第七話 次の街道へ
卿の件が片付いたのは、四日目の午前だった。
場所は、ギルドの一階である。卓は取り払われ、長机が一つだけ据えられて、その上に紙が積んであった。
ヴァルドは、椅子に座らされている。
縛られてはいない。脚を挟まれた怪我のせいで立てないだけで、膝から下に、教会で巻かれた布が見えていた。
ミルナが、紙の束を持ち上げた。
「一枚ずつ読み上げると長くなりますので、確かめられたことだけを申し上げます」
彼女は段の上に立っている。声は張らなかった。
「西の旧資材庫の管理者がヴァルド家であること。そこから地下へ通じる道があったこと。この二か月の夜間搬入がヴァルド家の名義であったこと。地下から持ち出された書物を運ぼうとした者が、ヴァルド様の印のある命令書を携えていたこと。北の門の閉鎖と東の水場の占有に、役所の命令の記録がないこと」
彼女は、紙を長机へ置いた。
「裏付けの写しは、すべてここにあります。以上です」
紙の束が机へ触れる音だけが残った。
ミルナの声に、感情は乗っていない。責める調子も、勝ち誇る調子もなかった。彼女はいつも、こういうふうに書類を読む。
シンは、後ろのほうに立っていた。
言いたいことは、いくつか浮かんだ。あんたが門を閉めたせいで、あの夜どれだけの人が坂で立ち往生したか、とか。
言わなかった。
言えば、この静かな時間が壊れる気がした。
◇
「何か、仰ることは」
ミルナが訊く。
ヴァルドは口を開き、そのまま閉じた。
この四日で、彼はずいぶん小さくなったように見える。上等な外套は煤で汚れ、指の石はすべて外されていた。
「……私は」
言いかけたとき、後ろの列から声がした。
「旦那」
いつだったか、ギルドの隅で酒でもないのに杯を回していた人族の老人だった。庇うでもなく、責めるでもない口ぶりである。
「あんたの曾祖父さんには、この街は世話になった」
部屋の音が、そこで途切れる。
「うちの婆さんは、あの人がくれた麦で冬を越した。うちの一階の壁は、あの人が出した石で積んである。……それは、本当のことだ」
老人はそれだけ言って、それ以上は何も付け足さなかった。
ヴァルドの口が、また開く。今度は、何も出てこない。
シンは、その顔を見ている。
この男には、いつも言い分があった。門を閉じるときにも、水を止めるときにも、七等を追い返すときにも、筋の通った言い方が用意されていた。
用意が、尽きたのだ。
この部屋で返す言葉を持っていないのは、彼一人だった。
◇
「家の資材を、全て出す」
ヴァルドが言った。
声は、掠れていた。
「同じことを、私にもさせてほしい」
誰もすぐには答えず、ミルナが紙を揃える手を止め、司祭が目を伏せ、後ろの列で誰かが息を吸った。
答えたのは、壁際で鶴嘴の柄へ顎を乗せていたガレスだった。
「石は石だ」
彼は、壁から背を離しもせずに言った。
「誰の石でも積める」
それだけである。
礼を言う者はいなかったが、罵る者もまた、いなかった。
◇
「採掘権と土地の管理権は、審理まで凍結します」
ミルナが、紙を揃え直した。
「お身柄は、街の長老衆と職人組合の合議へ引き渡します。以上です」
◇
外へ出ると、街は片付けの最中だった。焼けた荷車が解体されて板が使えるぶんと燃やすぶんに分けられ、石畳の割れ目には土が詰められて、上から板が渡してある。
あちこちで、鎚が鳴っていた。
◇
「シンさん!」
呼び止められたのは、市場の前だった。
若い坑夫が三人、手を振っていた。名前は知らないが、あの日、炉場の囲いへ煉瓦を積んでいた者たちである。
「あの日は、どうも」
「いや、こっちこそ」
「うちの組、東の樋を直したんですよ。崩れたのを全部、手で積み直したんです。二十人で半日」
「聞きました! すごいですね」
「でしょう」
彼は、自慢げに胸を張った。
その隣で、別の一人が言う。
「うちの婆さんは、荷車に水かけてました。腰が悪いのに、桶持って」
「うちの親父は綱を引いてた。引きすぎて腕が上がらないって」
誰も、六人の話をしなかった。
みんな、自分の家の話をしていた。
◇
その先の広場で荷を積んでいたのは、乾いた果実を並べていた露店の男である。今日は店を出さず、焼けずに残った荷を荷車へ積み替えていた。
あのとき、勇者候補ねえ、と言った男だ。冒険者のほうがまだ信用できる、と。
男は顔を上げ、六人を見た。
見て、すぐに手元へ目を戻す。
「あんたら、勇者だよ」
手は、止まらなかった。
袋の口を縛り、荷車へ載せ、次の袋へ手を伸ばす。ついでに言った、という以上の重さは、どこにもない。
シンの足が、止まった。
男は、もうこちらを見ていない。積んだ数を指で追っている。自分が何を言ったのか、覚えてすらいないだろう。
「……あの」
声だけが出た。
その先が、続かない。
礼を言うのも違う。否定するのも違う。気の利いたことを返そうとして、何一つ浮かばなかった。
シンは、口を開けたまま突っ立っていた。
「なにやってんだよ」
ドレッシングが、背中を叩く。
「行くぞ」
◇
広場の隅に、花が置かれていた。
街角の祠である。丸いものを両手で包む形の、あの小さな石だ。焼けた家の瓦礫を除けて、誰かが掘り出したらしい。
その前に立っているのは、鍛冶場の前掛けの男と、腕を吊った男と、杖の老人。あの家の卓を囲んでいた人たちだった。
誰も、大きな声では話していなかった。
「サディアさんは、戻らなかったな」
「ああ」
「……いい人だったよ」
それだけだった。
供えられた花は、焼けた庭からむしってきたものらしく、茎の先が黒く焦げている。シンは、その脇を通り過ぎた。
◇
ギルドの受付で、六人は一段だけ等級を上げた。
「六等です」
ミルナは、判を六つ突いた。
「本来は依頼の達成数で計りますが、今回は例外の扱いです。役所とギルドの合同で決めました」
「六等……」
「まだ下から二番目です」
「はい!」
「以上です。次の方どうぞ」
実際、後ろには列ができていた。
◇
列を離れた壁際で、シンはオタキラーの袖を引いた。
「片、付いたよな」
オタキラーは、ミルナが紙の束を抱えて奥の戸へ入っていくのを見ていた。あの束の一番下に、金具で綴じた黒い表紙が挟まっている。
「あれはな、手順が書いてある本や」
「手順」
「筋を通さんでも扉が開く、その抜け道の手順や。書いたもんが残っとる限り、同じことを考える奴が出る。……せやから、燃やして済む話でもない」
「じゃあ、どうすんだ」
「わいが決めることやない。ギルドと役所が決める」
それだけ言って、オタキラーはようやくフードを上げた。青と翠の目が、まっすぐシンを見る。
「訊きたいんは、そこやないやろ」
「うん」
「なんで、わいがあれを知っとるか、やろ」
シンは、頷いた。
オタキラーは、フードをまた下ろした。
「もうちょっと待ってくれ。そのうち話す」
「そのうちって、いつだよ」
「約束や」
答えになっていない。それでも、坑道で聞いた「片が付いたら話す」とは、声の重さが違っていた。あれは断りだった。これは、先送りである。
シンは、それで引き下がった。
◇
出立は、翌朝と決まった。
その前の日の夕方、六人は方々を回った。武具屋では、親方が黙って修理の済んだ品を出してくる。シーザーの肩当ては革が張り替えられ、アンリの胴当ての留め具も直っていた。勘定は、ミルナがギルドの帳面で先に引いている。
最後に返されたシンの剣は、柄が磨かれ、鍔元の錆が落ち、刃に薄く油が引かれていた。
「……ありがとうございます」
親方は、答えなかった。
答えずに、両手で鞘を渡した。
◇
教会では、アンリが引き継ぎをしていた。
薬草の残りと、順番の付け方と、二番目に重い人を見落とさないための印の付け方。彼女はそれを紙に書き、司祭と、産婆と、腕を吊った男へ渡した。
「よろしいのですか」
男は、渡された紙を見たまま訊いた。
「私は、あの集まりにいた者です」
「順番を数えられる方が、足りていません」
アンリは、はっきりと答えた。
「それだけです」
男は、紙を両手で受け取った。
受け取って、しばらくそれを見ていた。
◇
街道の出口には、思ったより人が来ていた。誰かが呼んだわけではないらしく、荷車組合の若い衆と、坑夫が何人かと、司祭と、伝令のハーフリングが二人。
ミルナが、書き付けを渡した。
「街道の様子です。次の宿場は建て替え中で、泊まれません。手前の村を使ってください」
「助かります!」
「それと、関所の通行の手順です。教会系統の証明は、追加の照会が要りません」
シーザーが、受け取った。
ミルナは、そのあとでもう一枚を出してくる。
依頼票の控えである。名称の欄だけが、判の押された日から空いたままになっていた。
シンはそれを見て、差し出された筆を受け取り、欄を埋めた。
「承りました」
彼女は、読み上げなかった。
紙を揃え、判を押し、綴じ紐を通す。それで終わりである。
その列の端で、アミアンが伝令のハーフリングに何か訊いていた。
「……この一年で、エルフの旅人が通った記録はある?」
「エルフの方ですか。しばらく見ていませんね」
「そう」
彼女は頷いた。
「ありがとう」
それだけだった。
誰も、そのやり取りを追及しなかった。
◇
ガレスは、いちばん最後に来た。褒めもせず、労いもせず、手に鶴嘴を提げたまま六人の前に立って、一言だけ言った。
「段取りを忘れるな」
「はい」
「以上だ」
彼は背を向け、二歩歩いて、それから立ち止まった。
「……坑道は、まだ塞がったままだ」
こちらは見なかった。
「片付いたら、また潜る。仕事場だからな」
◇
街道へ出ると、正面から来た風は、もう乾いた秋のそれではなかった。もっと冷たく、湿っていて、頬の高いところが痛くなる風である。
六人の吐く息が、まとめて白くなった。
「……寒っ」
ドレッシングが襟を掻き合わせた。
「なあ、これ、行くほど寒くなるやつ?」
「山を越えるからな」
「越えるのかよ」
「越えるやろ。冬が来る前にな」
オタキラーが、袋の紐を締め直した。
「峠が閉まったら、春まで足止めや。急ぐで」
道は、緩やかに下っている。
振り返れば、まだ街が見えた。煙突から煙が上がり、鎚の音が、ここまで届いてくる。
シンは、しばらくそれを見ていた。
それから前を向き、前を向いたまま、短く何かを言う。
風に半分持っていかれる程度の声である。誰も訊き返さなかった。
五人が、頷いた。
それだけである。
「なあ」
彼は言った。
「あの人、勇者だって言ったよな」
「言うてたな」
「俺のこと、勇者って」
「六人まとめてでしょう」
「そうだけど! でも!」
シンは、立ち止まった。
立ち止まって、街道の真ん中で、大きく息を吸った。
「俺達のパーティ名は——六星だ! そして、俺は勇者になる!」
「はいはい」
「うるさいわ」
「朝から元気ね」
「シン様、喉を痛めますよ」
「聞こえたよ、街まで」
声が、幾重にも山肌を渡っていく。白い息は、その余韻を抱いたまま、ゆっくりと空へほどけていった。
いつの間にか秋は深まり、旅立ちの日から重ねてきた時間が、色づく山々のすべてに刻まれていた。
俺達の冒険はこれからだぁああ!
ここまで読んでくれた人、本当にありがとうございました!




