ネットワークを守り解放するということ
「それで――先輩、今日はどうするんですか?」
イツキはパソコンを起動させ、自分のABSのステータス画面を表示させながらミユキに尋ねた。
「今日の活動はね、大河の特訓。このシロウトを使えるようにしなきゃ」
ミユキは言った。
「特訓? 俺の?」不思議そうな顔をする大河。
「そうよ。あんた全然操縦できてないでしょ。せめて、もうちょっとできるようにならないと、ワールドでウイルスと対峙したときに危険だわ」
「んなこと言ったって、俺結構できるだろ。フェンリルと俺なら最強だと思うんだけど」
大河は明らかに不満顔だが、ミユキはそんな大河を「調子に乗るな」とたしなめる。
「あんたねえ……そんな程度じゃまだまだ全然だめよ。最強には程遠いわね」
「そうかなあ。結構やれてると思うんだけど」
「あんなトレーニングモードじゃ、ウイルスの本当の恐ろしさはわからないわね。まずはワールドで実際に出て体験してみないとね」
ミユキの言葉に、大河は変な顔をした。まだワールド内での実態に反映させていない、トレーニングモードでのアクセスしかないため、いまいち実感が湧いていないのだろう。
「そんなに難しいのかよ、ワールドって」
「ワールドの中は、ある意味、本物の世界なんだ。ABSは破損すると修理するまで壊れたままだし、動力源であるジェネレーターがやられたABSは、交換するなり修理するなりしないとワールドにアクセスしても、結局身動きできないんだ。ジェネレーター……動力がやられているからね」
イツキはワールドの不便さを説明した。すべてはこのワールドにおいて『ロウ』が存在することに起因する。
「そんな面倒なのか?」
今度はミユキが答えた。
「そう。これはゲームじゃないのよ。ネットワークを、マザーの好きなようにされているのが『ワールド』なのよ」
――『ワールド』……三十年ほど前に総合ネットワーク管理AIシステムとして導入された『マザー』の作り出した仮想現実の世界。
その世界に、無数に点在するネットワークの拠点「アクセスポイント(AP)」を巡って、マザーの繰り出すウイルスと戦い続けている。
このワールドには、『ロウ』と呼ばれるルールがある。
現実の世界における自然の摂理、物理法則といったところだろうか。このロウに許容される範囲内で、人類はワールド内にて行動できる。
実はABSもロウに合わせて設計され、プログラムされたものだ。
ABSは現実には存在しない、データだけの存在だ。ならば壊れたとしてもコピー&ペーストで、いくらでも無限増殖できるのではないか、そう考える人はこの時代においても一定数存在する。
しかし、ロウはそれを許してはいない。
ABSを構成するすべてのパーツのプログラムは、すべて個別にしか存在できず、同じものもちゃんと「製造」しないと使えない。オフラインで「製造」することはできても、ワールドに反映させるためのアップロードには時間がかかる。
近年ではワールド内に、いわゆる「ABS製造工場」を作ってそこで製造することでアップロードの手間を省いている。
これまで多くの天才たちがロウの抜け穴を血眼になって探したが、それを発見したものはいない。マザーをハッキングしようとして成功したものもいない。
マザーが一体、何をしようとしているのか……それを知るものはいない。
大河も、こういったネット環境の事情は知っている。学校の授業『情報技術』でも教えられることだからだ。
しかし多くの人が、ワールドやそれに関する物事の知識は持ちつつも、いまいち実感が持てないのは、ネットは利用するだけで、維持管理まで自分でする人はごく僅かしかいないからだ。
大多数の人はABSなどに興味はない。ネットワークが便利に簡単に使えるかだけが重要なのだ。
「あんたがこのクラブに入部して、ABSのオペレーターをやるのは、私たちからしたら本当にありがたいことなのよ。この東高も生徒は三百人以上いるのに、この情報技術部の部員は三人しかいないの。ABSでウイルスと戦ってAPを解放しようっていう人なんて……これだけ高校生がいて、結局たった一パーセントしかいないのだから」
ミユキは言う。ABSオペレーター不足の現状を。その表情は真剣だった。
「でも大河。もう一度言うけど、あんたはまだ全然だめ。ウイルスの跋扈するワールドで奴らと戦い、世界を探査するためには、とにかく経験と技術を磨かないと」
「お、おう。やってやらあ! だから、さっさと始めようぜ!」
大河は拳を振り上げて気合を入れると、ワールドへのログインを開始した。