遭遇イベント
夕暮れに染まる住宅街を家へと歩きながら、私は1人仙道の言葉を思い出した。
「友情エンドに入りたいなら、特定の誰かとだけ仲よくするのは得策じゃない。全員とそれなりに親しくなっておかないと、下手すりゃ俺ルートで固定されちまうかもしれん」
それだけはごめんだと付け加えた仙道の嫌そうな顔を思い出し、私も心の中で同意する。
たしかに、状況的に今一番好感度が高いのは仙道だろう。彼自身にその気は無さそうだが、あの福の神にこの状況を見られたら『好みの男が見つかったかー!ならわしが恋を成就させてやろうー』なんてしゃしゃり出てくる可能性もありえる。
ならばたしかに全員とそれなりに仲良くなり『色々試してみたけどお友達止まりでした』という言い訳を作っておくのは得策な気がした。
それに少しでも努力の姿勢を見せておけば、『奥手な性格が直ったのなら心の声も必要ないな』という判断が下る可能性もある。
「少しだけ、頑張ってみようかな……」
思わず呟き、そして私は頭が痛くなる。
独り言をこぼすなんて、それこそ恋愛ゲームの主人公のようだ。
もしかしたら、私も少しずつ2次元補正がかかっているのかも知れない。
「とりあえず、攻略対象のこともうちょっと調べてみよう」
再びこぼれた独り言に舌打ちをしつつ、私は決意を新たにする。
するとこれまたゲーム補正なのか、タイミング良く攻略対象の1人が通りの向こうから歩いてくる。
「あれ、偶然だね」
さわやかな笑顔を浮かべる彼は、たしか学園の王子様ポジションの男。
校内の羨望を一心に集める美貌はイギリス人である母親から譲り受けた物……という設定の、天然物のブロンドと青い瞳を持つ、恋愛ゲームのパッケージなら一番中心に来るであろう正統派の美形である。
「えっと、雅くん……だよね」
「そうだよマイレディ(今日も可愛らしい顔だ。それに相も変わらずふくよかな胸だ)」
ただ母親がイギリス人であるせいか、彼の言語センスは少々難がある。
胸の下りもそうだが、マイレディと言う単語を素で使っちゃうような男なのである。
2次元でもこの手の台詞には失笑した物だが、3次元で言われると失笑を通り越して唖然とする他ない。
「レディは、今から帰りなの?」
このあとの展開が読め、私は一瞬言葉に躊躇う。
いつもなら予定があると断るところだが、仙道の言葉が脳裏をよぎる。
このままここで雅から逃げるのは簡単だが、そのまま仙道のルートに突入するのは絶対に回避したい。
「レディ?」
少し心配そうな顔でのぞき込まれ、私は慌てて口を開く。
「……う、うん。これから家に帰る所なんだ」
勇気を出して、肯定する。
すると雅は嬉しそうに目を細め、形の良い唇が穏やかな弧を描いた。
「なら、一緒に帰ろう。暗くなってきたし、レディ1人で帰らせるわけにはいかないよ(こんなにおっきいおっぱいが揺れていたら、わるい男に狙われちゃいそうだしね)」
着眼点は微妙だが、心配してくれたのは嬉しくもある。
こうやって気が利くところを見ると悪い人ではなさそうだし、少しでも彼の良い面を捕らえようと、私は彼と帰宅することにした。
「そういえばもうすぐ文化祭だね。レディは、誰とまわるか決めた?」
「もう、そんな時期なんだ……」
仙道の言葉に、ゲームにおける重要イベントが間近だったことに今更気づく。
とはいえまだ誘われるイベントはまだのようで、今のところ雅の口から漏れるのは雑談ばかりだ。
そして私が無自覚に心を読まないようにしているせいか、こちらの心を乱すような過激な心の声も聞こえてこない。
「これなら、普通に友達になれるかも」
「ん?」
独り言うっかりこぼす、と言うおきまりの展開に慌ててから、私は何でも無いと誤魔化す。
それと同時に、私は改めて雅に目を向ける。
その優しげな眼差しを見た限り、彼ならば最初に仲良くなるキャラに丁度良さそうだ。
だからここは勇気を出し、彼と親しくなってみようと決意して、今度は私の方から話題を振ろうと思い立つ。
だがその次の瞬間……。
(それにしても、僕って本当に絵になる男だな……)
美しい横顔から、不意にこぼれたのはいつもより鮮明な心の声。
それに驚いていると、雅は虚空に目をとめ、僅かに顔をほころばせた。
(おっぱいの大きな美女と並んでも遜色ないし、僕達を見た人は全員、映画のワンシーンのようだと思うに違いない! 美しい夕暮れ、その中を歩く美女と僕! その美しさには誰もが息をのみ、目を見開き、うっとりするんだ)
いつも以上に激しい心の声の嵐に……。そして何よりその内容に、私は思わず目を見張る。
これはもしかしなくても……。
(ああ、人々の視線と心を奪うなんて、僕はなんて罪な男なんだ! その上僕はこんな可愛くておっぱいの大きな子を、今まさに虜にしようとしている……! 僕の美しさは、まるで凶器だ!)
「……きもい」
「えっ?」
「あっ」
思わずぽろっとこぼしてしまってから、私は慌てて雅と距離を置く。
「ご、ごめんなさい、私ちょっと急用が……」
「えっ、でもさっきは……」
「ごめんなさい、それじゃあまた明日!」
捕らえようのない衝撃と恐ろしさに、私は脱兎のごとく逃げ出す。
(ああ、僕の美しさに耐えられなかったんだねレディ……。でもいずれ君も、僕の美しさにぞっこんさ!)
背中越しに聞こえてきた死語混じりの心の声に、私は無意味だとわかっていながら耳を塞いだ。
「仲よくするなんて無理!絶対に無理!」
有栖川雅――学園の王子様と称されるイケメンの正体は、残念すぎるナルシストに違いなかった……。