリシアと教えあいしたお陰で、王子妃教育はかなり早くに終わったもの」

「僕もちゃんとお役に立てたかな」

「歴史の授業を乗り切れたのはエルドレットのお陰よ、ありがとう」

「そんなに苦手だったの?」

「お顔がわからない人たちの話って、なかなか覚えられないの」

「なるほど、その感覚はわかる気がする。地域ごとの歴史なんかはちょっとした物語にまとめてもいいかもね」

「視察先で話題にできそうね! それに、物語を聞くのは普通に楽しそうだわ」

「ということは、一緒についてきてくれる?」

「もちろんよ。一気にいろんな場所を見られる機会なんてそうそうないもの」

「そういう理由なんだ……」


 わかりやすくしょんぼりした態度をとる第三王子を見ながら、婚約者はうれしそうに笑った。


「エルドレットと一緒に行く旅行よ? 楽しみでしかないわ!」








 選ばれた役割の雛形にユーザーデータを流し入れれば、あとはその通りに処理される。役割のバリエーションは豊富にあった。そんな種類の多さでもカバーできないものを指定された場合の挙動は、考慮されていなかった。分岐の条件が足りなかったのだ。「役割」の選択なのに「自分」が指定されるなど、さすがに想定外だったのだから仕方がない。


 雛形の用意のないまま空間に流されたデータは、不定形でただふよふよと漂っている。回収して使いまわすことは難しそうだった。


 まあ、本当に仕方がない。そういう細かなミスは起こるものだ。この件で発覚した条件分岐の不備の対処は終えているが、既に溢れてしまったデータはどうにもならない。



 システムから切り離されたデータは、好きなように形を変えながら漂って、いつの間にかどこかに行ってしまった。







 赤い髪の伯爵令嬢は十八歳になった。淡い金色の髪の第三王子は二十歳になっていた。二人の結婚式は王族であるがために省略が難しく、何かと準備が大変だった。無事に式を終えて、前後の関連行事も全て終えて、この日から十日間は休暇とされていた。

 王太子補佐である第三王子夫妻には、王城敷地内にある離宮の一つが生活の場として与えられた。うららかな日差しを浴びる庭には小さな春の花が咲き乱れ、整えられた小道の脇には、たくさんの小さなスミレが咲いている。


 そこを二人はゆっくり歩く。


「このお庭、スミレが本当にいっぱいあるのね」

「すごいでしょう? 結婚したらこの離宮に住むってわかってたから、スミレが生えたらなるべく抜かないように昔からお願いしてあったんだ」

「昔って」

「最初はもう九年前かな? スミレが好きだけど鉢で育てられなかった、って言っていたでしょう。だったら庭でなるべく増やそうと思って」

「その頃って、まだ婚約もしていないじゃない」

「そうだね。でも、僕はあの頃から結婚するならアーリンがよかったんだ。ここで一緒にスミレを見るのも夢だった。叶って嬉しいよ」

「……私のことを好きすぎるわ」

「その通り。大好きだよ」


 愛してる、と囁かれてアーリンは真っ赤になった。


「小さい頃もそりゃもうかわいかったけど、今も本当にかわいい。頭が良くて所作がすごくきれいなところとか、それなのに時々変に抜けちゃうところとか、文句言いながらも面倒見がいいところとか、負けず嫌いなところとか、全部大好き」

「そういうの、並べて言わなくてもいいのよ……!」

「照れ屋なところも好きだよ」

「もう!」


 頬をむにゅりと引っ張られながら、エルドレットは嬉しそうに笑う。


「そういえば、ハーヴィーたちはしばらく王都にいるそうだよ。子供ができたんだって」

「えっ、大変じゃない! フェリシアに負担をかけちゃったわ、大丈夫かしら」

「わかったのは昨日だって。フェリシアもお腹の子も問題はないそうだよ」

「よかった……」

「子供は王都で産むことにしたって言ってた。ハーヴィーも少し落ち着くまで王都にいるって。王都に居っぱなしなのはダメだろうから、しばらく行ったり来たりになるだろうな」

「公爵領は遠いのに、大変ねえ」

「ハーヴィーはあそこで外に睨みを効かせるのが仕事だからね。王都を留守にする時はフェリシアを頼むって、アーリン宛に伝言もらった」

「頼まれるまでもないわ。でも、フェリシアは結構強いわよ? なるべく一緒にいて欲しいからお仕事がんばって、とか言われていそうな気がするわ」

「ああ、ありそうだなあ。ユニアック公爵閣下は夫人に頭が上がらないからね。僕もだけど」

「エルドレットは私を甘やかし過ぎ」

「厳しくする理由がないから仕方がないよね」

「もう! ……でもそれだと、このお休みの間にフェリシアたちにこのお庭を見せるのは無理そうね」

「フェリシアに来てもらうのは、しばらくは難しそうだよね。こっちから行くのも、もう少し様子を見てからかな」

「そうねえ。来年あたり、みんなでここでお茶ができるといいわね。子供も一緒に、ピクニックっぽくしたりして」

「ああ、それはいいね。やりやすいように整えようか。先々僕らの家族もたくさん増えるかもしれないし」


 エルドレットは目を細めた。陽光差し込む春の庭は、輝いているのに穏やかで美しい。

 彼が幸せそうに見つめる先、いつかの未来の光景、それを、アーリンも見ることができた気がした。


「……そうね、私たちの家族が増えるかもしれないものね。そうよね。そういうことを、考えても、いいのよね……」


 途切れがちに言葉をこぼすアーリンの目が潤み、そのまま大粒の涙になって落ちる。


「アーリン」

「……うれしいの。この先の話をエルドレットとできるのがうれしくて、……なんでこんなにうれしいのかわからないのだけど、本当に、すごくすごくうれしいのよ」


 淡い金の髪の青年は、妻となった赤い髪の女の子をそっと抱き締めた。


「絶対に離さないからね」


 赤い髪の女の子は大人の女性の顔をして、そして零れるように笑った。




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