05. 浮気者な王子のテンプレート - (2)
……とても長い夢を見ていた気がして飛び起きた。酷く、そして恐ろしい夢だった。
それがなんだったのかを考える前に、寝室には弟のハーヴィーが突撃してきた。エルドレットは十歳だった。
お茶会に参加したエルドレットは、目立つ容姿の令嬢が二人、隅の席でこそこそやっているのを見つけた。不安がる銀の髪の令嬢を、桃色の髪の令嬢が宥めているらしい。年下の女の子が繰り広げるかわいらしい光景に、不意に涙が出そうになった。理由はわからない。
今日のお茶会で、エルドレットは結婚相手を探している。気になる令嬢を見つけて、母に教えなければならない。二人の女の子、特に桃色の髪の子からどうしても目が離せなかったエルドレットだが、母には銀の髪のフェリシア・リンジーの名を告げた。ここで桃色の髪の子をエルドレットが選んでしまうと、彼女になにかとても良くないことが起こる。そんな気がして、どうしても名前を挙げることができなかったのだ。
エルドレットとフェリシアの関係は悪くなかった。フェリシアは怖がりの女の子で、あのお茶会の時に一緒にいた桃色の髪のアーリン・フロックハートといつでも一緒に居たがった。アーリンの近くは安心できるのだという。フェリシアとの交流は自然と二人きりのものではなくなり、アーリンに加えてハーヴィーや幼馴染のレイ、それにアーリンの弟のグラントリーを加えた賑やかなものになった。エルドレットとフェリシア以外は婚約者がいない状態だったこともあり、周囲からは微笑ましい子供たちの交流であり、望ましいものである、と好意的に迎えられた。
フェリシアには王子妃教育が施されていたが、座学の一部に不得意科目があり、その勉強方法を博識なアーリンに相談していたようだ。勉強の相談を頻繁に受けるアーリンは、王宮で授業を受けるフェリシアに呼ばれて王宮に来ることがままあった。ほっとしたような顔をするフェリシアと、楽しそうにくるくる表情が変わるアーリンの姿は、見ているだけで眩しかった。
エルドレットがアーリンと二人で会う機会はなかった。幼馴染たちのお茶会か、フェリシアを迎えに行くとそこにアーリンがいるというパターンか、そのどちらかしかない。それでも、エルドレットはアーリンの姿を目で追ってしまうことを止められなかった。フェリシアは申し分ないパートナーで、仲も良い。だが、アーリンに対して抱いてしまう感情は、フェリシアに対するそれとは違っていた。
そろそろ潮時なのだろう。幼馴染たち六人のうち、年上のレイは既に成人していて、家の仕事を担いはじめている。エルドレットにも間もなく王族としての公務が割り当てられるはずだ。
アーリンと距離を置きたくて、授業の終わったフェリシアを迎えに行く役割を、公務の割り振りがないハーヴィーに頼むことが増えた。彼が成人後に王宮に残らないことはもう決まっていて、本人の希望により王宮騎士団の訓練に参加している状態だ。剣の道を究めたい、誰かを守る人になりたい。弟は昔からそういうことを口にしていた。
だから、本当はもっと早くに気付くべきだったのだろう。フェリシアは、守りたくなるような儚さを持った、未だに少し怖がりなところのある、かわいらしい女の子だ。そんな彼女に、ハーヴィーが惹かれるのは当然だった。
楽しかった幼馴染たちの関係は変わってしまった。子供だからこそ許されたことは、大人には許されない。時間の経過は止められず、子供だった自分たちも大人になっていく。
ハーヴィーがフェリシアを見つめる目に込めた熱に、フェリシアも気付いたようだった。二人がただ静かに視線を交わしあうようになった頃、アーリンが王都を離れたがっているということを知った。将来的に領地で家の仕事をしたい、という希望があるので、成人を待たずに早めに行っておきたい、という話だった。アーリンの弟であるグラントリーが何気なく零したその情報に、エルドレットは激しく動揺した。その場で、アーリンを止めるよう頼んでしまうぐらいには。
ハーヴィーとフェリシアのためだと心の中で言い訳しながら、あちこちに頭を下げて回った結果、エルドレットとフェリシアの婚約は解消された。アーリンの領地行きを阻止するため、結婚が義務であるエルドレットは新たな相手を速やかに決める必要がある、という建前も用意した。グラントリーは反対し、フロックハート伯爵も難色を示したが、その理由をエルドレットに告げることはしなかった。
思惑はどうあれ、エルドレットが早めに結婚する必要があるのは確かだ。密に交流があった女性は、元婚約者であるフェリシア以外にはアーリンしか存在しない。最終的にフロックハート伯爵の許しを得て、エルドレットはアーリンに求婚した。見上げた彼女の顔からは、表情がすっかり消えていた。
新たに王子の婚約者となったアーリンには、王子妃のための教育が施されるはずだった。ただ、元々フェリシアの受けていたそれの相談に散々乗って、勉強方法の指導すらもしていた彼女だ。習熟度を確認した結果、ほとんど授業の必要がないという判断になったと聞いた。時事に関する授業だけは受けていて、あとはエルドレットに会うためだけに王宮に来る。
王宮内でのアーリンの評判は不当に低くなっていた。フェリシアとアーリンの仲が良いことは知れ渡っていて、以前であればアーリンは王宮内でも歓迎されていた。その評価が一転して、親友の婚約者を横取りする女、ということにされてしまったのだ。彼女はまだ子供として扱われる年齢ではあるが、成人とされるまでの期間はあと二か月もない。博識で、立ち振る舞いが洗練されていて美しいアーリンは、王宮内の多くの者に、大人の女と遜色ない存在として認識されてしまったのだ。
彼女の家族は、これを心配していたのだろう。時間を置かない再婚約が悪手だったことに、事前に気が付くべきだった。エルドレットができるのは、彼女をなるべく悪意に晒さないよう、共にいることぐらいである。
だが、既に公務があるエルドレットのスケジュールはあまり融通が利かない。王宮に来るアーリンを迎えに行き、送り届けるまでの全てを共にしたくても、それが可能だとは限らない。アーリンは何も言わないが、どうやら嫌がらせめいたこともされているようだ。蔑ろにしていいと認識された者に対して、人間の集団はどこまでも冷酷になりやすい。
焦りながら、祈りながら過ごす日々の終止符は、二人でお茶をした後、帰りの廊下で転倒したアーリンが目を覚まさないという、最悪の報でもたらされた。駆けつけたエルドレットの腕の中で、アーリンは息を引き取った。
……とても長い夢を見ていた気がする。とても、とても恐ろしかった。血の気が引いて手足は冷たく、心臓は酷い音を立てている。
それがなんだったのかを考える前に、寝室には弟のハーヴィーが突撃してきた。エルドレットは十歳だった。
お茶会に参加したエルドレットは、二人の令嬢が、隅の席でこそこそやっているのを見つけた。不安を訴える銀の髪の令嬢はリンジー侯爵家のフェリシア嬢で、隣でそれを慰めるこげ茶色の髪の令嬢は、記憶が確かならフロックハート伯爵家のアーリン嬢だと思われる。有名な銀の髪を持つ侯爵令嬢に比べて地味な容姿をした伯爵令嬢から、エルドレットは何故か目が離せなかった。
お茶会の後、気になる女の子としてアーリン・フロックハートの名を挙げた。結婚するなら彼女がいい、理由もわからずそう強く思った。母は頷きながら聞いてくれたが、それは叶わないだろうと二日後に聞かされた。なんでも、本人の強い希望により、アーリンはフェリシアの侍女になる予定なのだという。
早めの結婚が義務であるエルドレットは、早めに婚約者を決めなければならない。それなのにどうしても、アーリン以外の令嬢の名を挙げる気にならなかった。たくさんの子供たちを招いたお茶会はそれから後も開催されたが、その心情が変わってくれることはなかった。
アーリンは本当にフェリシアの侍女になったようで、エルドレットが十二歳になった頃にはフェリシアに従って控えているのを見るようになった。二人は仲がよいらしく、砕けた表情で談笑する姿もたまに見かけた。訳もなくアーリンの姿を探してしまうエルドレットが、フェリシアと接する機会は自然と増えたが、侍女であるアーリンと会話することはなかった。目線があったこともない。
十五歳になっても婚約相手を決めないままでいたエルドレットだが、成人として大人の社交の世界に出るにあたり、パートナーが不在のままでは都合が悪い。周囲からはもっとも接する機会が多かったフェリシアを勧められ、他に選択肢を持たなかったエルドレットはそれを了承した。
フェリシアの近くには当然いつも侍女がいる。その侍女の一人にどうしても心を惹かれてしまう状態は健全ではないけれど、秘めて語らぬことはできる。彼女が大事にしているフェリシアを、エルドレットも大切にしたい。
フェリシアとの関係は悪くはなかった。結婚までの期間は慣例よりもかなり短いが、それはエルドレットに責あることだ。婚約期間が短くなったため、王子妃のための教育に充てられる期間も短くなった。結婚までに完了しない見込みだが、フェリシアは真面目に取り組んでいる。得意でない科目は、家で侍女に補習をして貰っている、とも言っていた。アーリンは博識なのだそうだ。
王族としての公務も行っているエルドレットのスケジュールはあまり融通が利かない。フェリシアとの時間は可能な限り取るようにしていたが、出迎えや見送りにまでは手が回らないことがある。そういう時には、弟のハーヴィーに代理を頼んでいた。王宮の中では、王子の婚約者という立場だけで謂れのない悪意を受けることがあり、怖がりなところがあるフェリシアの護衛役として、互いに以前から面識がある上に、王子で剣の腕が立つハーヴィーは最適だった。
そんなふうに接点が増えた結果だろうか、ハーヴィーがフェリシアを見る目がいつの間にか変わっていた。弟は昔から、誰かを守る人になりたいと言っていたのだ。少し怖がりで儚げな風貌のフェリシアに惹かれるのは当然だったのだろう。だが、フェリシアの正式なパートナーはあくまでもエルドレットだ。今のまま、ハーヴィーの想いが叶う可能性はない。
フェリシアがハーヴィーを見る目も変わっていった。侍女のアーリンを、一緒に居ると安心するからという理由で重用するフェリシアにとって、ハーヴィーは安心できる相手だったのだろう。多忙で思うように時間を取れないエルドレットより、頼りになる相手だと思うのは無理もないことだった。
二人の想いが叶う日は来ないのだ。二人ともそれをちゃんと理解していて、決して立場を超えるようなことはしていない。フェリシアは、常に一緒に居るアーリンにすら気付かせていないようだった。気にして見ているエルドレットだけが、ただ時折視線を交わすだけの二人の感情に気付いている。
それを責める資格はエルドレットにはない。エルドレットだって、ずっとフェリシアの侍女を見ている。
エルドレットの結婚は義務だ。心の中でどう思おうとも、予定をこなしながら時間は過ぎていく。
第三王子の結婚に伴って、王宮ではリンジー侯爵家からの侍女を二人受け入れることになっているが、そこにアーリン・フロックハートの名はなかった。フェリシアと同じ年齢の彼女はまだ若すぎるほどで、本来なら侍女として働く必要がない立場の令嬢でもある。
彼女には縁談が来ており、それを受けたと教えてくれたのは幼馴染のレイだった。その縁談の相手がレイだったのだ。アーリンの弟との縁で、そういうことになったと言っていた。かわいい子だよ、とも。
ずっと、ただアーリンの姿を目で追うだけのことしかしていないエルドレットは、フェリシアの侍女としての姿以外を知らない。ただ、十歳の時のあのお茶会での彼女には、小動物めいたかわいらしさがあった。おそらくあれが彼女の本質なのだろう。
結婚式は恙なく執り行われた。式の最中、招待客として前列にいるはずのレイの姿がなく、そのパートナーのアーリンの姿もなかった。レイは式の直前にエルドレットの控え室に顔を出していたので、この期に及んで欠席するとは思えない。アーリンはフェリシアの侍女として神殿に入っていたが、式には招待客として出るはずだった。不安がるフェリシアを宥めているところに、アーリンが倒れたという知らせが入り、慌てて駆けつけたエルドレットが見たものは、憔悴しきった顔で呆然と膝をつくレイと、血を吐いたのであろう跡が残るアーリンの亡骸だった。
エルドレットはずっと間違い続けていた。方法を間違いタイミングを間違い、何より優先すべきものを間違えた。やり直したい、もしも次があるならば、今度こそ絶対に、




